天蓋の街 2

アーチをくぐると、空間が一気に開けた。

 緩やかな坂道の両側に、連続する小さな家々。壁は淡い色の石材で覆われ、窓辺には花や果実の鉢が吊るされている。扉の前には椅子や小さな机が置かれ、人々が腰掛けて談笑していた。


 細い路地から、子どもが三人、駆け出してきた。

 裸足で石畳を踏み、笑い声を弾ませながら、追いかけっこをしている。すれ違う大人が手を伸ばし、軽く頭を撫でると、子どもは笑い返して再び駆けていった。


「……あれが、家族?」

 アリスが小さく呟く。


 アメルが振り返り、少し不思議そうに首を傾げた。

「ええ、そうです。どうかされましたか?」


 セリンが簡潔に答える。

「ノクティスでは、子どもは全員、国家の管理下で育てられます。親子という形は存在しません」


 アメルの目がわずかに見開かれた。

「では、この子たちは……誰が愛情を注ぐのですか?」

「国家が必要と認める情緒は提供されます」

 セリンの言葉は事務的だが、アリスはその響きにわずかな空白を感じた。


 家々の前では、夕食の仕込みが始まっていた。

 香草を刻む音、焼いた穀物の香り。開け放たれた窓から、鍋の煮える音や誰かの歌声がこぼれてくる。

 アリスは足を止め、ひとつの光景に目を奪われた。

 母親らしき女性が幼子を膝に抱き、何かの物語を語っている。幼子は目を輝かせ、合間に笑い、母親はそれに笑い返していた。


「……これは、効率的ではない」

 エランが呟いた。だが、その声には非難よりも戸惑いが混じっていた。


 通りの端で、アメルが手を上げた。

「こちらは市場です」

 天井から下がる布が色とりどりに揺れ、木製の台には果物や保存食、細工物が並んでいる。人々は足を止め、互いの顔を見て挨拶を交わしながら品を選んでいた。

 計算された取引ではなく、会話がそこにある。


「値段交渉など、無駄だと感じますか?」

 アメルが振り向く。

 セリンは少し考え、「無駄かどうかは……目的による」とだけ答えた。


 市場を抜けると、再び広場に出た。

 中央の舞台で、楽器を持った若者たちが音を合わせ始める。金属弦の音が空気を震わせ、子どもたちが集まって手拍子を打ち始めた。


 アリスはその光景から目を離せなかった。

 ノクティスでは禁止されている“偶発的な集まり”が、ここでは自然に生まれ、許されている。

 人々が何かを共有しようとするその動きが、彼女にはまだ名前のない感情を呼び起こす。


 アメルが足を止め、笑った。

「これが私たちの街の“普通”です」

 その笑みは、規律の影を持ちながらも、どこか自由だった。

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