第6話

 花織のその声量に野次馬たちは目を見開いて驚愕した。いきなり一からMAXに上げたテレビの音を間近で聞いたようなものである。そして急いで両耳を塞いだがすでにそれは後の祭りであった。

 花織の近くにいた十数人の人間たちは両耳を押さえながら苦悶の表情を浮かべている。おそらくは脳を小刻みに刺激するキーンというつんざく音に悩まされているのだろう。

ただその中で難を逃れていた人間が二人だけいた。

 正美と睦月である。二人とも両耳をしっかりと手で塞いで平然としていた。慣れているのである。

「まったく、毎朝毎朝あんたもよく飽きずにちょっかい出してくるわね! 嫌がらせもほどほどにしておきなさいよ!」

 花織は目の焦点が合っていない勇二を見下ろした。勇二は背中を摩りながらふらふらと立ち上がった。何度も首を横に振って意識をはっきりとさせる。

「それは誤解だよ、花織。確かに最初は不純な動機で君に近づいたり、街中をうろうろと徘徊している人間たちに金を渡して君に対する嫌がらせも敢行させた。それは天地神明に誓って大いに認める。僕は自分に正直なんだ。どうだい立派だろう?」

 勇二は恍惚な表情を浮かべ、両手を羽のように大きく広げた。それは自分を褒めてくれと言わんばかりの横柄な態度であった。

 対して花織は、すでに発射準備を整えていた。

右足を後方へ真っ直ぐ引き、左足は膝が九十度になるように曲げている様はさながら砲台であった。すると勇二の腹部に向けられていた左手は照準の役目だったのだろうか。

では一番肝心な砲弾の代わりは何か? 

右拳である。花織は脇の位置にまで引いた右拳を水平に構えていた。感受性の強い人間が今の花織を見たら感じただろう。右拳に恐ろしい速度で力が収束していく姿を――。

花織は頭の中でカウントを数えていく。

「正拳――」

発射二秒前――。

「中段――」

 発射一秒前――。

「逆突きいいいいいいい――――ッ!」

 花織は叫びともに構えていた右拳を一気に発射させた。それは踏み込み、腰の回転、手首の返しといった正拳突きに必要な要素が見事に合致した瞬間だった。

 ドズンッ! という重い衝撃が勇二の身体を襲った。

勇二の身体はワイヤーで引っ張られたように後方に吹き飛ばされ、二、三度地面を転がりようやく止まった。そのまま大の字に仰向けに倒れてピクリとも動かない。

「ふん、一昨日来なさい」 

 乱れた制服の襟をさっと直すと、花織はもう用はないとばかりに歩き出した。行き先はもちろん学園である。

「ちょ、ちょっと花織ちゃん。待ってよ~」

 一人さっさと校門へ向かう花織を正美は必死に追いかけていく。途中、正美は勇二と睦月を交互に見た。勇二は大の字に仰向けに倒れたままピクリとも動かず、睦月は花織以上に冷めた眼差しでこちらを見ていた。

 正美はすぐに視線を外すと、そのまま花織とともに校門の中へと入っていった。

 注目を浴びていた人間たちのうち二人が舞台を下りた。だからといって周囲でその舞台を観ていた観客、もとい野次馬たちは終始唖然としていた。いったい朝っぱらから何が行われたのかまったく理解できず、ただただ今は勇二の安否に注目していた。

 しかし数分後、ぐったりと倒れていた勇二の身体に変化があった。

 周囲からどよめきが走る。

今まで死んだように倒れていた勇二が、両足を揃えながら腰のバネを利用して立ち上がったのだ。勇二は身体についた汚れを花柄の刺繍がついたハンカチで払う。

「どうでしたか? 今回の出来は?」

 腹部を摩っていた勇二に睦月が近づく。勇二はヒュウ、と口笛を吹きながらシャツとブレザーを少し捲った。

 学生服の下には、漆黒のボディアーマーが着用されていた。

全面部分の裏にはセラミック・プレートが装着され、内側にはトラウマパッド、その二つを坑弾性に優れているスペクトラ繊維で覆っている。しかもそれが制服の上からでもわからないほどに軽量化されていた。

「さすが僕の未来の花嫁だ。ボディアーマーの上からでも衝撃を感じたよ」

 睦月が勇二の腹部に注目する。無表情だった睦月の顔に驚愕の色が浮かんだ。

「やっぱり彼女は最高だな」

 勇二は自分で自分の腹部に視線を落とした。

弾丸すらストップさせるほどのボディアーマーに綺麗な螺旋が出来ていた。それはまるで小型の台風のようであった。花織が近距離から放った正拳中段逆突きである。全体重を乗せながら、呼気と手首の返しが見事に合致していた必殺の一撃。もし生身のまま受けていたら肋骨や内臓器官がどうなっていたかわからない。

まじまじとボディアーマーに残っていた打撃痕を見つめていた睦月が囁いた。

「勇二様……いい加減、彼女のことは諦めてはいかがですか?」

「どうして?」

 勇二は人差し指で眼鏡の体裁を整えている睦月を見た。睦月は落胆するように溜息を漏らしている。

「勇二様と彼女では住んでいる世界が違います。貴方は将来、日本政財界のみならず今まで以上に大道寺の事業を海外に進出させなければいけない方です。それには一流の大学を卒業し海外に留学、欧米諸国で学んだノウハウを生かして大道寺の事業に貢献するのが跡取りの務めです。そんな勇二様には彼女よりも家柄、資産、教養に優れた相応しい女性が必要です。それは決して和菓子屋の娘ではありません」

 一呼吸で言い切った睦月に、勇二はずいっと詰め寄った。勇二と睦月の顔が互いの鼻息が感じ取れるほど接近する。

「睦月さん。この際だからはっきり言っておく」

 優雅なファニーフェイスをしていた勇二の双眸がギラリと光る。

「俺は弓月花織を愛している! 誰よりも誰よりも愛している! 家柄? 資産? 教養? そんなもの知るか! 一番大事なことは俺が花織を愛しているという事実だけだ! そのためには手段を選ばない! 必ず、必ず振り向かせてみせる!」

 これまた一呼吸で愛の告白を言い切った勇二に、次第に野次馬たちからは一斉に拍手が湧き上がった。これで目の前に本人がいればもっと感動的な場面だっただろうが、本人がいなければただの恥ずかしい独白である。それでも嘘偽りも無い勇二の言葉を聞いて野次馬たちは少なからず共感したのだろう。男たちからは「がんばれ」と声援が聞こえ、女子からは「あの女殺す」と怒り狂った声が聞こえてきた。

 溜息をついた睦月はくいっと眼鏡の体裁を整えた。

「ですが、これまで勇二様の花織さんに対する告白回数は小学校から通算して七百二十一戦七百二十一敗です。これは世間一般的な告白回数を大きく逸脱している数字だと思います。率直に言えば見込みがないという結果に……」

「いや! 脈はまだある!」

 勇二は振り向くと、笑顔を向けながら睦月に親指をピンと立てた。そんな勇二を睦月は冷めた目で見つめている。

「何か策でもあるのですか?」

 ふふふ、と勇二は低い声で笑うと、ズボンのポケットから携帯電話を取り出した。巧みにボタンを操作し通話ボタンを押す。相手はすぐに出たようであった。

「ああ、俺だ。例の調査はどうなった? うんうん、そうか。じゃあ、すべて大道寺勇二の名義で回収してくれ……ああ、頼む」

 通話を切った勇二に、睦月が尋ねる。

「今回もまた何か悪巧みをするのですか? そんなことを平然と実行するから彼女は勇二様から遠ざかっていくのだと思いますよ」

「いやだな、睦月さん。俺ももう高校生だ。今までのようにガキみたいなことはしない。どちらかというと大人な悪巧みだな」

「今までの経緯から考えるとあまり成功するとは思えませんけど」

「そんなことはない。かつて大阪夏の陣でも豊臣秀吉は言っていただろう。強敵を倒すにはまずは外堀を埋めろと」 

 勇二は携帯電話を軽快に回すと、さっとズボンのポケットに入れた。鼻歌を口ずさみながら校門へ向かっていく。いつの間にか時間が経ち、普通の生徒の姿もちらほらと見られるようになっていた。

「いってらっしゃいませ、勇二様」

 睦月はきちんと両手を重ねて仰々しく頭を垂れた。やがて勇二の姿が校門の中へ消えていくのを確認すると、周囲に人がいないかを見渡してぽつりと漏らした。

「勇二様……外堀を埋めたのは秀吉ではなく家康です」

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