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  • 06への応援コメント

    全部読ませていただきました。
    まず、子供の頃は平和教育はそんなものでしょう。特に日本は。
    日本は戦後、憲法9条のお陰で朝鮮戦争にもベトナム戦争にも協力しなかった。
    ただ、沖縄を戦艦の補給基地として利用したし、三菱重工その他は武器の部品を作っていた。
    本土は平和ボケし、高度経済成長に邁進してるのだから、戦争なんて忘れて行きますよね。

    私も高校生から平和について自分なりに調べて、看護学生の頃は具体的に活動してました。
    確かに、被害者の話なんですね。
    でも、それは、大日本帝国に対しての被害者であるんだと思ってます。
    多くの二等兵は貧乏な農村の若者でした。家のために男子は兵隊、女は女郎になるしかないそんな時代背景もあったと思います。

    日本人は中国、韓国を植民地にして名前や土地、文化、命を奪いました。
    それは、否定出来ないと思ってます。
    強制連行で祖国から労働力として死んでも構わんと連れて来られた人達。
    本当は祖国に帰りたかったですよ。
    しかし、東西の冷戦で戦争になり、祖国に帰るどころじゃなくなった。
    北は門戸を閉ざし、南はアメリカの傀儡政権が独裁国家を作ってたんですから。
    その人達に帰れとか言うのはアホです。
    故郷に帰りたいから北へ総連に騙されて帰った人達も多かったですね。

    さて、私は自分が知ってることは伝えていきますよ。
    それが平和ボケの日本人に必要だからです。
    私も蛍の墓は苦手です。八月の馬鹿騒ぎも苦手です。

    慰霊祭の精霊流しなどに子供と参加するといいかもです。
    静かに灯籠を流す、ああ、これが平和ってことかなぁで良いと思うんです。


    すいません、長々と。

    作者からの返信

     貴重なお話をありがとうございます。
     強制連行されて日本に来た、だから日本が敗戦したらすぐに祖国に帰った、という判断は分かりやすいですし、実際、日本敗戦直後に中国や朝鮮半島に帰国することを選んだ人々の方が圧倒的に多かったというのは聞いたことがあります。一方で、日本に留まることを選んだ人たちもいて、そのことがかつての私には疑問だったんですよね。それはあまりにも想像力が欠如していたことに端を発し、菜の花のおしたしさんが指摘してくださった当時の政治状況を知らなかった、あるいは知っていても点と点とを繋げてこなかったせいで陥った、本来なら疑問と呼ぶべきでもない疑問でした。
     しかしながら、この日本には今もなおそこで躓いている人がいるからこそ、ネットだけでなくその外でも、「在日外国人は日本で不当に利益や特権を享受している。だから祖国に帰りたがらないのだ」などとヘイトスピーチが行われ、それらが支持されてしまうのだと思います。先の参院選ではそれが参政党の躍進という形で表れたようです。
     差別したがる人は特定の人々に憤っているというより、むしろ被害者意識が強い(好井裕明2015『差別の現在』平凡社新書p.20)とか、攻撃しやすい標的を探しているだけという話も聞きますが――「いま、中国人差別を煽動した者たちは、中国人住民に言及することはない。差別者は差別の対象をころころ変える。新たな標的に定めたのが、クルド人の存在だった」(安田浩一「ルポ 埼玉クルド人コミュニティ 第2回 「標的」の変遷」『世界』2024年9月号、p.99)――、そういう人たちに正面から立ち向かう、あるいは根気強く話を聞いて優しく抱きしめるガッツは、少なくとも今の私にはありません。そのため、このエッセイでは、「強い関心はないけれど明確な悪意があるわけでもない人たち」が、ヘイトスピーチにも一理あるなどと勘違いしないように、また、そういう人たちが勘違いしている現場に居合わせた時に訂正できる言葉を皆さんに持ってもらえるように、微力ながらお手伝いをしたいという気持ちを大切にさせていただきました。真剣に差別と向き合っている方にとっては物足りない内容だったかもしれません。情けない人間でお恥ずかしいです。
     蛇足かもしれず、本文には書きませんでしたが、想像力の欠如についてはネットも影響しているような気がしてなりません。面と向かってなら誰にも言われないような暴言も、ネットでは普通に飛び交っていますし、表情や声が伴えばそこまで傷つかないことでも、文字情報だけだと人の心を深く傷つけることがあります。そうした状況などへの対抗策として、「煽り耐性」などと言うそうですが、ネットの言葉から心を守るためにあらかじめ心の準備をしておくことが、ネットをよく使う人たちの習慣になっているようです。言い換えれば、不快な言葉を切り捨て、発言の経緯を深く考えないこと、他者への想像力を意図的に働かせないようにして自分の心と立場を守ることが、SNS時代の一般的な処世術になりつつあるのです。最近は小学生からスマホを持ったり、タブレットの使い方を授業で教わったりするそうですが、ネットに親しむこと自体が想像力の欠如を加速させるのだとすれば、それは「教育に悪い」と言わざるを得ないでしょう。となれば、我々は意図的にネットの「議論」から離れるよう心掛けた方が良さそうですが、カクヨムで言うことではないかもしれませんね。
     熱意のあるコメントをくださり、ありがとうございました。私からのコメントも長文になってしまい、申し訳ありません。