第13話

「二日前の事件を入れてこれで三件めか……」

 釜田警察署の通路に配置されている休憩所の椅子に腰をかけていた桑島は、げんなりした表情で煙草を吹かしていた。隣には両指を絡め、じっと床を見つめて座っている慎太郎がいる。

「全身に無数の打撲痕と銃痕。いったいこの犯人は何がしたいんでしょうか?」

「さあな。だが、ただの愉快犯じゃねえことは確かだな」

 二日前、上地川の下流で男の死体が発見された。

 その死体には全身至る所に打撲の跡が見られたが、決定的な死因は司法解剖の結果を待たずとも銃撃による他殺だと慎太郎たちはわかった。

 同じである。二年前、拳一郎が殺されたときと状況が酷似しており、犯人は間違いなく同一犯であろう。だからこそ慎太郎は歯噛みした。ここまで犯行の手口がわかっているというのに、一向に犯人の目星がつかない。暴力団の犯行かもしれないと色々捜査を行ったが、それもすべて無為に終わった。

「これからどうします、桑島さん」

 慎太郎は横目でちらりと桑島を見た。

 桑島は吸っていた煙草を灰皿に擦り付けて消すと、二本目の煙草を口に咥えて火を点ける。ふうう、と吐き出した紫煙が虚空をゆらゆらと彷徨う。

「さて、どうするかな」

「肝心の桑島さんがそんな調子だと困りますよ。この街の隅々まで知り尽くしていると豪語していたのはハッタリだったんですか?」

「馬鹿野郎、それを言ってたのは俺じゃねえ。拳の野郎だ。あいつならこの街の裏の裏まで知り尽くしていたからな」

 桑島がそう言うと、慎太郎は苦々しい表情で掌に拳を打ちつけた。

「その拳さんを殺した奴かもしれないのに俺たちは何もできない。それというのも俺たち所轄には上から情報がまったく降りてこない。おかしいじゃないですか? 二年前にしたって明らかに拳さんの事件は他殺だったのに捜査本部を早々に切り上げるなんて。絶対に外部から圧力がかかったに違いありませんよ」

「……だな。今回の事件にしたって特捜ができたっておかしくないってのに本庁の連中はまったく動く気配がない。ただ闇雲に地取りなんぞしたって犯人が見つかるわけがねえのにな」

 桑島は早々に吸いきった二本目の煙草を消し、三本目の煙草を口に咥えようとした。

 そのときだった。

「お前ら、こんなところで何を暢気に黄昏てんだ」

 慎太郎は慌てた様子で、桑島はゆっくりと声が聞こえてきた後方に振り向いた。

 そこには大きく膨らんだ腹を撫でている壮年の男が立っていた。ポマードで固めたオールバックの髪に顎にだけ生やした髭。その表情や体型から狸を想像してしまうが、これでも歴っとした強行犯係りの課長であった。

「これはこれは高柴課長、どうしたんですかそんなに怒って。そんなにストレスばっかり溜めるとまた尿管結石が再発しますよ」

 上の人間に対する言葉遣いではない桑島に、高柴は腹を撫でながら一喝した。

「やかましい。俺のことはどうでもいいんだよ。それよりも、何をこんなところで堂々と油を売っているのかと俺は訊いてるんだ」

「別に俺らだって売りたくて油を売ってるわけじゃないんですよ。色々心当たりを足で捜査したんですがこれがとんと犯人に繋がる手掛かりが見つからないんですよ」

 言ったのは桑島である。しかし慎太郎も口には出さずとも同意見だった。

 ここ数日、目星をつけた場所や人間はあらかた捜査した。暴力団と繋がりがある麻薬の密売人を締め上げたり、以前、武器密売の容疑で逮捕した人間に接触してみたが、その悉くがハズレだった。はっきり言って、足での捜査はもう限界であった。

 桑島と慎太郎の二人を訝しげに見渡した高柴は、大きく溜息をつくと延々と煙草を吸っている桑島に顔を近づけた。

「まだあるだろ……ヤツのねぐらには言ったのか?」

 高柴のその言葉を聞いて目の色を変えたのは桑島であった。

「本気ですか、課長。まさかヤツから情報を貰ってこいと言うんじゃないでしょうね」

「そのまさかだ」

 高柴はズボンのポケットから煙草の紙箱を取り出すと、その紙箱を桑島に手渡した。桑島は手渡された紙箱の中身を覗きみて頭を掻き毟った。

「できればヤツの力だけは借りたくなかったんですがね」

「そんな悠長なこと言ってる場合か。利用できるものは何であろうと利用する。それが刑事ってもんだ……それに」

 高柴は会話の内容がわからない慎太郎に視線を向けた。慎太郎は何か小言を言われるのかと身構えたが、高柴はそのまま何も言わずに踵を返し、二人の元から遠ざかっていく。

 慎太郎は高柴の背中を呆然と見つめていると、桑島が膝に手を置いて立ち上がった。

「よっしゃあ、あまり気乗りしねえが行くとするか」

 首をコキコキと鳴らしながら桑島は歩き出す。慎太郎はしばらく呆然としていたが、ようやく事の事態を飲み込むと慌てて桑島の後を追いかけていく。

「く、桑島さん。いったいどこへ行くんです? それにヤツっていうのは?」

「それは行きながら教えてやる。とにかく車の運転頼むぞ」

 現在の時刻は十時十一分。

 釜田警察署から車で移動を開始した二人だが、未だに気づいていなかった。

 数キロメートル離れた路上の一角では、腕に黄色い腕章をつけたお互い名も知らぬ二人が死闘を演じ始めていたことに――。


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