第37話 突き落としてしまいまいました

 ジャックの首吊り遺体を見てショックを受けたオリヴィアは、部屋で茫然としていたが、そこへ、ノックもなくドアが乱暴に開けられた。


「こんな呪われた邸にいられないわ!」

 ツカツカと入って来たのはダリアだった。

 騎士たちに地下牢からつまみ出されたダリアは、死んだジャックのことよりも、自分が生き残ることを選んだ。

 それには一刻も早くここから出なければならないと考えた。


 ジャックのことは愛していたが、死んでしまった者はしょうがない。それに、自分に内緒で薬物に手を出していたのは裏切り行為だ。


「ジャックは呪い殺されたのよ、こんなところにいたらみんな呪い殺されてしまうわ、早く逃げなきゃ」

 オリヴィアがいるのを無視して、ドレッサーの引き出しを開けた。そこに食堂から盗み出した銀のスプーンセットが隠されていることを知っていたからだ。


「なにをするつもりなの!」

「退職金代わりにもらうのよ」

「ダメよ、返して! それはシモンズ家が昔から大切に使っているものなのよ」

 取り返そうとしたオリヴィアをダリアは突き飛ばした。


「なにするのよ!」

 尻もちをついたオリヴィアは睨みつけたが、ダリアは怯まず睨み返した。

「侯爵令嬢の私にこんなことをしてタダで済むと思っているの!」

「なにが令嬢よ、ただの我儘娘のくせに! 今までアンタの勝手にどれだけ苦労してきたから! もう辞めるんだから関係ないわ!」


 ジャックが死んでしまった今、もうオリヴィアの機嫌を取る理由はない。ダリアは銀のスプーンセットを手に、オリヴィアの横を通り過ぎて部屋から出て行った。

「お待ちなさい!」

 オリヴィアは慌てて立ち上がり、ダリアを追いかけた。





 夜も更けたこの時間は、廊下の照明も落とされて薄暗かった。もちろん誰もいない。

「誰か! 泥棒よ!」

 オリヴィアは甲高い声を上げながら、ダリアに追いついた。

 彼女の腕を両手で掴んで止める。


「放せ!」

 必死で振り払おうとするダリアだが、オリヴィアの抵抗も激しくもなかなか突き放せない。それでも体格的にはダリアの方が勝るので、オリヴィアを引きずるようにして歩を進めた。


「誰か! 誰か来て!」

 オリヴィアの叫びが静かな邸内に響き渡った。


 ちょうど階段のところまで来た時、

「放せってば!!」

 ダリアはオリヴィアの腹に強烈な蹴りを入れた。

「キャッ!」

 蹴られたオリヴィアは一瞬、ダリアの腕を掴んだ手が緩んだ。しかし、それでも服の袖を引っ張った。


 ビリッ!

 袖の肩のあたりが破ける。


 ダリアはバランスを崩した。

「あっ!」

 その時、足を踏み外して身体が傾いた。


 ちょうど階段を背にして、後ろ向きに落ちる。

 伸ばした手はなにも掴めない。


 オリヴィアの目にスローモーションで落ちていくダリアの驚愕した顔が見えた。

 そして、ゴツン!!

 大きな音がした。


「ダリア!」

 下を見ると、後頭部を強打して仰向けに倒れているダリアが見えた。

 息を呑むオリヴィアの目の前で、ダリアの身体の下に鮮血が広がった。


「キャァァァ!!」

 階下で悲鳴をあげたのは、〝泥棒!〟と叫んだオリヴィアの声を聞いて駆けつけたスーザンだった。

 階段下に倒れているダリアを見、そして、階段上から顔面蒼白で見下ろしているオリヴィアを見た。


 目が合ったオリヴィアは慌てて、

「勝手に落ちたのよ!」

 悲痛な声を上げた。


 そこへランプを手にしたトンプソンが現れた。

「なんの騒ぎです」

 恐怖のあまり立ち尽くしているスーザンの視線を追って、階段下に倒れているダリアを見つけた。


「なんてこと!」

 トンプソンはダリアの元へ駆け寄って、彼女の顔をランプで照らした。

 両目はカッと見開いたまま、素人が見ても即死だとわかる有様だった。

 トンプソンは階上で震えているオリヴィアを見上げた。


 オリヴィアはトンプソンを見て階段を駆け下りた。

「違うの、私はただ」

 オリヴィアはダリアが持ち出した銀のスプーンが散らばっているのに気付き、それを拾い上げた。


「ダリアが盗んだのよ!」

 と言いながら、握ったスプーンを掲げた。


 トンプソンが持っているランプの灯がスプーンに反射して煌めいた。

「ヒッ!」

 その輝きが、トンプソンの目には刃物の煌めきに見えた。

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