第11話――暗闇とダンジョンの中で
突然の死がやってきた。
片手に持ったペンライトを前に向けて僅かばかりの視界を照らしながら、暗闇のダンジョン内を必死に走り抜けていた。
俺のもう片方の手で繋いでいたはずの春崎の手はつい先ほどはぐれて空いたままになっていた。
「ハァッ……ハァッ……クソッ!」
荒く苦しくなった呼吸に憤りと怯えの混じった舌打ちを重ねる。
本来なら罠やモンスターの待ち伏せを警戒して進むべきだが、今はそんなことを考えている余裕は無かった。
「――――――ブフッ!」
激しい息遣いと共に背中を滅多刺すような殺気がすぐ後ろから追いかけてくる。
振り返らずともわかる気配。どうやらあの
逃げなければ、逃げなければ、逃げなければ……。
ここまでの間にどれだけ対策を思案しても結局その一つの答えに帰結する。
追いつかれれば終わり、そこで
「――――――っ!」
俺の荒ぶる靴音とみだりに乱れた息遣いが土塊じみたダンジョン内を反響する。
壁に一定間隔に現れる
あまり奥へ進入しすぎると、迷宮根が細くなりすぎて出口の方向が判別出来なくなる弊害がある。だが、そんなことを気にしている場合じゃない。
「グオオオオオオーーー!!」
「んな……!」
いつの間にか自分のすぐ真後ろにまでミノタウロスが迫り、大きな拳が頭上高く降り上げられいた。俺は咄嗟に真横に身体を投げ出して地面に転がると、先ほど自分が立っていた場所にミノタウロスの一撃が振り下ろされ、大きな破砕音が炸裂した。
「…………ブフッ!」
「……な、なんて馬鹿力!?」
大きくめり込みクモの巣状にヒビが広がった地面に、丸太のようなミノタウロスの腕が突き刺さっている。
もしもミノタウロスの攻撃を避けていなければ、今ごろ頭の先からぺしゃんこにされて、あの地面に植え付けられていたことだろう。
「冗談じゃない……!」
ミノタウロスが地面から拳を引き抜くのに手間取っているうちに、素早く立ち上がって再び走り出す。
(早く……出口のルートへ辿り着かないと……!)
横穴が駆け巡る洞窟のようなこのダンジョンには、姿を隠せるような構造物がほとんど存在しない。
強いて言うならば、一定以上の広間に行けは壁や床から突き出した岩石があったりするのだが、人間一人が隠れるには小さすぎる場合が多い。
そもそも、そういう広間は行き止まりにあるケースが多い。
今、もしそんなところに出たりしたら……。
「あ……」
考えている側から、であった。
長い一本道を走り抜けた先に突然視界が開いて、目の前に大きめな空間が広がる。
テニスコート四つ分くらいの正方形の大きさで、天井は十メートルはありそうな部屋。
壁を走る無数の迷宮根の光がが部屋の隅々に行き渡り、奥の端で途切れている。
それはすなわち、そこが行き止まりである事を示していた。
もし次の階層へと続く階段でもあればまだなんとかなったものの、これではもはや袋のネズミ同然だ。
「……グオォッ!」
怒りに満ちた雄叫びを背中に浴び、急いで振り返ってペンライトの光を向ける。
部屋の入口に佇む、赤毛の巨人。
ここまで俺を執拗に追いかけてきたミノタウロスは、興奮と怒気を息遣いに満たして、しきりに吹き荒らしながらこちらに近付いてくる。
「……くっ!」
ミノタウロスを注視しながら慎重に後ろへ退くも、奴が大きく一歩を踏み出すごとに彼我の距離は大きく詰め寄られる。
それはそのまま、俺の残りの命運と直結していた。
程なくして背中に壁が当たるのを感じて、次に横に向かって壁伝いに移動するもミノタウロスは冷静に俺の逃げる隙間を与えぬように追いかけ、そして、すぐに部屋の隅に追い詰められる。
「………………ッ」
目の前で仁王立つ牛頭の化物。
もしかしたらあの巨体の横をどうにか潜り抜けて逃げ出すかも――いや、先ほどの逃走劇でそれは無理だと分かった。
その鈍重そうな見た目に反して奴は素早い身のこなしを見せていた。何せ、すばしっこいダンジョンモモンガですら片手で叩き潰す程である。
ここまでの道のりでなんとか追い付かれなかったのは直線の通路を避け、なるべく曲がり角の多いところを通って来たからだ。
この部屋の隅から通路へ繋がる所までは短くとも二十メートルはある。
その間にあいつの猛進に追い付かれないという保証はない――というより絶望的だろう。
(死ぬのか? こんな場所で)
理解したくなかった現実が目の前に迫る。
どこで間違った? ルート選び? 或いは最初から?
春崎を地下室に入れてしまったこと? そもそも『ダンジョン委員会』の活動を始めてしまったことから?
ダンジョンの危険性は理解していた。だか、まさかこんなことが起きるなんて想像もしていなかった。
何故、最低難易度のダンジョンに最強クラスのモンスターが?
何故、侵入の際ダンジョンの入口からスタートしなかった?
何故、春崎が扉に触れただけでダンジョンに吸い込まれた?
分からない謎が多すぎる。少なくともそのどれもダンジョンの現象として全く聞いたことのない正真正銘の
――いや、そんなこと今さらどうでもいい。
「ハ……ハッ……ハッ……ハッ……」
極度の緊張と恐怖が、全身の震えと寒さと過呼吸を生み出す。
足に力が入らない、壁にもたれたままそのまま地面にヘタレ込む。
脳裏に蘇る、昨日の記憶。
ズタズタに轢き潰された、まるで悪夢のような、痛みの記憶。
「グオォ……!」
奴が近付く。明確な殺意をもって一歩ずつ、地面が揺れる。
「い……いやだ……し……死にたく……」
だって、死んでしまったら……ここで死んでしまったら……。
遥の治療費はどうなる? 誰があいつを助けられる? 正樹叔父さんたちも頑張ってるけど、それじゃあ到底間に合わない。
それに遥を独りきりにさせてしまう。唯一の肉親である、この俺が――。
地面が揺れる。
「…………!」
意識が一瞬途切れた。
まだ、何もされてない。少しミノタウロスが近付いただけだ。
それなのに、俺はもうこの世から魂を投げ出そうとしていた。
「は……はる…………はる………」
うわ言のように妹の名前を呼ぼうとするが、上手く声が出ない。
もはや自分が何処に焦点があっているのかすら分からない。
俺は……俺はここまで情けない奴だったのか?
遥のために、妹のために全てを、それこそ俺の人生の全てを投げうつ覚悟をしたっていうのに。
いざ正念場になってみればこんなところで……こんなざまで……。
何もできないまま――――
「――――――あ」
手の先に何かが触れた。
目の端を地面に向けたら、それは白い光を放つ一つのペンライト。
昨日知り合ったばかりの後輩が俺のために渡した借り物だった。
『こうしたら安心出来るかなって思ったんです。こんな暗闇でも先輩のことを感じられて……それに私のことも感じてもらえて……ダメですか?』
俺の片手にはもう、彼女の温もりは感じられない。
最初は迷惑だと思ったのに、今更ながらあいつの温もりが欲しくなった。
「は…………はる……さき……」
あいつは、今ごろ出口へ向かえているだろうか。俺が教えた通りにしてちゃんと迷宮根を辿って、もし脱出できていたら、助けを呼んでくれたら、俺の亡骸くらいは見つて――。
そんな悲観じみて希望的な未来が浮かぶ中、ふと考えがよぎる。
もし、そうでなかったら?
まだ、この迷宮に囚われていたら?
「グモォッ!」
再び、地面が揺れる。
いつの間にか、俺の震えが止まっていた。
そうだ、言ったじゃないかあいつに俺は。
「必ず……地上へ……」
全身に力が漲る。
「俺が……必ず春崎を……守って……」
生きねば。
「地上へ……帰す!」
そう気付いた瞬間、俺の手に『マーベラスプリティダイナミックライト』が握られていた。
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