戦女神は血を求めるか
雨風しぐれ
序章
Ep.0./Ep.1. プロローグ/雪山のミノタウロスと黒い地層
Ep.0. プロローグ
よくみる夢がある。
自分が自由自在に魔法を使って、周囲の友達にうらやましがられて、尊敬される夢だ。
もちろん、冷めたらそんな現実はない。残酷だと思っても、夢を見ない方法なんてわからない。できるのは現実を受け止めることだけだと自分に言い聞かせていた。
でも、いつしか、このよくみる夢は、本当の自分の夢になっていた。
Ep.1. 雪山のミノタウロスと黒い地層
リザ・リリエンタールはある麓の町から少し歩いた先にある急峻な山脈を登っていた。
頂上付近が季節にかかわらず雪に覆われているような、二千メートルを優に超える標高の高い山々で、地元の人々も深くまで立ち入らないような危険な山だ。
登るにつれて木々の量が減り、岩肌がむき出しになってゆく。山頂に近づくにつれて雪が辺りを覆い隠しはじめ、さらにしばらく登るとあたり一面が銀世界になった。
標高が高くなるとともに風は強くなり、今では突風とも言えるほどに強い風が吹き付けてくる。
そんな中、リザは立ち止まり天を仰ぐ。
「この雪の中で目当てのものを見つけるのは、相当骨よ……」
そう独り言をもらしながら、足下の雪を何度か蹴り上げた。蹴るたびに雪が前に舞い上がった。
「こんな仕事請けるんじゃなかった。請けずに来るべきだったなぁ……」
ため息をつきながら、「めんどうだなぁ」とリザは足首についた雪を手で払う。
リザは白地に青の刺繍が施された丈の長いポンチョを羽織り、フードを深くかぶっている。ポンチョの下は、黒いくるぶし丈のブーツに、太ももすらまともに覆えていないショートパンツと、およそ雪山を登る者とは思えない格好をしていた。
しかし、吐息が凍るほどの低い外気に凍えることもなく、リザはザクザクと雪を踏みならしながら前へ進んでゆく。
山頂付近の急斜面は、露出した岩肌が天をつくようで、側に立つと見上げてもその全容を掴めない。雪の降っていない今でも、遠目にその頂上部を伺える程度で、その大きさは並の登山家では最初の一歩目をも躊躇するほどだ。
そんな急斜面を横目に辺りを見渡していたリザは不意に足を止めた。
「みーつけた」
リザはそう笑みをこぼす。リザが僅かに顔を上げると、両耳のイヤリングがきらりと光った。赤や青、その他様々な色の鉱石が散りばめられた、巧みな細工が施されたイヤリングだ。
その視線の先にいたのは、リザの倍ほどの体躯を持つ牛の頭をもった魔物だった。
岩陰から半身、姿を現したのだ。
二足歩行し、筋肉質な身体には毛の一本も生えていない。雪山で進化し、生息している生き物とは思えない。
「仕事の内容的には、あなたを処理したら終わりなんだけどさぁ。あなたどこから来たの? ミノタウロスを産むほどの地層がここにあるなんて、町の人が知ったらパニックになるでしょ」
そんな独り言を漏らしながら、リザはあたりを見渡す。
完全に姿を現したミノタウロスは、右腕に巨大な斧を持っていた。
リザはその斧を認めると、瞳から光を消した。リザはその斧を凝視する。
「……ねえ、それ、誰から貰ったの?」
ミノタウロスが小さくうなり声を上げ、リザに近づいてきた。
「斧を扱えても、喋れはしないのね。せいぜい声帯を真似れるくらいか……」
もう一度、ミノタウロスが小さくうなり声を上げた。威嚇のようだ。
斧が届く範囲まで、両者の距離が縮まる。
ミノタウロスがゆっくりと、斧を振り上げた。その大きな刃をしっかりと下へ向け、リザを狙っているのがわかる。
「やっぱり知能はあるのね」
斧を使っている。その事実だけで知能があると判断できる。
リザは目を離さない。ミノタウロスが斧を振り下ろすと、リザは半歩右に動いてそれを躱した。
行き場を失った斧は、足元の固まった雪を砕き、細かな破片として辺りに撒き散らした。
斧は雪の中に完全に埋もれてしまっている。
リザはその斧の上に足を置いた。
「私の前に来た冒険者から奪ったんでしょ。使い方は見て覚えたの?」
ミノタウロスが斧を持ち上げようと腕を動かしたが、斧はぴくりとも動かない。低い地鳴りのようなうなり声を上げ、斧の柄を両手で握り、なおも動かそうとしている。
リザは表情ひとつ変えず、なおも問いかけた。
「ねえ、その人は今どこにいるの?」
しかし当然、返事はなかった。くぐもったような唸り声が漏れ出しているばかりだ。
「……まあいいわ。町に下りられても困るし、あなたはここで始末するから」
リザは斧を押さえていた足を軸に、前へ跳んだ。今来た道に向けて追い込めば、地形は分かる。知らぬ道へと逃げられる心配はない。そう考え、ミノタウロスを大きく飛び越し、その後ろへ着地する、予定だった。
「うそっ!」
着地した際、足下の雪がボロッと崩れ落ちた。雪渓の大きな亀裂を、雪が覆い隠していたのだ。それを運悪く踏み抜いたリザは、体勢を崩したまま亀裂の中へと落ちていった。
*
「いったーい!」
突起していた岩に足をかけ飛び降りるように、壁伝いに降りたため、外傷はない。着地する時に足を滑らせ、尻もちをついただけだ。
腰をさすりながらリザは身体を起こした。
日の光はほとんど差し込んでおらず、あたりは暗闇に包まれていた。
「こんな所にクレバスがあるなんて……。ついてないなぁ」
リザはポンチョの中から手を出し、一粒の宝石のような黒い石を取り出した。それを手のひらの上にのせて、目の位置ほどに掲げると、その石がまばゆく光り始めた。
光は辺りを照らし、周りの地形を浮き彫りにさせる。
「落ちたなぁ」
天を仰いだリザがそう漏らしたのは、数十メートル程落ちたのが分かったからだ。
しかしすぐに、リザはそんことはどうでもいいと目の色を変え、少し奥にある岩肌を見やった。
リザの目当てのモノがここにあったのだ。
「すごい……。こんな所にあったなんて」
泥岩や玄武岩などとも違う、ツヤすらない漆黒の地層。光を当てても、その輪郭が捕えられないほどに黒い。両目でしっかりと見ても、まるでそこだけ視力を失ったかのような錯覚に陥るほどに黒い。それほどに黒い地層。
「ここにこれがある、ということは……」
リザの背後から、がれきの崩れる大きな音がした。
「あなたはここを登ったの?」
そこには、先ほどのミノタウロスがいた。驚くことに、数十メートルはあるこの崖を下りてきたらしい。
リザは呆れたかのような声を出した。その視線の先には、後生大事に握られている巨大な戦斧。
「だめじゃない、下りてきたら。その斧が使いにくくなるでしょう」
大きな斧を振り上げて、ミノタウロスは大きな咆哮を上げた。
リザは視線をミノタウロスに向けたまま、黒い地層に触れる。
「ここで死ねば、あなたはこの中に戻れるかもしれないわね。あなたはこの星から生み出された結晶のようなものだもの。他の鉱石と何ら変わらない。変わるとすれば、あなたはそうやって動く、ということくらい。なぜか動いて、なぜか生き物を襲うというだけ」
リザは、その手に持っている光る結晶を、黒い地層に近づけた。
そこから、何かが出てこようとしていた。うっすらと顔のようにも見える。
黒い地層の表面から、粘性の高い液体が滴り落ちる時のように、ゆっくりと出てこようとしている。
「見える? これが、少し前のあなたよ」
その瞬間、ミノタウロスが走り出しリザに詰め寄った。間髪入れずに斧を振り下ろした。
地面が砕けて辺りは煙に包まれた。
「すごいじゃない。さっきとは動きが違う」
どう動いたのか、リザは戦斧の上に乗って笑っていた。
「でも、もういいわ」
リザは前へ跳び、ミノタウロスの顎を蹴り上げた。
ミノタウロスの身体は浮き上がり、後ろへどうと倒れた。
リザはミノタウロスの持っていた斧を手に取った。それを軽々と持ち上げ、肩に担ぐ。
「宝石と呼ばれるものも、土や泥と呼ばれるものも、地層中の全ての成分は変化するの。必ずね。……長い年月をかけて、変質してゆくの」
リザは倒れたミノタウロスの身体の上に立ち、斧の柄を握りしめた。
「あなたの中にある核は、この環境によって変質しているはず。……安心して、私が大切に使うから」
リザは、身の丈ほどもある巨大な戦斧をゆっくりと振り上げ、そして、ミノタウロスの頭めがけて振り下ろした。
血は出ない。
頭を割られたミノタウロスの身体は黒く硬直し、乾いた泥のようにぼろぼろに崩れてゆく。
その中から、白く光る結晶が現れた。
「白い核……。この雪と寒さのおかげかな……」
リザは、その核を拾い上げた。
魔物と呼ばれるこれらの存在は、活動を停止すると黒い地層の残骸として、まるで風化した鉱物のようにボロボロに崩れ去る。生殖を行わないこれらの存在は、もともと生物とは呼ばないのだが、しかし、魔物の持つ知性が議論をよんでいた。
人語を発した例もあるという。
そのため、生物と呼ぶべきではないかとの意見が出ているのだ。
少し前に星が生殖活動を行っているのだという学者がいた。リザはこの話を聞いた時、馬鹿げていると思った。案の定、最近その学者の噂は聞かない。
まあ、事実として、魔物を産んでいるのはこの星なんだけど、とリザは黒い地層を見上げる。
「さて、あとはこの地層を隠せば終わり、なんだけど、これはムリだなぁ。上の雪を溶かしてもいいけど……なんか危なそうだしなぁ。色々と中途半端になっちゃったけど、この地層がみれただけでも、良しとしようかな……」
リザは戦斧を肩に担ぎなおした。
「この斧、もしかしたら……」
リザの落ちた地点から偶然町まで道が続いていた。そのため、崖を登ることなく、下山を果たした。
【用語解説】
*生物の定義:体が膜で覆われていて、代謝をおこない、自己を複製できること
(調べたら沼るので非推奨です☆)
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