再 生

 このところ真之介は、目の前の佐々木啓之進のことを、歳の離れた長兄でもあるかのような感情すら抱いている。

 この感情は奇妙なもので、山本孫兵衛に対する心持ちとはまた別枠の、しいて言うならおのれの孤独のありようというものに向き合ってきた者への敬意、仲間意識といったものであったろうか。

「……先日はおれと仕合しあってくれて、礼をいいにきた」

 啓之進は深々と頭を下げる真之介をみて、口をもぐもぐさせた。けれど、なにもいわない。

 この日、啓之進にとって重大なことを、真之介は告げようとしている。その前振りではないものの、真之介は、山本孫兵衛の向後を見守ってやって欲しいと依頼するところから口火を切った。

「……ここ藪坂の地に来て、初めてこころをゆるすことができた就活仲間なんだ、まごさんは。かれはやっと仕官がかないそうなところまできているんだ。ご存知でしょう、推挙人が、あなたにもかかわりのある中曽根家なんですよ。これも縁だとおもい、よろしくお願いしたい」

 そう真之介が言うと、きょとんとして啓之進は眉を寄せた。なにかを考えようとしているようであった。思念することで答えが見つかるときもあれば、より昏迷へと導かれてしまうこともあろう。良きにせよ悪しきにせよ、ひとは考えることを止めては生きてはいけない……。

「……このところ、よく考えるのです」

と、ぼそりと勝手に真之介は続ける。

「おのれが望んだところで、どうにもこうにもいかないことがある。けれど、ひょんなところから縁が生まれることもある……。佐々木さん、あなたも中曽根家とは縁がある……そして、その縁こそが、これまで佐々木さんを苦しめ続けてきたのだと、ようやく得心できました……」

「…………?」

「十数年前、中曽根の三番目の若君が、こどもの無邪気な思いつきで、佐々木さんと約束事をした……もとより覚えておられるでしょう、その若君の姉上のことです……」

「…………!」

「その約束を、いまこそ果たさんと、三左衛門さまは決意されたようですよ。正式な沙汰はまだだそうです……江戸におられる佐與様のご事情もありましょうから……」

「な、なんと……?」

「はい、実は……」と、真之介は中曽根三左衛門がこれから為さんと企図していることをざっと啓之進に告げた。

「しかしながら」

と、釘を刺すことも忘れなかった。

「……佐與さよ様に、お暇乞いとまごいのお許しがあるかどうかはまだわからないし、また、たとえ、そうなったとしても、いま申し上げたように佐與様のお心持ちもあろうほどに、佐々木さんに再嫁なされるかどうかも、いまは、なんとも申すことはできない……と、さんさまからのご伝言です……」

 真之介は相手の姓や名を略して呼ぶ癖がある。けれどもこのとき三左衛門のことを“三さん”とあえて呼んだのは、なにゆえであろうか。

 ……それは、婚姻を寿ぐ、三三九度の盃にかけたのではなかったか。その寓意に佐々木啓之進が気づいたかどうか……。

「さ、さようでございまするか」

 すこぶる丁寧な口調で啓之進は答えた。

「十数年待った佐々木さんなれば、あと、数年やそこらを待つのは、さほど苦ではありますまい」

「は、はい、ま、まことに……い、いや、大変ありがたきことでございます」

 真之介はおのれの耳に届いた啓之進の感謝のことばを、そよ風のごとく爽やかに感じながらも、ここは意地悪く訊き返した。

「しかと、聴き取れなかった、いま一度、お願いいたす」

「はっ、大変、かたじけなきことでございます」

「さようでありますか」

 それから、計画頓挫していた藩営剣術道場の建築がほどなくはじまる予定であることも真之介は伝えた。

「……初代館長は、藩きっての遣い手である井上善右衛門どのがなられるとか。おれも井上さんとは面識を得たばかりですが、人格者だとおもいます。そして、佐々木さんには、師範代として後進の育成にあたってもらいたい……との三様さんさまからのご伝言です。これもまた、喜ばしきことですね」

「や、は、はい、ありがとうございまする」 

 いつになく明瞭な声で答えた啓之進をみながら、真之介は口元をほころばせた。

 そして、こうもおもった。

 はたして一連の賭けの勝者というものは誰であったのか……と。

 賭けの胴元である中曽根三左衛門であることは確かなのだが、道場建築の費用として、啓之進が諸家から貰い受けた大量の贈答品もその一部に加えられるはずで、そうなればそうなったで、三左衛門一人いちにんが賭けの勝者とは言い難くもなってくる。

 つまりは、希望の灯を射止めた佐々木啓之進が、賭けの勝者ともいえなくはない。

(いやさにあらず……)

と、さらに真之介は考える。

 まことの勝者は、もしかすれば佐與の方様であられるのやもしれぬ……と。

 まだ男と女の心のあやのありようというものを知らない真之介は、そんなことまで妄想が広がっていったことに気づき、とつぜん首を左右にふった。なにごとも考え過ぎはよろしくない。そうおもった真之介のなかを清々しい一陣の風が通り抜けた……。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る