第4話 言語
「そういえば、わたしたちは「共通語」を話しているのだけれど…」
わたしは手近にある石を拾うと、草が切れて茶色い土が出ている場所に屈みこみ、この世界の…いえ、恐らくは帝国の…言葉である「共通語」で自分の名前を刻んだ。アルファベットのような表音文字。全部で28字ある。初めて見るのに馴染みがあって、すらすらと出てくるのは変な感覚だ。
自分の名前の下に、こちらの文字で国の名前を綴る。何故か「四が力合わせし帝の国」と書いたのが分かる。同時に頭の中では「四協帝国」という漢字が浮かんできて「クアドリオン」と英語っぽい響きに音訳されるのだ。自分の発音も自動変換されている。これが恩寵として与えられた言語の理解の仕方なのだろう。
「なんとも不思議な感じね…」
「地球と似た概念の言葉は、なるべく漢字で…つまり表意文字を当て嵌めて…翻訳してくださっているみたいですね。恐らく、あの神様のご配慮なのでは」
「橘花くん、それってつまり、どういうこと?」
百桃が小首を傾げつつ尋ねる。か、可愛すぎる…。
「ええと、うまく説明する自信が無いのですが…常用漢字は確か2000字くらいで、仮名文字が100字くらい。アルファベットは26字ですから、日本語を使えるようになるために覚えなければならない文字数は、英語のような表音文字の言語と比べると膨大です。でも、ひとたび覚えてしまえば、新しい単語に触れたときに、漢字から意味が推測できます」
う~ん、何となく分かるような、分からないような。
「…そうですね、例えば…英語の「パイオニア」は日本語で「開拓者」と訳されましたが、pioneerの綴りには荒野を切り開くとかそういう意味が入っていないから、文字面だけみても意味が分からない。でも日本語の「開拓者」なら、「開いて拓く人」なのだから、初めてでも意味が推測できますよね?」
橘花くんが地面を刻みながら解説してくれる。なるほど、分かってきたかも。
「pioneerの語源としては、「ped」が足で、「pehon」が歩兵で、チェスの「pawn」などになって、比喩的に「最初に何かする人」という意味になったらしいです。でも「ped」から変化してしまいましたからね。余程の言語通でないと、英語話者でも綴りだけからでは意味が分からない、ということです」
すると「ped」がつく単語は…「pedal」なんかも「足」が語源だったということね。よく理解できた。嬉しくなったわたしは橘花くんに話し掛け、百桃も続く。
「地球には存在しなかったり、存在していても少し違っていたりする物や概念の言葉でも、漢字に直してくれると、日本人のような表意文字話者の場合は、その意味が掴み易いということね」
「…転生してくる前のあの不思議な場所で、表現が微妙なことも多かったけど、妙に漢字表記ばかりだったのは、神様なりのサービスだったのね?」
それにしても…いつも思うけれど、橘花くんの知識量って本当にすごいのよね。
「ひとつだけ聞いておいていい? どうしてpioneerの語源まで知っていたの?」
橘花くんは、百桃に美しい笑顔を向けながら答えてくれる。
「昨年、御酒花さんからピオーネをいただいて…とても美味しかったです! ラベルにピオーネの由来が書いてあって、品種の開発者がイタリア語の「ピオニエーレ」すなわち開拓者から名付けたとありました。それで、ああ英語だと「パイオニア」だな、と思って「開く」のような語源があるのかな?と調べたので…」
果汁たっぷりで甘かったですよ、ううん、いただきもののお裾分けだったから、などと照れながら会話を続ける橘花くんと百桃を横目に、わたしは橘花くんの頭脳が命綱になりそうね、と考えていた。あの時空の最後の瞬間に二人の魂に突撃して密着したわたし、グッジョブよ。
雲が切れたのか、陽射しが差し込んできて三人を照らした。橘花くんの美しい金髪が煌めく。柔らかな栗毛になった百桃の髪も、陽の光を反射して桃色に輝いたような気がした。そう言えば、わたしの髪は黒いままだけれど…うん、サラサラになった上に見事な艶まで加わった気もする。
「ここからが本題なのですが…逆に日本語で考えたときに、こちらの言葉が浮かぶかどうかで、この世界の常識や技術水準が推測できるのではないかと。例えば、空を飛ぶ手段が「共通語」で何て言うのか、と考えると…「浮遊籠?」ですね。飛行機、飛行船、気球は反応しない。「共通語」の反応からは「浮遊する籠のようなもの?」ということしか分かりませんが…この翻訳から判断して、移動はできず浮くだけの、熱気球の原型があるのでは」
なるほどね。わたしたちは日本語で様々な言葉を思い浮かべて「共通語」に反応があるかどうかを確かめていった。どうやら、地球で言うところの産業革命以前であることは間違いない。飛行機は勿論のこと、自動車も蒸気機関も電気製品も存在しない。長距離の移動手段は馬車や帆船らしい。
でも道具類や機械類が全く反応しないということはない。水車とか織機とか…時計まで反応する。そもそも着ている服がそこまで古臭くないからね。文明の東西についてはよく分からない。和風というよりも洋風に近い恰好だから、中世か近世初期のいわゆる「ナーロッパ」だと思えばいいのだろうか。
「銃に関しては、「抱筒?」とか「魔筒?」とか、微妙な反応みたいよ…」
百桃がまた小首を傾げて話し掛けてくる。そ、それは反則よ?
「そうねえ、有るような無いような…あ、わたしは【魔具術】を錬金術と思ってとったのだけれど…う~ん、錬金術とはだいぶん違うみたい…取り敢えず銃に関しては、「石筒」とか「火筒」とか言う名前で、砂魔法や火魔法を打ち出す魔道具もあるよ。普及していないみたいだけれど」
百桃が納得顔で頷きながら、わたしの言葉を引き取る。
「…辞書じゃないから言語の反応では存在の有無しか分からないけど、璃花のとった【魔具術】とか、私がとった【狩猟】などの知識を合わせれば、その分野の言葉の内容まで分かるのね。あ、そうか。橘花くん、私は自分のことなのに「角耳」は骨じゃないとか動かせないとかしか分からないけど、橘花くんが詳しいのは…」
「ああ、「角耳」の構造は【博物学】ですね。いや【医学】なのかな。【博物学】は第一段階だから詳しい知識ではありませんが…それでも、基本的な動植物や鉱物や魔物の名前などが分かります」
「え、【博物学】って、もしかしてゲームでいう鑑定になるの?」
「それって、とっても役に立ちそうよね!」
これは、使えるのでは! わたしと百桃は笑顔を綻ばせた。橘花くんは、眩しげな微笑みを控えめに向けてくれてから説明を続ける。後ろ手に組んでいた指に思わず力が入ってしまった。
「ええと、ゲームみたいに対象物を見たら情報がポップアップすることは無いですね。単に基礎的な動物事典などを読破済みの状態になっている、ということみたいで、覚えている知識が頭に浮かんでくるだけです…事典は写真ではなくて絵と文章ですから、実物をみても余程特徴がないと分からないかも?」
「それでも、かなり助かるよ!」
「すごいね、私は全然とろうとも思わなかったよ!」
わたしたちは素直に感心して橘花くんを褒め称えた。
「いずれにせよ、これから覚えなければならないことは沢山ありそうですね。生き抜くために頑張りましょう!」
橘花くんが、何だか嬉しそうに言う。覚えること、理解することが、苦になるどころか楽しいのだろうな。でもそこが橘花くんの素晴らしいところ。彼は只の物知りな人でも、単に勉強のできる人でもないのだ。その博覧強記の知識を、自分の言葉に咀嚼して分かり易く教えてくれるもの。
この世界は、未知のもので満ち溢れている筈だ。橘花くんは、それに怯むどころか、喜んで調べ、生き生きと考え、そして深く理解して伝えてくれるだろう。こんな「地頭がいい」を文字通り地で行く
もし地球にも神様がいらっしゃるのなら、橘花くんが転生してしまって嘆かれているに違いない。勿論、彼に任せ切りという訳にはいかない。百桃、頑張ろうね! わたしと百桃は顔を見合わせ、決意を籠めて頷き合う。こうして異世界の見知らぬ草原で元女子高生二人は、拳を握ってエールを贈り合ったのだった。
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