第4話

 妙に間延びする声の持ち主に花織は「やれやれ」と溜息をついた。

「外で待ってて! 今すぐ行くから!」

 居間から花織は大声で叫んだ。玄関のほうから「わかった~」と声が返ってくる。

「ごちそうさま。そんで行ってきます」

 ほうじ茶を一気飲みした花織は、その場にいた全員に挨拶して居間を飛び出した。そのまま階段を駆け上がり二階に行くと、自室に飛び込み急いで鞄に教科書を詰め込んだ。授業の準備を完了させ、花織はすぐさま階段を駆け下りて玄関に向かう。

「ごめん、待った」

 花織は玄関から外に出ると、そこには竹ヶ峰学園指定のブレザー制服をきた少女が満面の笑みを浮かべながら立っていた。

 外にはねているショートカットの髪型。太い眉に両目は閉じているように細く、ソバカスが微妙にチャームポイントになっていた。身長も花織より少しだけ低く、悪く言えば出るところは出ていない幼児体型の持ち主の少女。

 麻生正美。花織の無二の親友であり大切な幼馴染であった。

「今来たところだよ。お兄ちゃんと一緒に」

「慎太郎さんも?」

 思わず訊き返した花織の耳に車のクラクションの音が聞こえた。

 花織は音がしたほうへ振り向いた。店から少し離れた道路にハザードランプをつけたまま停車していた車があった。黒のゴルフである。

 正美は花織の手をしっかりと摑んだ。

「今日はお兄ちゃんの出勤時間と重なったから送ってもらうことにしたんだ。やっぱり電車より車のほうが快適だしね」

 見かけよりも力が強い正美は、花織を半ば強制的に車に向かって引きずっていく。

 そしてそのまま後部座席に花織を放り込むと、正美はニコニコしながら自分も後部座席に乗り込んだ。

「やあ、おはよう花織ちゃん」

「おはよう、慎太郎さん」

 運転席にいたのは、正美の兄である麻生慎太郎であった。くたびれたブラウンのスーツを着こなし、体格は服の上からでもわかるくらいに横にも縦にも大きい巨漢であった。

 それもそのはず。慎太郎は上山区にある釜田警察署の刑事であり、講道館柔道四段の猛者であった。学生時代は大小数多の大会に出場し、優勝や準優勝といった輝かしい戦歴を残している。だが、顔だけ見るととてもそんな大層な人間には見えない。

 花織はバックミラーに映っている慎太郎の顔をちらりと見た。眉は太く、両目は閉じているように細い。正美と瓜二つである。まるで菩薩相の持ち主であった。

「でもいいの慎太郎さん。釜田署と学園はまったく正反対の場所にあるよ。これだと慎太郎さんに迷惑がかかるんじゃ……」

 申し訳なさそうな表情で慎太郎に言った花織だったが、すでに車は竹ヶ峰学園に向けて発進していた。小道を抜け出て大通りの車線に入る。

「別に構わないよ。可愛い妹の頼みは断れないし、何より拳さんの娘さんである君を送れるなんてこんな嬉しいことはないよ」

 愛車であるゴルフを運転しながら慎太郎は上機嫌だった。花織は気恥ずかしそうに鼻先を人差し指でぽりぽりと掻く。

 拳さんとは、花織の父親であった弓月拳一郎のことである。

 花織の父親である拳一郎は地方都市の一刑事だったにもかかわらず、警察関係者の間では伝説的な人物だったらしい。慎太郎曰く、拳一郎は全国に配属されている警察職員二十七万人の中で最強と言われ、その武名は天下の警視庁にまで響き渡っていたという。

「でもお兄ちゃん、最近は妙に忙しいよね。何か物騒な事件でも起きてるの?」

 正美の問いかけに慎太郎は苦笑した。

「まあな。もしかするとうちの署に帳場が立つかもしれないな」

 その言葉を聞いて花織は首を傾げた。

「帳場? 警察署で何の金勘定をするの?」

「え? ああ、違う違う。帳場が立つっていうのは警察用語で特別捜査本部ができるってことだ。まあ、まだそんな動きはないが、このまま犠牲者の数が増えれば遅かれ早かれ立ち上がるのは間違いないな」

「それって最近この綾園市で立て続けに起こっている連続殺人事件のこと?」

 花織が神妙な面持ちで訊くと、慎太郎は隠すつもりがなかったのか首を縦に振った。

「ひどいものでもう二人目だ……」

 そこまで言いかけたところで慎太郎は言葉を切った。ちらりとバックミラーを覗くと、好奇心旺盛な正美と違って花織が暗い顔をしていることに気がついたからだ。

「花織ちゃん……ごめん、気を悪くしたかい?」

 暗い表情で顔をうつむかせていた花織は、はっと我に返った。バックミラーの中に半分だけ映っている慎太郎に微笑を向ける。

「ううん、別に。気にしてないよ……ただ、ちょっと思い出しちゃっただけ」

 花織はシートに深々と背中を預けた。顔を上げて天井を見る。

 二年前、花織の父親である弓月拳一郎が高柳区にある森林公園の中で死体となって発見された。身体の所々には打撲や裂傷、銃痕が見られたことで他殺だと判明した。しかし、犯人は未だに捕まっていない。

「本当に大丈夫?」

 隣に座っていた正美も、顔色が悪い花織が心配になり声をかけた。

 胸に手を当てた花織は、一度だけ大きく深呼吸をした。時間にして一分。ようやく花織は心身ともに落ち着くと、隣にいる正美にも微笑を向けた。

「ごめんね、心配かけて。本当にもう大丈夫だから気にしないで」

 正美に親指を立てると同時に、車がゆっくりと徐行していく。ふと花織は外を覗くと、ぞろぞろと歩道を歩いている人間たちが見えた。黒のブレザー制服を着た竹ヶ峰学園に向かう生徒たちである。こんな時間に学園に向かうということは、当番か部活動の朝練に参加する生徒たちであろう。

 花織はそんな生徒たちをぼんやりと眺めていると、やがて車は徐行しながら道路の端に寄って停車した。

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