愛の無法者(蛇足)


 弁護士視点のお話です。


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「あなたの眼の色と同じ、胡瓜きゅうり色ですね」

 目の前の少女にそう言われた瞬間、オスカー・モリスは恋に落ちた。


 場所はモリス伯爵のタウンハウス。オスカーはモリス家の顧問弁護士であるため、定期的にこのタウンハウスを訪問しては伯爵と面会していた。

 夏の暑い時期だった。モリス邸の玄関の前に着いたオスカーは、屋敷に入る前に身だしなみを整え、額の汗をハンカチでぬぐった。その時、強い風が吹いて、オスカーの手からハンカチが飛んで、玄関近くの藤の木の根元に落ちた。

 花の時期が終わって葉を茂らせ緑色の豆莢を垂らしていた藤の木の根元には、見慣れぬ少女がいた。栗色の髪の少女はハンカチを拾い、オスカーに歩み寄ってハンカチを返した。


 オスカーが礼を言うと、少女は笑って、

「あなたの眼の色と同じ、胡瓜色ですね」

と言った。ハンカチの色のことだと気付いたときには、少女は庭の奥に向かって去っていた。


 薄緑色ペールグリーンの眼のことを『冷酷そう』とか『冬の池に張った氷のよう』と言われたことはあったが、胡瓜に例えられたのは初めてであった。そのことに気付いたオスカーは、自分でも理解できない心の動きであったが、少女に恋した。


 玄関で出迎えた家令に見慣れぬ少女のことを聞くと、家令は、

「それは先日アーネスト様の婚約者となられたリディア・グレイ伯爵令嬢でしょう」

と答え、彼の恋は終わ―――らなかった。


 彼は幼少期から物にも人にも執着が薄いと思われていたが、それはどうでもよい物や人だったからであり、本当に好きなモノには徹底的に執着した。

 婚約者がいようと夫がいようと関係ない。

 オスカー・モリスは、リディア・グレイを手に入れることを決めた。


 なお、彼はモリス家の顧問弁護士のため、アーネストとリディアの婚約の契約にも関わっていたが、グレイ家の調査と書類の作成しかしていなかったため、実際のリディアを間近に見たのはこれが初めてであった。


 手始めに彼は、改めてリディア・グレイとグレイ伯爵家のことを徹底的に調べた。


『リディア・グレイ伯爵令嬢、16歳。グレイ家次女。家族構成は両親と姉1人兄1人。姉は結婚して家を出ている。趣味は読書。好物は胡瓜。アーネスト・モリス伯爵令息と婚約中』


 社交界デビューしたばかりの少女なんて、調べても分かることは少ない。グレイ伯爵家も調べたが、特に後ろ暗いことのない普通の伯爵家だ。ただ、領地が北の寒冷地にあって農業に向いておらず、磁器窯を擁しているがこの窯の製品はあまり人気がない。やや経営難の領地のようだ。


 オスカーの興味を引いたのは、グレイ伯爵が娘たちの結婚相手に爵位持ちや爵位を受け継ぐ立場の者を望んでいるという報告書の一文であった。昨今は貴族の力が弱まり、身分違いの結婚も多くなり、恋愛結婚上等と言う風潮があるが、グレイ伯爵はそうではないらしい。報告書によると、彼の妹が商家に嫁いだが、習慣の違いから婚家に馴染めず、心を病んで実家に帰って来たそうだ。どうやらその経験が、彼に身分差のある結婚を忌避させているようだ。


 爵位を得て、リディア・グレイを得る。


 オスカーの方針は決定した。幸い男爵位は金で買える。爵位を得る根回しをしつつ、オスカーはリディアとアーネストの婚約を穏便に破棄させる計画を練った。期限は2年後。アーネストが大学を卒業し、リディアと結婚するまでの時間だ。


 しかし、彼の計画は、途中で大幅な方針転換を迫られることになった。


 モリス伯爵夫人、アーネストの母親が、とんでもない女との縁談を持ってきたのだ。


「オスカー、こちらはイザベラ・ハーディーさん。うちで行儀見習いをしている娘さんよ。お互いタウンハウスで顔を見たことがあるんじゃないかしら。あらまあ、なんて似合いの美男美女」


 王都の高級レストランの個室にオスカーがモリス伯爵夫人によって呼び出されたのは、アーネストとリディアの結婚を1年後に控えた秋のことであった。レストランには、夫人の他に、ストロベリーブロンドの美女が1名いた。


 レストランでの食事会は、ほぼほぼ夫人が喋り倒し、オスカーが相槌を打ち、たまに夫人に話を振られたイザベラが答えるという形で進み、夫人はデザート前に用事を思い出したと席を立ち、「あとは若いお二人で」と言って帰って行った。


 食後のコーヒーを飲みながら、オスカーはイザベラを観察した。たしかに美しい女だ。だが彼女との結婚は御免こうむるとオスカーは思った。オスカーにリディアと言う想い人がいなくても、イザベラだけは無理である。


 性格的に合わないというのもあるが、それ以前に、イザベラはアーネストに惚れている。彼女がアーネストにぞっこんである事は、タウンハウスに暮らす者は皆分かっている。アーネストだけは謎の鈍感力を発揮して「ただの幼馴染」などとほざいているが。


 いや、オスカーの見るところ、アーネストもイザベラに惚れている。自分で自分をごまかして「ただの幼馴染」と言っているのは、いずれ他の女と結婚して家を継がなければならない嫡男としての責任感のなせる業か。


(……面倒くさくなってきたな)


 息子に近づく女と変な噂のある親戚をくっつけて、まとめて厄介払いしようとするモリス夫人の暴挙に、オスカーは静かにブチ切れた。彼は、計画を大幅修正することにした。彼は当初、各方面に配慮して、時間をかけた穏便な婚約破棄を目指していたが、可及的速やかで劇的な婚約破棄に方針を変更した。


「……あの」


 コーヒーを飲みながら計画を練るオスカーに、今まで置物のように静かに食事をしていたイザベラが話しかけた。


「あの、奥様の持ってきてくださった縁談を私から断ることはできません。オスカー様から断っていただけないでしょうか。その、オスカー様は女性との結婚を望んでいないと聞いたことが……」


 イザベラの言葉から、彼女もを知っていることが分かった。


 数年前、オスカーは商家の令嬢からのお誘いを断ったことがある。オスカーは、女性とは玄人とも素人ともそれなりに遊んだことがあるが、この令嬢に手を出してはいけないという勘が働いた。彼女の粘着質な気質が、後々トラブルを呼びそうだと感じたのだ。

 評判の美人で取り巻きも多い令嬢は、自分の誘いを断る男がこの世に存在することに衝撃を受けた。令嬢は、オスカーが同性愛者であると言う噂を流した。名誉棄損で訴えようか迷ったオスカーだが、噂が良い方に作用して、当時彼を悩ませていた山のような縁談がピタリと来なくなった。気を良くしたオスカーは噂を放置した。


「……私の方からこの縁談を断ることはありません」

 オスカーは、微笑んでそう答えた。


「え。でも」

 狼狽えるイザベラに、オスカーは優しく答える。

「あなた、邪魔なんです。私と結婚すれば、あなたはアーネストにちょっかい出すことはできなくなるでしょう。私は自分の人生を犠牲にしてでも彼を守りたいのです」


 イザベラは青ざめた。

「あなた、アーネストの事を……!」


 オスカーは微笑んで答えない。沈黙は肯定だ。内心は(そんな訳ねーだろ!ボケ!)とツッコミの嵐が吹き荒れているが、決して顔には出さない。


「アーネストに手出しはさせません!」

 イザベラはそう叫び、立ち上がってレストランを出た。

 オスカーは給仕を呼び、コーヒーのお替りを頼んだ。


*****


 それから、オスカーはモリス邸を訪問するたびにアーネストに会いに行き、イザベラが見ているときはことさらにアーネストに身体的に物理的に接触した。それは親戚の成人男性同士がやるには濃厚すぎるスキンシップであったが、アーネストは安定の鈍感力で(何か妙に触ってくるな。寒いのかな)と気にしなかった。


 しかしそれを見たイザベラは、アーネストが(性的に)狙われている!と恐れた。


 なぜかオスカーとアーネストの絡みは、モリス邸の女中たちの間で評判になり、イザベラに見せつけるためにオスカーが「あ、まつ毛にゴミが付いているよ。目を閉じて動かないで」などと言ってアーネストのまつ毛に触れる様子を、女中たちが鈴生すずなりになってドアの隙間から覗くようになった。サボっていないで仕事しろ、とオスカーは思った。


 『自分とオスカー悪魔の結婚の予定』、『アーネスト想い人リディアライバルの結婚の予定』、『オスカー悪魔によるアーネスト想い人に対するセクハラ』という3つのストレスに日々晒され続けたイザベラは、ある日ついに負荷が彼女の忍耐力を上回った。


 それは晩秋の星の綺麗な夜であった。イザベラはアーネストの寝室に侵入し、自分と一緒になってこの家を出るように迫った。彼女の迫力に押されたアーネストは頷き、幼馴染の2人はついに結ばれた。


 アーネストは官吏の採用試験を受け、家を出る準備を密かに進めた。やがて春になってイザベラの妊娠が分かり、アーネストは計画を前倒しにし、自宅のお茶会で婚約破棄宣言をした。この茶番は、迷惑をかけることになるリディアに対するアーネストのせめてもの誠意のつもりであったが、この事件は彼女を『婚約破棄サレ令嬢』として一躍有名にし、かえって彼女に迷惑をかけることになった。


 お茶会での婚約破棄事件など、予想外のことも多かったが、事態はおおむねオスカーの思い通りに動いた。アーネストが家を出て、爵位はオスカーの父親に受け継がれることになった。オスカーは唯一の男児であるため、爵位は自動的にオスカーの物になる。


 オスカーは、リディアに結婚の申し込みをするタイミングを計るため、グレイ家の御者を買収した。彼はリディアの外出の予定などをオスカーに伝えた。ある日、御者はオスカーの事務所近くにリディアが来ていることを報告に来た。オスカーは偶然を装ってリディアに接触し、侍女と3人で酒場に入った。


 オスカーはリディアと仕事を介して交流し、ちょうど良い頃合いを見計らってグレイ伯爵にリディアとの結婚を打診した。彼とリディアは婚約し、結婚し、やがてモリス伯爵夫妻となった。


 このようにオスカーが暗躍していたことを、リディアは知らない。オスカーも知らせるつもりはなかった。


 後世の歴史書で『茶会の革命家』と呼ばれることになるモリス伯爵夫人リディア。彼女の偉業の陰には胡瓜色の眼の夫の支えがあったことは意外と知られていない。

 彼女によって、紅茶と喫茶習慣はアルビオン王国を代表する文化となり、1枚の茶葉も自国では生産していないのに、王国は『紅茶の国』として世界的に有名になった。


 『革命』と呼ばれるような変革を為す過程では、変化を恐れる上流階級、既得権益を持つ商売敵など、さまざまな敵が現れた。モリス伯爵オスカーは、妻の敵を、脅したり懐柔したり、あるいは社会的に抹殺したりした。


 夫の献身に気づかないリディアは、自分が革命家と呼ばれていることを知り、呑気にも

「革命ってずいぶん簡単にできるものなのね」

などとほざいた。

 もし、既存の枠組みを破壊せんと日々努める世界中の有名無名の革命家が彼女の発言を知れば、

「革命なめんな」

とツッコミを入れたことであろう。


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 真の『愛の無法者』はイザベラではなくてオスカーでしたというお話。イザベラはどちらかというと被害者。

 リディアは調理された胡瓜しか知りません。彼女の言う胡瓜色は胡瓜の果肉色。

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婚約破棄されてヌン活に走った令嬢の話 良宵(よいよい) @yoi_yoi

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