第12話
勇二は足を組み直し、カルティエの腕時計を目線の高さにまで上げた。
現在の時刻は九時二十二分。
大型液晶ディスプレイの一点に集中していた番号たちが、蜘蛛の巣を散らしたように駐車場から移動していく。その中で勇二は駐車場の端っこで止まっている番号【一番】を見つめていた。花織はどうやらまだ駐車場から動く気はないようである。
睦月は勇二の横にそっと立った。リモコンを操作して通常の画面に切り替える。
大型液晶ディスプレイには遅い朝食を取っている花織が映った。頬に米粒をこびりつけながら美味しそうにお握りを食べている。その顔には微塵の恐怖も浮かんでいない。
勇二と睦月はアップでその花織の様子を眺めていた。
「花織さん、余裕ですね」
「ああ、そうだな。でも無我夢中で握り飯を食べている姿も可愛いな。この映像ちゃんと録画しておいてね、睦月さん」
「承知しております……ですが勇二様、先ほどから気になっていたのですがそれはいったい何なのです?」
睦月は勇二の隣の壁に吊るされていた漆黒の服に注目した。
目元は透明なレンズで覆われているフルフェイス仕様のマスク。その下には上半身のみならず、下半身の隅々まで保護するフルボディスーツ。身体に装着した場合、軽量型の宇宙服のようになるだろうか。間違いなく銃弾はおろか、ナイフなどの鋭利な刃物も一切通さない精巧な造りになっている。
「ああこれかい? 実は以前から技術開発部門の山崎主任に従来の防弾防刃スーツを越える完全防弾防刃スーツを作ってくれって頼んでいてね。それが昨日になってようやく試作品が完成したんだ。まだテストはしていないらしいけど、計算によると44口径の弾丸もストップさせるらしい。それを聞いたら待ちきれなくて早速持ってきちゃった」
鼻歌を歌いながら勇二はボディスーツを撫で回している。まるで新品の玩具を買ってもらった子供のような顔つきであった。
ふうと睦月は溜息を漏らした。
「まさかとは思いますが、花織さんが危なくなった場合にそのスーツを着用して助太刀をするつもりではありませんよね?」
冷ややかに言った睦月の言葉に、勇二の身体はビクッと反応した。ボディスーツを撫で回す手が止まり、額からは薄っすらと冷や汗が浮き出てくる。
「やっぱりダメ……かな?」
恐る恐る睦月のほうへ勇二が顔を向けると、睦月は無表情のまま首を横に振った。
「ダメでございます。そんなことをすれば花織さんは大会規約定違反により即座に反則負けが決定します。そうなれば敗北の原因を作った勇二様に対して大層お怒りを感じることでしょう。最悪の場合、勇二様のお命にも危険が及ぶかもしれませんよ」
勇二は天井を見上げて自分が助太刀した場合を想像した。数秒後、すぐに勇二はぶるぶると頭を左右に振って想像を掻き消した。顔面は蒼白になり、微妙に手が震えている。
「ふうう……危ない危ない。花織の殺意が篭った正拳突きが顔面にめり込む姿を想像してしまった。さすがにあれを生身の状態で食らったら死んでしまう」
睦月は同意した。
「そうでございましょう。ですから、勇二様はここから花織さんの健闘を大人しくご鑑賞していてください。それに花織さんには特別に専属の医療スタッフやカメラマンを常に近辺に配置させております。万が一、怪我や不慮の事故に巻き込まれた場合、他の参加者よりも迅速に対応できるようになっております」
「う~ん、だとすると俺の出番はほとんどないな」
不満そうに勇二は呟くと、背もたれに深々と背中を預けた。さっと足を組み替え、両手の指を絡めて目の前の大型液晶ディスプレイを眺める。
朝食を食べ終えた花織は、友人の麻生正美とともに移動を開始していた。どうやら大通りのほうではなく、住宅街のほうへと向かっている。
勇二はそんな花織の様子をじっと窺っている。その態度を横目で見ていた睦月は、ずっと疑問に思ったことを口にした。
「勇二様。勇二様にとっては花織さんが優勝しないほうがいいのですよね? そうすれば借金返済分を返すために花織さんを合法的に身近に置くことができるのですから」
一拍の間を置いた勇二は、背もたれに後頭部を乗せて天井を仰いだ。
「そうなって欲しいんだけどね……ちょっと微妙かな」
勇二の答えに睦月は眉根を細めた。一方、勇二はそれ以上何も答えず、大型液晶ディスプレイに映っている花織に顔を向き直した。
そこは薄暗い個室だった。窓がベニヤ板で塞がれているので、日の光があまり入ってこない。好都合だった。身を隠すのに最適な場所だ。
彼はふと周囲を見渡した。天井にはヒビが入っている蛍光灯。コンクリート製の灰色の壁には亀裂が走り、床一面には埃と汚れが充満している。人間が使用しなくなって随分経つのだろう。天井の隅には大きな穴が開いており、先端が切れているケーブルが植物の蔦のように垂れ下がっている。
繁華街の一角にそびえ立つ四階建ての雑居ビル。
それが彼の一時的なねぐらだった。人の気配など微塵も感じない。時折、足元を鼠が徘徊する程度だ。だが、別に気にならない。仕事のときはいつもこうだ。誰にも邪魔されない場所を見つけ、ただひたすらに連絡を待つ。
今もそうであった。彼はズボンのポケットからスマホを取り出した。待ち受け画面に変化はない。つまり、まだ時間ではないということだ。
彼は溜息をつくと、部屋の端にあったパイプ椅子に腰を下ろした。そのパイプ椅子の目の前には小さなテーブルが置かれている。
テーブルの上には、黒光りする拳銃が二挺寝かされていた。
グロック17。グリップとフレームが一体化したグリップ・フレームを強化プラスチックで製作した、軽量の大口径セミ・オートマチック拳銃である。重量が軽いことから持ち運びが便利で、携帯して歩いても気づかれにくいのが利点であった。
彼はそっと二挺の拳銃に手を伸ばした。両手に感じる適度な重さ。とてもこの拳銃の銃口から発射される弾丸で人を殺せるとは思えない。だが、殺せる。確実に。
二挺のグロックを眺めながら彼は頬を吊り上げて笑った。しかしすぐにはっと気づく。
そうだった。この国は拳銃所持が許されていない島国だ。それにこの国の警察は評判とは裏腹に優秀であった。間違っても、勝手な行動は許されない。それで二年前は危うく命を落としそうになったのだから。
彼は拳銃をそっとテーブルの上に戻すと、スマホも一緒にテーブルの上に置いた。スマホの液晶画面には、煌々と時間だけが表示されている。
現在の時刻は十時二十七分。
未だ作戦決行の連絡はこない。
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