第9話 服装

 三人はローブやマントを捲り上げ、背袋を降ろした。キャンバス地みたいな素材で薄いランドセルという感じだ。橘花くんに拠ると、両肩で背負う袋は18世紀の軍隊が使い始めたものらしい。中には巾着袋がひとつだけ。お金が入っている。銀色に輝く硬貨が9枚、少し赤っぽい硬貨が10枚。わたしの【商売】の出番ね!


四協帝国クアドリオンの硬貨ね。銀色の方が銀貨で、小さい方が大銅貨。貨幣価値は…身分証を持っていないと町に入る時は税金が必要とか、町中で商売するには許可と納税が必要とか、そういう基本的な知識は分かるけれど。雑魚寝の安宿が大銅貨5枚くらい、食事は銅貨数枚から食べられるみたい…銅貨が30円とか50円くらい?」

「璃花、助かる!…単位は十進法でいいのよね?」


「ごめん、百桃、そこからよね。銭貨10枚で銅貨、銅貨10枚で大銅貨、大銅貨10枚で銀貨、銀貨10枚で大銀貨、大銀貨10枚で金貨、金貨10枚で大金貨ね。銭貨と大金貨は殆ど使われていない。商会とか貴族とか、大きな組織は証文で遣り取りしている。でも【商売】をとらなくても十進法と推測できる組み合わせで用意してくれるなんて、親切な神様よね」

 もし十進法ではなかった場合は、自然に計算できる能力をいただけたのかな…?


「一人あたり5万円以下とすると贅沢はできませんね。硬貨は、きれいに刻印されていますよね。この世界の鋳造技術は、かなり進んでいそうです。鉱人の金属加工技術が高いのかもしれませんね」

 そうなのよね。現代の地球でも通用しそうな、完璧な硬貨に見える。


「表面は…麦と杖と剣と槌の組み合わせ? これは人類四種族の象徴かもしれませんね。縁周りにぐるりと彫られている文字は…S.P.Q.R.みたいな略号でしょうか。裏面は、四本の角か牙の組み合わせか…これは確か…」

「この世界…帝国にも麦と稲があるみたいよね? 直訳が不思議だけれど…」


「そうですね…麦が「剥き」で稲が「尾如おごとし」…でも銃や気球の反応が微妙だったのとは違って、はっきりと「麦」「稲」と反応しますよね。それに【博物学】による外観や性質の情報でも、ほぼ同じ穀物と思います。稲は細長いので長粒種みたいですが。御酒花さん、【調理】ではどうですか?」

「それが、麦を使ったお料理ばかり反応するの。麦を食べる方が多いのかな」


 日本人としては、稲が存在するのは嬉しい。続いて腰に挟めるようになっている、四角くて平らな革水筒を取り外した。金属の枠に革を貼った感じ。蓋も金属製で、螺旋式で閉まっている。中身を確かめると水がたっぷり入っていた。神様が用意してくださったものだし飲めるのよね?…橘花くんが率先して飲んでくれた。


「神様の下賜水が純水だったら美味しくないのではと心配しましたが…これは純水どころか、味と香りがありますね。ごく薄いお茶のような…そう言えば、水魔法で出せる水の味を確かめていませんでした」

 橘花くんは水筒を腰に戻すと、右手に持った杖で左手の掌の上に【水滴スフィラテ】で水を出して舐めて、首を傾げた。

「何となく違和感があるような気も…魔法水は、やはり純水かもしれませんね」


「あっ…わたし、魔法の水は不味いから「甘苦茶」の乾燥葉を一枚入れると良い、って知識があるよ。甘苦茶は胃腸薬としても使われているの」

「そうですか。純水の味に違和感があるのはミネラル分が無い所為ですから、お茶にしてしまうということですね」

「…あの、私の水筒のお水は…味がしないのに変な感じがする…」

 百桃が自分の水筒から飲んだのだろう、微妙な顔をしている。


「まさか【魔術士の装備】の水筒の水は甘苦茶葉入りで、【魔物狩の装備】の水筒は純水で用意してくれたってこと?」

 わたしも自分の水筒から水を飲んでみる。確かに、微かな苦みと甘味…緑茶が甘く感じるときの甘さではなく、花の香りに近いような鼻に抜ける甘さを感じる。

「…あの神様って、変なところで、すごく凝り症なのかもね」

 顔を見合わせて笑った三人は、続いてお互いの衣服を確認していった。


「服装は結構ちゃんとしたのを着せてくれたよね」

 わたしと橘花くんは【魔術士の装備】なので、膝下丈くらいの動物素材の生地のフード付きローブは同じ。その下は、わたしは丸襟で丸ボタンの長袖ブラウスに膝上丈のキュロット。そしてブラウスの上に、ボディスと言うのだっけ、胸元が大きく開いていてお腹のところを何段もの横紐で締めた服を重ねている。


 橘花くんは、わたしと同じような角襟の丸ボタン留め長袖シャツに、横紐で閉じた普通のベスト。ボディスやベストがこの世界の魔術士の服装なのだろう。下は少しゆとりのあるスラックスで、二人とも膝下丈の革製の編上げブーツを履いている。衣服に装飾は何も無いけれど、厚手のコットン風の植物素材だ。生地も縫製もしっかりしていて、日本で売っていても違和感が無いくらい。


 一方、【魔物狩の装備】の百桃はユニセックス風。マントはフード無しで前にも回して留められる。上衣は長袖の詰襟で股下まで。胸の真ん中はジッパーで?と思ったらボタンが隠れる比翼仕立てだった。体に密着したウール素材のニット風生地で、腰は革ベルトで引き絞られているため凹凸が強調されている。下はスキニーなパンツスタイルで、やはり膝下丈の革製の編み上げブーツだ。


 …わたしのボディスも胸を強調するデザインなのだけれど。何気ない風を装って、そっとローブの合わせ目を戻す。チラリと橘花くんの方を窺うと、目を向けないようにしてくれているのが分かる。わたしの視線に気付いたのか、慌てて否定するように首を横に振りつつ、話し始めた。


「え、ええと。魔物狩の服装は男女差が無いのでしょうね。ジャンヌ・ダルクの罪名には「男装をしないという誓約を破った」というのが含まれていましたが、四協帝国は、その点は厳しくなさそうですね」


 現代日本に比べると、やはり男尊女卑があるだろう。それでも、戦えるならば女性でも魔物狩として歓迎されるということなのかも。女魔術士のわたしもキュロット姿だし、前線に出ることを想定している気がする。


「男女の服装差を気にする余裕が無いほど、魔物の対処に迫られているという言い方もできるけれど。長いスカートを履いたまま魔物に立ち向かわねばならぬ、と言われないだけいいかもね」


 いよいよ出発だ。橘花くんは最後にチラリと反対側を見たものの、後は振り返りもせずに壁が見えた方角へ歩み始めた。わたしと百桃が真ん中の石畳を進もうとしたら、脇の砂利道を歩きましょう、と制した。「ローマ街道と同じだとすると、中央の石敷は馬車用で両脇の砂利が歩道だと思いますから」とのこと。


 彼の【探知】を頼りに意識を周囲に向けて警戒しつつ、速足で砂利道を進む。踏み固められているのか、意外と音がしない。石敷きは幅4mくらいで、勾配があって真ん中が高くなっている。砂利の溝を挟んで両側の歩道は幅1mくらい。溝は排水のためかな。【探知】は集中する必要があるそうなので、会話が途絶えた。


 街道の両脇は基本的に草地が広がり、その奥に藪に囲まれた木々が生えているだけの風景が続いている。梢を揺らす涼しげな風が、遠くから鳥か何かの鳴き声を運んでくる。緑に溢れている程ではない。でも枯れた感じでもない。季節は春先? 魔物の出現が怖いけれど橘花くんは何も言わないし、動物も見掛けない。


 ふと、後ろを振り返ってみた。道はあの土手のところで曲がっているから、遠くまで見通すことはできない。先程、少し感じた後ろ髪を引かれるような気配も、分からなくなってしまった。三人の足音がザッ、ザッ、と木魂している。とても静かな…いえ、少し寂しいくらいの…雰囲気だった。


 わたしと百桃は橘花くんの後ろで並んで歩いているけれど、百桃の胸が存在感を主張している。大きくなったとは言え、決して畸形的ではない。見事なのにバランスは保つ絶妙なサイズ感だ…そうね、種族特性なのだろう、歩く動作にも切れがあるというか伸びやかに弾む感じなので、余計に目立つのかな。


 元から百桃はスタイルだって良かった。身長は低いけれど、お顔が小さくて手足も長くほっそりしていたから、小さい子に有り勝ちな寸詰まりした感じは全く受けなかったもの。本人は胸のサイズを気にしていたけれど、小柄で体の厚みが無いから数字が小さいだけで、しっかりと谷間もあった。


 そのスタイルが抜群になっている。体にピッタリした服装ということもあって、マントの影なのにお尻もきれいに膨らんで上を向いているのが分かる。でも細かった腰が更にきゅっと引き絞られたから大きく見えるだけかも。脚だって長い上に太過ぎず細過ぎず、完璧な脚線美を誇示している。【美形】って、すごい!


 誰とも会わずに歩いているうちに、太陽の位置は初めて確認した位置より高くなったかな? やがて道の先に茶色い木製らしい塀に囲まれた町が見えてきた。道々、三人で話し合った注意点などを小声で再確認しながら、石造りの二階建てで金属製の扉が左右に開いている、立派な門に近付いていった。

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