第10話――ヘヴンアンド
ペンライトで足元を照らしながら歩き、壁際の迷宮根の方を春崎に指差してみせる。
「春崎、あれを見てみろ」
「あれって……壁ですか?」
「そこに光りながら断続的に繋がった筋があるだろ。あれが
「迷宮根……たしかに言われてみたら木の根っこに見えるような」
「そう、あれはダンジョンを探索する上であいつは大事な要素なんだ」
そう言って、俺は春崎に迷宮根について簡単に説明する。
ダンジョンの壁にて一定の長さに伸びるこの迷宮根には流れが存在し、壁を伝う光の筋が太い部分から細い部分へと流れているように見ることができる。三角形の矢印が壁を這っているようにも見えなくもない。
この細くなっている部分に従ってダンジョンを進めば奥へ、逆に太い部分に従えば出口へと辿り着く。これはこの世界に存在する全てのダンジョンに共通する特徴であり、探索する上で最低限知っておかなければならない基本中の基本である。
「こいつを辿れば必ずダンジョンの出口に着く。万が一俺とはぐれてもこれを頼りに進んでくれ」
「わ、分かりました……!」
半分くらいしか理解できてなさそうだが、なんとか春崎は俺の説明に食らいつくように頷いてみせる。
「けど先輩、私ダンジョンについて詳しくないんですが、ここってそんなに危ないところなんですか?」
「そんなどころじゃない、超危険地帯だ。迷って出られなくなっても助けは呼べないし、モンスターと呼ばれるヤバい生き物はいるし、全世界で毎日のように死人を出してるところなんだ」
「そ、そんな場所の目の前で先輩と先生はSMプレイを……!?」
「だからちげぇって!! いい加減そこからもう離れろ! 呑気にボケとツッコミをかましてられる状況じゃないんだぞ!」
「べ、別にボケた訳では無いんですけど……」
俺が若干ピリついたせいか、ややテンションが下がったように静かになる。
(少し言い過ぎたか……)
もしかしなくても、こんな状況では軽口の一つや二つを言っていないと気が気でなくなるのも無理ないだろう。俺だって、初めてダンジョンに進入した時はかなり足が竦んだし……。
「……一応、このダンジョンは最低難易度のEランクだ。出現するモンスターも最弱だし、装備無しでも十分対応できる。内部の構造も単純で脱出どころか最深部まで探索できるくらいだし、あまり悲観的にならなくてもいい」
「…………」
少しフォローを入れてみたが、背後の春崎は黙ったまま、ゆっくりとした足音ばかりしか聞こえない。さらに気まずい空気が流れているような気がする。
「なんていうか……だからその……俺の言うことを聞いていれば大丈夫だ」
「先輩の……」
「俺が必ず春崎を守って、地上に戻すから。だから安心しろ」
「…………!」
我ながら、多少クサイ台詞だったかもしれない。
実際、そうしてやるつもりではあるが確約は出来ない。なにせ、俺はまだダンジョン探索においては新米も同然なのだから。
だがしかし、か弱い女の子を前にしてそんなこと言えるわけない。
ほんの少しでも頼りになる所をみせて恐怖を和らいであげないと。
「…………フフ」
後ろから春崎の笑い声が聞こえたかと思うと、突然春崎が俺の空いている左腕にしがみついて来た。
「な、なんだ、春崎……?」
「ありがとうございます、先輩。わたしのこと気にかけてくれて。だから、少しの間だけ、手を繋いでも……いいですか?」
「へぇっ、手……!?」
聞き返す間もなく、春崎の両手が俺の手に絡み付いて来た。
細くて長く、それでいて柔らかい指先が優しく俺の指先を包みこみ、それと同時に彼女の豊かな胸がみっちりと肩から二の腕にかけて押し付けられる。
それらの感触と春崎の体温が制服越しに左腕全体に巡り、その熱が俺の左胸から心臓に勢いよく流れ込んだ。
「な、な、なにしてん……だ……!?」
唐突に迫ってきた異性の温もりに、俺はひたすら狼狽えた。
「えへへ、こうしたら安心出来るかなって思ったんです。こんな暗闇でも先輩のことを感じられて……それに私のことも感じてもらえて……ダメですか?」
「え……へぇ……なっ……!?」
身動きがし辛いとか、歩きにくいとか、それらしい理由ならたくさんある。
だが、しかし、俺の少ない人生においてここまで女子と急接近して、なおかつ触れ合うという経験なんてない。
指の間で擦れ合う感触、歩く度に腕の上で何度もくっついたり離れたりを繰り返すクッションのような感覚、更に揺れる春崎の髪の毛から舞い上がる仄かに甘いような香り。
それが俺の平常心を大いに惑わせる。
「や、やめろって……モンスターが出てくるかもしれんだろ……」
「もしそうなったら私がやっつけますよ。こう見えても力には自信があるんです」
「そう言えばさっき封印具を……あれも気になってるんだけど、今はちょっと……!」
ダンジョンへの緊張と、春崎の濃密なスキンシップの気恥ずかしさが合わさって、俺の心臓は限界を迎えようとしていた。
高まりすぎた顔の熱でまともに前が見れなくなり、いよいよヤバさを感じ始めていると、春崎が何かに気付いた。
「……あれ、何か物音が」
「! ……静かに」
春崎が反応するのと同じくして、こちらもその気配を感じ取り、俺はすぐに気恥ずかしさやもろもろを全て意識の外へ追いやって暗闇に集中した。
気を抜くな……ここはダンジョンだぞ。
ペンライトの明かりを奥の方へ向けつつ、春崎を自分の後ろへと立たせ、暗闇の奥へと慎重に歩みを進める。
お互いに息を呑みながら、物音がした方へ向かっていると目の前に小さな何かが暗闇の中から現れた。
「ギギ――!」
「……なんだ、お前か」
極限に張っていた緊張の糸がかすかに緩んでため息が溢れだした。
「せ、先輩。なんかちっこくて丸いのが出てきましたけど!?」
「あぁ、こいつはドグーっていうモンスターだ。このダンジョンではよく見かける」
俺は春崎に解説しつつ、近付いてきたドグーを片足で適当にあしらう。あまり活発的でないのか、足先で小突いただけでコテンと後ろに転がりじたばたともがいている。
「な、なんか動きが可愛らしいんですけど、この子も人を襲ったりするんですか?」
「基本は無害だけど気まぐれに襲ってくることもある。だけど、身体が土で出来ているから素手でも倒せるほど脆い。それに力も小学生以下で攻撃力はまるでない。動きもトロいし雑魚中の雑魚だからそんな気にかけるほどじゃない」
「そうなんですね……。私、てっきりモンスターって昨日の牛さんみたいなものばっかりだと……」
「あんなもんは上級のダンジョンにしか出ない。ここで危ないやつっていったらモモンガくらいだな」
昨日ここでやられかけたのを思い出してなんとなく首根っこが痒くなる。
「モモンガって……木の上から滑空するあの?」
「そうだ、ダンジョンのモモンガは肉食な上に――」
そんな説明をしようとしたその時、再びダンジョンの奥で物音がした。
地面を擦るような、重く大きな足音だった。
「ギギ――!?」
足元にいたドグーが何かに気付いたように慌てて立ち上がり、俺たちの横を通り過ぎていく。
「な、なんだ?」
「――せ、先輩、奥からまた何かが!」
俺の理解が及ばないまま暗闇に目を向けると、奥から一匹、また一匹とたくさんのドグーたちがダンジョンの奥から走ってきてまた俺たちの横を通り過ぎていく。
ドグーの他にもクラヤミトカゲ、オオフナムシ、さらにはダンジョンモモンガまでも様々なモンスターたちが現れては、通路に突っ立つ俺たちには目もくれずにまるで何かに追われるように走り抜けていく。
「な、なにか様子がおかしくないですか、先輩? 一体何が起きて……」
「わ、分からない! こんなこと今まで……」
未知の経験を目の当たりにして判断を決めあぐねていると、ダンジョンに震える足音が徐々に大きくなっていることに気づいた。
「何か……出てきて……」
春崎が呟いたその時、ペンライト明かりがそいつの姿を浮かび上がらせた。
「――――――――」
まず見えたのは二つの蹄。
そして、ダンジョンの天井近くまで高い身長とこちらを見下ろす二本角の猛牛のような相貌。
「え、これ牛さん……」
「――いや、こいつは……」
ありえないと思いながらも、ペンライトの明かりはさらにそいつの姿を捉えた。
真っ赤な毛に覆われた二本足、そして人間のような筋肉質の上半身。
激しい鼻息を撒き散らし、重い足音をダンジョン中に響かせるそいつは、こんな最低難易度のダンジョンに存在していいようなやつでは無かった。
ダンジョン検定の教本の写真でしか見たことがないランクA相当の超凶悪モンスター。
「ミ……ミノタウロス……!」
その名前を口にした途端、はっきりとした冷たさが足元から這い上がって背筋を通り抜けていった。
(何故、どうして、嘘だ、ありえない、だってここは、このダンジョンには――)
頭の中の情報と目の前で起きている状況が全く噛み合わなくて思考が止まる。
ダンジョンでモンスターに遭遇したというのに、次の行動が全く考えられない。
『ダンジョン探索許可証』の試験勉強で学んだ知識が、源先生との『ダンジョン委員会』の活動を通して経験したことが何一つとして役に立たない。
「――――ブルル……」
突然、グシャリと何か鈍い音がして地面に何かが転がり落ちる。
小さな赤い血の塊のように見えたそれはダンジョンモモンガの頭部であった。
「…………っ!」
春崎の声にならない悲鳴がすぐ後ろで聞こえる。
(ヤバい、ヤバい、ヤバい、ヤバいヤバいヤバいヤバいヤバい……!)
激しい動悸と大量の汗、そして震える手足。
だけど、何かしなくてはならない。
そうでなければ、俺たちは死ぬ。
目の前に転がる、
「――――走れ」
「……えっ?」
「走れ、春崎ィ!!!」
踵を返し、春崎の手を掴みながら来た道を駆け出した。
「――――グモォッ!!」
すぐ背後で凄まじい咆哮と共に重い足音が迫ってくるのが聞こえた。
「逃げろ、逃げろ逃げろ逃げろ!!!」
「せ、先輩!!」
真っ暗闇の中、ペンライトの明かりを揺らしながらダンジョンの中を駆け抜ける俺と春崎。
つい昨日あの駅中でリノ・ミノスに追いかけられた記憶が蘇る。
そして、全身を叩き潰された記憶も。
あの時はたまたま運が良かっただけだが、今回はそうはいかない。
本当に誰の助けも望めない、ダンジョンの奥深く。
俺たちは、まさに地獄の真っ只中にいた。
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