第3話 転生
「…ここは、どこ?」
爽やかな空気が頬を撫でる。ざわざわと草木を揺らして通り抜けるそよ風に乗って、微かに鳥とも虫とも知れない鳴き声が聞こえてくる。音がある。色もある。ほっとして思い切り息を吸い込むと、むっとするような草熟れが肺を満たした。ところどころに茶色い土や黒い岩が覗く緑の草原に、わたしは立っていた。
ふと顔を上げると、木々が疎らに生えているのが目に映る。遠くなるにつれ次第に密度を上げて森となり、白い冠で縁取られた山並みに続いていた。先程までの経験は全て悪い夢で、日本の僻地に放り出されたとしても違和感は無い。と思った瞬間に、両側が砂利の見慣れない石畳の道があるのに気付いた。
「い、生き返ったのね!」
「ちょっと、
声を挙げてしまったわたしに話し掛けたのは勿論、大親友の
わたしより小柄なその身長からも、百桃で間違いないと思うのに…頭にあるのは
「そちらに
「ひどいにゃ。百桃に決まっているにゃ。璃花は…【美形】とってないのにゃ?」
「うん、わたしは【美化】だから。百桃、その喋り方は何? 獣人を選ぶと、そんな口調になるの?」
「そうでは、にゃいけど。この方が断然、可愛いのにゃ。それより…」
辺りを見回した百桃の顔がぱっと輝いたかと思うと、その愛らしい声に甘さを塗した響きを残して、わたしの横を一陣の風となって擦り抜けていった。
「
これが獣人の身体能力なのね、と半ば呆れながら振り返ると、少し離れた草原の中に、これまた目を疑うような人物が呆然と立ち尽くしていた。
(な、なんて、きれい…!)
金髪で紫眼。耳は尖っている程度。ほっそりとしたその身長はわたしより少し高いくらいに縮んだみたい。元々、誠実で優しい人柄もあってイケメンというより美少年だったけれど、正に神秘的な雰囲気漂うエルフとなって『指輪物語』から抜け出てきたようだ。その瞳に加わった紫色の深みに思わず吸い込まれそうになる。
「御酒花さんに、
橘花くんは一瞬目を見張った後、いつもの穏やかな笑顔に戻って答えてくれた。
「うふ、橘花くん、有難うにゃ…」
ふにゃふにゃしながら百桃が答える。獣人に種類は無かった筈なのに、どうみても猫系獣人よね。か、可愛い…。
「ええと。獣人を選ぶと、そういう話し方になるのですか?」
「そ、そういう訳ではにゃい、けど…この方が可愛いと思って…にゃ?」
「そんな話し方をしなくても、十分すぎるほど可愛いです…あっ、その…」
「ほ、ほんと?…あの、ふ、普通に話すね…」
百桃ったら。親友の言うことより、想い人の言うことに従うのね。まあ、分かりますけれどね~! わたしは内心苦笑しながらも二人に近付いていった。
「耳?が上に移動したのですね。本来、耳がある場所は…?」
「あ、あのね。この頭の上の突起は耳じゃないみたいなの…」
百桃が顔の脇の毛並みを掻き分ける。可愛い耳があった。では上にあるのは一体全体なに?…と思った刹那、何故か「角耳」という言葉が浮かんできた。う~ん。これって、どういうこと?
「言ってしまってから気付きましたが「角耳」というみたいですね。皮膚で覆われた平たい軟骨が伸びて、細毛もびっしりと生えているので耳みたいに見えるのだとか。地球のキリンの角…いわゆるオシコンに近いのかな?」
オシコンは軟骨ではなく骨ですが、と橘花くんが解説してくれる。わたしはキリンの角のことをオシコンって言うなんて知らなかったけれどね。少し引っ掛かりを感じながらも、百桃とふたり感心しながら頷き合う。
「顎関節は耳の傍にありますからね。ファンタジーでよく見る頭の上に耳がある獣人だったら、口裂け女になってしまいます。この世界の獣人の耳が僕たちと同じ位置で良かったです。お陰で御酒花さんも相変わらずの、いや、それどころか益々…ええと、何でもないです…すみません…」
チラリとこちらを見ながら橘花くんが続けた言葉を聞いたわたしは、思わず百桃を振り返った。両手を口に当てて愕然としている。せっかく褒めてもらったのに、それどころでは無さそう。でも、言われてみれば当り前よね。現実の世界で頭の上に耳がある獣人がいたら、文字通り「獣の顔」になるだろう。
わたしたちは獣人イコール可愛いケモミミがあるだけのヒト、というイメージが刷り込まれているから、耳が頭の上の方にあったら口裂け人間になる筈だ、なんて考えないよね…これはファンタジーの悪い影響だろう。百桃、この世界の獣人の耳がみんなと同じ位置にあって救われたね!
「…た、橘花くん。角耳、触っても…いいのよ?」
ようやく復活した百桃が、ほんのりと頬を染めながら橘花くんの方に頭を傾けた。あのお淑やかな百桃が、随分と積極的ね。よしよし、ここはわたしが応えてあげなければ…本物のケモミミをこの手で!
「フギャッ! ちょっと璃花、いきなり触らないでよ!」
「ごめん。でも百桃、嘘みたいに滑らかで気持ちいいよ?」
「もう、びっくりしたじゃない!」
一瞬の間をおいて三人の視線が交差すると、誰からともなく笑い声が挙がった。朗らかに空気を震わせるその振動は、草原をさざめかす穏やかな風と共に、綿毛のような千切れ雲が流れる青い空に吸い込まれていった。
ひと頻り笑い合ったあと、真剣な顔になった百桃が切り出す。
「ねえ、他の人たちは見当たらないようだし…私たち三人で一緒に行動することでいいよね? ね、璃花?」
うん、そんな縋るような目をしなくても、他に選択肢は無いから。
「お二人に異存がなければ、僕としても大変に有難いのですが…男女で行動するとなると、色々とご迷惑をお掛けすると思います。でも、なるべく努力しますので、遠慮なく指摘してください」
橘花くんが深々と頭を下げる。まあ、何だかんだ言って、わたしも橘花くんと話したり行動したりすることが断然多かったのだし、否やはない。やっぱり男の子と一緒の方が心強いしね。
「うん。勿論、わたしも大歓迎よ。それで、まずはお互いの能力を確認した方がいいと思うのだけれど…」
橘花くんは、さっと周りを探るように見回した後、こう答えた。
「すぐ近くに怪しい気配はありませんが…この道からは少し離れた方がいいかもしれませんね」
わたしも少しとるかどうか迷った【探知】のスキルを使ったのかな?
「道を外れて魔物に出くわすのも怖いけれど。いきなり現地の人に出会うのも、もっと不安よねえ」
「ねえ、今いるところが「
百桃の発言にわたしと橘花くんは頷いた。神様は詳しい場所まで教えてくれなかった。でも転生先の国の名前が分かるようにしてくれただけでも…「クアドリオン」は、普人主導ながら四種族が揃って暮らしている超大国らしい…親切だと思った方がいいよね。神様、有難うございます!
道に立ち入って左右を見渡してみると、右手の少し先で、高さ3mくらいの土手のような地形に沿って回り込むように消えている。顔を見合わせて頷き合い、道を外れて草原に踏み込み、芝丈くらいの草を掻き分けながら土手の裏手に回った。土手が翼を拡げるように折れ曲がって、ちょうど影となっている場所だ。
道の方を振り返って、首を伸ばしたり飛び上がったりしてみて、二人の表情も確かめた。
J.R.R.トールキン『指輪物語』(エルフ)
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