藤田大腸雑記集「腸内フローラ」

藤田大腸

私の作品で一番読まれているエピソード

 いきなりこんな話で申し訳ないが、七年前に書いた『500字雑記』のPVが現在3,100なのに対し、「『池袋母子餓死日記』について」が現在1,925PVと半分以上を占めており、カクヨム上での代表作『緑葉の少女たち』のどのエピソードよりも数字が上という異常なことになっている。


 原因としては一時期「池袋母子餓死事件」でGoogle検索すると、一ページ目に出てきたことが挙げられる。今でも三ページ目ぐらいに出てくる。『500字雑記』は文字通り500字以内に収めることを目的としているから内容はほとんど無く、情報を求めて検索して来られた方には申し訳ないとしか言いようがない。


 ところでこの池袋母子事件が起きたのは1996年。いくら不景気だったとはいえ飽食の時代に池袋という副都心で起きた餓死事件であったため、当時は世間を賑わせたにも関わらず、なぜかwikipediaに掲載されていない。


 私は犯罪や事件を取り扱っていたとある個人サイト(現在は閉鎖)で餓死事件の詳細を知り、書籍の購入にまで至った。他にも何と事件の年に作られたホームページ(何のサイトだったか失念した)にも事件の顛末が書かれており、こちらは記事作成者が現場まで赴いて近隣住民にインタビューを行っている。約30年前に撮影されたものなので画像はかなり荒いが、アパートの写真も載せられていた。赤錆なのか元から塗装なのか、赤っぽい建物だったと記憶している。


 わざわざ図書館に行って事件が起きた年の新聞記事を調べたりもした。ネットに記載されている内容とほぼ同じことが書かれていたが、部屋の前にお供え物が置かれている写真が載っているのを見てやるせない気持ちになった。なお前述の古いホームページによると、事件の数年前に亡くなった夫名義の表札がまだドアに掲げられていたらしいが、新聞の写真ではぼかされていたか隠されていたかで見えなかったように思う。日記には夫の月命日にお供え物ができなかったことを詫びる記述もあり、そのことも併せると夫に対する強い想いがうかがえる。


 報道から数日後の記事を読み進めると、複数の週刊誌の広告に餓死事件の記述が見られた。いくら厳しい不況下だったとはいえ、副都心で母子ともども餓死するなんて考えられないことだったに違いない。これほどセンセーショナルな事件であったにも関わらず、wikipediaには一切記載が無いのである。


 しかしながら事件に関する情報は全く無いわけではないので、詳しく知りたい方は検索して調べて頂きたく思います。

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