第2話
西園寺麻子からの着信は、倉庫で古い資料を返却した翌日の午後だった。
スマホの画面に浮かんだ名前を見た瞬間、亮介はほんの一拍だけ親指を止めた。
彼女と最後に会ったのは一年ほど前。報道部を辞める少し前に、取材帰りの打ち上げで顔を合わせたきりだった。
あの夜、雨に濡れた駅前のコンビニ前で、傘を片手に「私は諦めない」と呟いた麻子の顔が、不意に思い出される。
「三浦さん、明日、時間ありますか?」
電話口の声は落ち着いていたが、どこか急いているようでもあった。
「局の倉庫で変なものを見つけたんです。説明より、見てもらった方が早いと思って」
翌朝、亮介は局へ向かった。
初秋の空は薄く曇り、ビル風が街路樹の葉をかすかに揺らしていた。
駅から局までの道は、かつて毎日のように通ったはずなのに、歩く速度や視線の高さが少し変わっていることに気づく。
十年前は機材を抱えて小走りし、遠くのビルの窓に自分の姿を見つけても気にも留めなかった。
今はポケットに片手を入れ、信号待ちのあいだに煙草を一本吸う余裕がある。
変わったのは、自分か、街か──。
局の外壁は以前と変わらず、白タイルの継ぎ目に雨染みが地図のように広がっている。
入口の自動ドアが開くと、受付の奥からは書類をめくる音と、遠くの電話の着信音が混ざって聞こえてきた。
エレベーターの中は少し埃っぽく、金属の手すりが冷たい。
四階で扉が開くと、報道フロア特有の雑多な音が一気に押し寄せてきた。
記者が机越しに声を張り上げ、パソコンのキーボードが一斉に叩かれるリズム。
その喧騒の中、打ち合わせ室の前に麻子が立っていた。
以前よりも髪を短く切り、深いネイビーのジャケットに身を包んだ麻子は、少し痩せたように見えた。
笑顔は浮かべたが、その目の奥には張り詰めた光があった。
「来てくれてありがとうございます」
「こっちはヒマだからな。で、何を見せたいんだ?」
打ち合わせ室の扉を閉めると、外の喧騒は嘘のように遠ざかった。
窓際のブラインドは半分閉じられ、午後の薄い光が床に淡い縞模様を描いている。
机の上には、ビニール袋に入った数本のVHSテープが置かれていた。
麻子は袋から一本を取り出し、ラベルを見せる。
『2002年 未放送』──端に小さく「再生禁止」と赤ペンで書かれている。
「これ、昨日見つけたんです。古い棚の奥にまとめて置かれてて……一本だけ見たら、ちょっと普通じゃなかった」
麻子はそう言い、ポータブルの再生機をセットした。
テープが差し込まれると、カチリと軽い音がして、画面が暗転する。
ざらついた映像が浮かび上がる。そこは廃工場の内部だった。
視界は暗い通路をゆっくり進み、壁の剥がれた塗料や、落ちた鉄片が照明の光を鈍く反射している。
カメラの高さは低く、歩幅も狭い。時折、呼吸のような音がマイクに触れる。
工場の奥で、金属音が一度だけ響いた。視界がそちらに向く──が、何もない。
そのまま視界が前進し、やがて一枚の錆びた扉の前で止まった。
映像はそこで途切れ、モニターが青に戻る。
「この廃工場、覚えてます? 二〇〇二年の失踪事件。あのときも結局何も見つからなかった」
麻子は声を低くした。
「映像の日付、事件の発生日と一致してるんです。偶然にしては……」
亮介は腕を組み、視線を画面に落とした。
工場の通路を進む揺れ方や、左足をわずかに引きずるような動きが、妙に既視感を呼び起こす。
誰に似ているのかは分からない。ただ、頭の片隅にざらついた感覚だけが残った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます