第30話 共犯者たちのプレリュード

「……あとは任せたぞ、天野」


その、静かで、しかし、有無を言わせぬ響きを持った一言で、僕たちの絶対女王、罵倒女神、黒崎部長は部室を去った。


ん、天野さん?

天野さんに任せる?

僕の頭の中を、その疑問が支配した。


いま書き進めている小説『コンクリートの涙(仮)』。僕と天野さんの共同作業というテイをとってはいても、あくまで作者は僕だ。論理的思考と文章構築能力に長けた、神崎一樹という人材がいなければ、そもそも成立しない。もちろん、ここまで自慢できるような働きをしたとは決して言えないが、黒崎部長の最後のセリフは「あとは任せたぞ、一樹」でなければならないはずだ。


それを、なぜ……。感情の出力しかできない、この不安定な天野さんに、全てを託すような言葉を部長は残したのか。美少女同士の響き合う何かでもあるというのか?


理解不能。論理的破綻。


「おい、凡俗」


僕が混乱していると、背後から、呆れたような声が聞こえた。「見るに見かねてかける声」というものがあるとしたらこういう声のことを言うのだろう。黒崎部長の声真似をしているが、まったく似ていない。


「お前、黒崎がお前にあとのことを任せなかったことが腑に落ちていないご様子だが。まさか、黒崎と天野の関係を何も知らないのか」


カンケイ……とは?

堂島は、いつの間にか食い終わった菓子パンの袋を、器用に三角形に折り畳みながら、僕を見ていた。


「関係って、何をだよ」

「天野と黒崎の関係だと、言っているだろう」


堂島くんは、親指で、天野さんと、部長が去っていったドアを、交互に指し示した。


「中学時代、黒崎部長と天野が、最強のコンビだったって話」


その言葉は、頭を鈍器で殴りつけられたような、強い衝撃を持っていた。

え? なんだって?

僕が聞き返そうとすると、天野さんが、小さな声でそれを遮った。


「……堂島くん、やめて」

「やめてもないだろう。こいつ、このままじゃ何も分からないままだ。いいか、神崎。よく聞けよ」


堂島くんは、まるで面白い講義でも始めるかのように、僕に向き直った。


「黒崎が『物語』を書き、天野が『世界』を描いていた。黒崎のロジックと、天野のイマジネーション。二人が組んで出した合作誌は、当時、あらゆるコンクールを荒らし回った。俺みたいな創作物理班が、その噂を耳にするくらいには、ちょっとした有名人だったんだよ」


初耳の情報が、僕の脳内で処理しきれずにショートする。


「待ってよ。天野さんは、小説を『書いたことがない』って……」

「だから、嘘は言ってないだろ」 と、堂島くんは、僕の言葉を鼻で笑った。

「文章を書いていたのは、あくまで黒崎だ。天野は、その物語の世界観設定とか、キャラクターのイラストとか、そういうのを担当してたんだよ。まあ、設定といっても、最終的に整合性を取るのは黒崎の役目だが。黒崎が骨格を作り、天野がそれに血を通わせる。……ああ、そうか」


堂島が講義を止め、急に笑い出した。


「何がおかしいんだよ」

「だから、お前らが今、やってること。あれは、黒崎にとってみれば、いや、天野にとっても、『お遊戯』みたいなもんなんだよ」


お遊戯。

その言葉が、僕の胸に深く突き刺さる。

僕たちが、ようやく辿り着いた、奇跡のような共同作業。それは、この二人にとっては、とうの昔に通り過ぎた過去の遺物に過ぎなかったというのか。


いや、僕たちでさえない。天野さんというツアコンに引っ張られて、僕ひとりが遺跡めぐりをしていたということか。


「……なんで二人は……天野さんと部長は」


頭の中は混乱したままだが、いまこの時点、天野さんと黒崎部長がコンビを解消しているのは間違いなさそうだ。

天野さんはずっと俯いたままだ。


「さあな。そこまでは知らない」


堂島くんは、興味なさそうに肩をすくめる。


「ただ、二人が最後に組んで作ろうとした『何か』が、とんでもない傑作だったって話と、それを完成させる前に、二人の仲が、とんでもなく、ぶっ壊れちまったって話は、聞いたことがある。どちらも噂だ」


傑作と、決別。


僕の目の前に、あまりにも巨大な、過去の亡霊が立ち塞がった。

しかし、黒崎部長は、なぜ、僕たちに過去を再現させるような真似をしたのか。

そして、彼女が去った今、僕と天野さんは、本当に二人だけで、物語を紡ぐことができるのか。


その時だ。かすれた、小さな声。


「地下……地下文芸部」


天野さんが、小さくつぶやいた。

僕がその言葉の意味を問い返すより早く、異変に気づいた。

天野さんの大きな瞳から、ぼたぼたと、大粒の涙がこぼれ落ちていた。だが、その表情は、ただ悲しんでいるだけではなかった。何かに怯え、同時に、どうしようもない何かに対して、激しく怒っているようにも見えた。恐怖と憤りが混じり合った、僕の分析モデルでは到底分類不可能な、複雑な感情の嵐。


なんだ、それ。

「地下文芸部」って、なんだよ。

黒崎部長と天野さんが、中学時代に最強のコンビだった? 傑作と、決別? そして、この、天野さんの訳の分からない涙は、なんだ。情報が、多すぎる。僕の脳の処理能力を、完全に超えている。思考回路が、焼き切れそうだ。


絶対的な支配者を失った文芸部。残された僕たちの、あまりにも不確かで、あまりにも心許ない船出が始まろうとしていた。


(第一部 完)


ここまでお読みくださったみなさま、ありがとうございました。

第二部でお会いしましょう。

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【罵倒系ラブコメ】文芸部長の黒崎さんは、僕のことなどゴミムシ同然だと思っている。 ちはやボストーク @chihayateiogura

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