僕らの青春リプレイ:彼女がくれた、もう一度のチャンス

舞夢宜人

第1話 ファインダー越しの世界

 その日、佐久馬零の世界は、いつもより少しだけ明るく見えた。

 高校二年、春。鬱陶しいほど晴れ渡った青空の下、グラウンドには体育祭特有の喧騒が満ちていた。メガホンを片手に絶叫する体育委員、クラスTシャツに汗を滲ませて走り回る生徒たち。その熱狂の渦の中で、零はただ一人、レンズ越しに世界を切り取っていた。


 誰にも言えない孤独を抱えていた。

 自分は、誰からも必要とされていない凡人。そう思い込んでいた。だからこそ、カメラというフィルターを通して、自分だけの「宝石」を探していた。それは、ほんの一瞬だけ、被写体が放つ、誰にも見つけられないような輝き。被写体の同意を必ず得るというルールは、彼のわずかな自尊心と、卑屈な好奇心がせめぎ合った結果だった。


「零くん、お疲れさまー!」


 不意に背後から、明るく快活な声が聞こえた。振り返ると、そこにはツインテールの少女、早乙女明香里が立っていた。クラスのムードメーカーで、太陽のような笑顔を絶やさない彼女。汗で頬を少し赤くし、爽やかな風が彼女のツインテールを揺らしていた。零は慌ててカメラを下ろす。


「ああ、明香里……お疲れ」

「零くん、いつも写真撮ってるよね!なんか、楽しそうだなって思って」


 楽しそう、か。確かに、レンズを覗いている間だけは、世界の片隅にいる自分を忘れられた。明香里は零の隣に腰を下ろし、彼のスマホを指差した。


「ねえ、零くんが撮った写真、見せてよ!」


 零は一瞬ためらった。自分の撮った写真を見せるのは、裸を見せるよりも恥ずかしいことのように思えた。しかし、明香里の無邪気な瞳に、彼は抗えなかった。スマホを差し出すと、明香里は目を輝かせながら画面をスクロールしていく。


「うわぁ!これ、すごい!七瀬も葵も、凛桜ちゃんも……なんか、みんなすごく楽しそう!」


 明香里の興奮した声に、零の胸がじんわりと温かくなる。彼女が言う「みんな」の中には、学年一のアイドル藤田七瀬、クールな生徒会長藤原葵、そして、いつも一人でいるミステリアスな少女、月島凛桜が含まれていた。


「ね、零くん。この写真、本当にいい顔してる。せっかくこんなに素敵な写真なのに、零くんだけが持ってるなんてもったいないよ。写ってる本人に渡してあげなきゃ!」


 明香里の提案は、零の予想を遥かに超えていた。彼の「宝石」は、自分だけのものだったはずだ。しかし、明香里の言葉に嘘偽りはなく、純粋な善意に満ちていた。零は、彼女の透き通るような優しさに心を動かされ、躊躇いつつも頷くしかなかった。明香里は、その場で彼女たちのLINEアカウントを零に尋ね、写真の共有を始めた。


「ほら!これで、みんなの携帯にも、零くんの“宝石”が入ったね!」


 明香里は満面の笑みを浮かべた。その笑顔は、どこか寂しげな響きを帯びているように零には感じられた。


 その日の放課後、零は体育館裏の誰も使わない倉庫の裏にいた。明香里との待ち合わせ場所だ。彼女が「ちょっとだけ、二人で話したいことがあるんだ」と言って、零を呼び出したのだ。


 少し肌寒さを感じる夕暮れ時、明香里は現れた。

「零くん、ごめんね、待った?」

「ううん、今来たとこだよ」


 明香里は、昼間の明るい表情とは打って変わって、少し伏し目がちだった。そして、ポケットからスマホを取り出し、画面を零に見せた。そこには、零が体育祭で撮った、彼女の写真が写っていた。それは、綱引きの最中、勝利を確信したかのような、満面の笑顔を浮かべた一枚だった。


「この写真、すごく好き。私、本当はこんなに笑えてたんだなって、零くんに教えてもらったみたいでさ」


 明香里の言葉に、零は何も言えなかった。彼女はふと、スマホをポケットにしまい、零に顔を近づける。


「でも、ね。零くんは、私の本当の顔、知ってる?」


 その言葉とともに、彼女の表情から、いつもの明るさが消え失せた。零は、息をのんだ。目の前にいるのは、誰にも見せることがない、孤独を抱えた一人の少女だった。


「零くん。私の寂しい顔も、撮ってくれる?」


 そう言って、明香里はそっと零の胸に顔を埋めた。彼女の身体からは、汗とシャンプーの混じった、甘い香りがした。


「私、時々、すごく寂しくなるんだ。一人ぼっちな気がして……」


 零は、明香里の震える声を聞きながら、彼女の背中に手を回す。抱きしめ返すと、明香里は零のTシャツをぎゅっと掴んだ。彼女の身体が、零の胸に熱い熱を伝えてくる。零は、彼女の温かさと、自分を求めてくれるその感情に、満たされていくのを感じた。


 夕暮れの校舎裏。人気のない空間で、二人の身体は互いの寂しさを埋めるように、熱を帯びていく。それは、佐久馬零が、他者の「隠された願い」と、自分自身の内なる欲望に初めて向き合った瞬間だった。そして、この一瞬が、彼の平凡な日常を、決して平凡ではない物語へと変えていく、最初のページとなるのだった。

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