春風と共に舞う彼の心

春の暖かな陽射しが庭先に降り注ぎ、梅の花が風に揺れている。


彼は静かに座り込み、目の前に広がる光景をじっと見つめていた。


着物の裾から伸びる細い脚に、少しばかり違和感を覚えながらも、彼はその違和感を楽しんでいる自分がいることに気づいた。


「これ、本当に俺が着るのかよ…」


彼はつぶやきながら、手に持っていた着物をじっと見つめた。


友人の秋人が茶会の準備で着物を着てみようと提案した時、まさか自分が女性の着物を着せられることになるとは思いもしなかった。


しかも、それがこんなに自然に似合うなんて。


「大丈夫だって、意外と似合うんだからさ!」 秋人は笑いながら彼の背中を押した。


その笑顔に安心感を覚えつつも、どこか抵抗感が拭えない。


彼は着物を手に持ちながら、再び鏡の前に立った。


「…なんか、悪くないかもな。」


鏡の中の自分を見つめると、そこには見慣れない姿が映っていた。


白い着物に身を包んだ自分は、まるで別人のようだった。


髪に飾られた赤い花が、女性らしい雰囲気を一層引き立てている。


鏡に映るその姿は、ただの女装という枠を超えて、自分自身を新たに発見したような感覚を彼に与えた。


「おい、準備できたか?そろそろ始めるぞ。」 秋人の声が外から聞こえる。


「ちょ、ちょっと待ってくれ!」 彼は焦りながら、どうにか着物を整えようとするが、慣れない手つきに戸惑うばかりだった。


秋人が扉を開け、中に入ってきた。


「お前、まさかそんなに真剣に着るとは思わなかったよ。似合ってるじゃん!」

秋人の笑い声に、彼の顔が赤くなる。


「ば、馬鹿にするなよ…でも、なんか不思議と落ち着くんだ。」


「そりゃあ、こういう服は特別だからな。お前、意外と才能あるんじゃないか?」

秋人は冗談混じりにそう言ったが、彼はその言葉にほんの少しだけ勇気をもらった気がした。


「まあ、少しの間だけでもこのままでいてみるか。」 彼はそう決心し、深呼吸をした。


外に出ると、風が彼の頬を撫で、梅の花が揺れている。


庭を歩く彼の姿は、まるで昔からこの場所にいたかのように自然だった。


周りの友人たちが彼の姿を見て驚いた表情を浮かべるが、彼はその視線をどこか心地よく感じていた。


「おい、これで本当にお前なのか?」 友人の一人が驚きながら声をかける。


「まあ…どうだろうな。でも、今の俺はこれでいいんじゃないかと思う。」

彼はそう答え、少し微笑んだ。


友人たちは一瞬戸惑いながらも、次第にその場の雰囲気が和らいでいった。


茶会が始まると、彼はその場で落ち着かないながらも、どこか満足感を感じていた。


いつもとは違う自分を見つけたことで、心の中に何か新しいものが芽生えたようだった。


「ねえ、どうしてそんなに自然に振る舞えるの?私たちよりも上手じゃない!」

女子たちが彼に近づき、興味津々に尋ねる。


「いや、特に何も考えてないんだけど…なんか、しっくりくるんだよな。」


「ふふ、それは素敵ね。もしかして、本当にそういうのが好きだったり?」

彼女たちの問いかけに、彼は少し考えた。


「もしかしたら…そうなのかもしれない。でも、まだわからないや。」


彼は自分でも驚くほど冷静に答えた。


彼の中に広がる新たな感情、それは今まで感じたことのないものでありながら、どこか懐かしい感覚でもあった。


茶会が終わり、彼は再び鏡の前に立った。


鏡に映る自分は、もう以前の自分とは違うように見えた。


この姿が本当の自分なのかもしれない、と心のどこかで思う自分がいる。


「やっぱり、これが俺なんだ。」


彼は静かにそうつぶやき、笑顔を浮かべた。


それは、彼が初めて自分自身を受け入れた瞬間だった。


外では夕暮れが迫り、空が淡いピンク色に染まっていた。


彼はその風景に溶け込むように、静かに庭を歩いていった。


梅の花が最後の輝きを放ち、彼の心を優しく包み込んでいた。


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