第10話 最後のお願い

翌朝。

駅前ロータリーは夏の陽射しで白く輝き、アスファルトの匂いが立ちのぼっていた。

七時四十五分。紗耶は、もうそこにいた。

いつものカーディガンではなく、薄手のワンピース。その色は、夏空みたいな淡い水色だった。


「おはよう、悠真」

「……おはよう」

 

声が少しだけ掠れてしまう。

彼女は気づかないふりで笑い、まっすぐ俺の目を見た。


「今日のお願いはね――私を好きだと言って」


それはあまりに唐突で、言葉が喉に引っかかった。


「……それ、ゲーム?」

「うん。最後のお願い」

「最後?」

「そう。明日から夏休みだし……もう、このゲームはおしまい」


朝の喧騒が遠のいて、ロータリーの真ん中に二人だけ残されたみたいになる。

俺は深く息を吸って、彼女の目を見返した。


「好きだ。……最初から気になってた。お願いなんかなくても、一緒にいたい」


紗耶は驚いたように目を見開き、それからゆっくりと笑った。

その笑みは、どこか安堵にも似ていた。


「ありがと。……これで、全部そろった」


 ***


放課後。

帰り道の坂を下りながら、紗耶は封筒を二つ取り出した。


「これ、今まで渡したやつ」

「開けてもいいのか」

「うん。もういいよ」


封を切ると、中から出てきたのは小さな写真。

一枚目は、購買の前でパンを手に笑う俺。

二枚目は、傘の下で肩を並べる俺と紗耶。

三枚目は、理科準備室でカメラを構える彼女を俺が撮った一枚――どれも、俺が覚えている場面だった。


「これ……俺、消したはずの写真もある」

「消す前に、こっそり送ってもらってたの。千景さん経由で」

「千景が……?」

「協力してもらったの。最後の日に、全部返すって約束で」


写真を指でなぞると、指先が少し震えた。


「これで、ちゃんと残った。形にも、記憶にも」


 ***


駅に着く手前、紗耶が足を止めた。


「……明日、引っ越すの」

「え?」

「前に言ったでしょ。最後の日、って。明日は私にとって、次の場所に行くための最初の日でもあるの」

 

そう言って、彼女はポケットから小さなフィルムケースを出した。


「これ、現像して。中には私の見た“最後の景色”が入ってる」


「最後って……もう会えないのか」

 

思わず口にすると、紗耶は微笑んだ。


「どうだろうね。でも、会えなくても、覚えててくれたら、それでいい」


改札の前で立ち止まり、彼女は小さく手を振った。


「ありがとう、悠真。……好きだよ」

 

その言葉を置いて、紗耶は人混みに消えていった。


 ***


翌日。

写真屋でフィルムを現像してもらう。

受け取った封筒を開けると、一枚の写真があった。

夕暮れのグラウンド。金色の光に包まれた大きな木の下、振り返って笑う紗耶の姿。

それは、何よりも鮮やかな“最後のお願い”の証だった。


俺はその写真を、そっと机の引き出しにしまった。

――形にも、記憶にも、残すために。

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夏の終わり、君の十の願いを数えながら 星神 京介 @kyousuke_hoshigami

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