静寂の命令

呼び出しの通知は、業務端末の冷たい電子音とともに届いた。

 宛先は「Aris M-217」。理由欄には何も記されていない。ノクティスで理由を尋ねることは、許されてはいない。


 行政中枢は、常に空調の低い音と、乾いた光に満ちていた。壁も床も滑らかな灰色で、反響のない空間。足音だけが自分の存在を知らせる。

 通路の突き当たりで待っていた係官は、必要以上の言葉を使わずに扉を開け、無言で中へ促した。


 会議室の中央には長い卓。奥には三人の高官が並んで座っていた。黒い制服、背筋を一切崩さぬ姿勢。その眼差しはArisを計測する機械のようだった。


 「適性評価の結果、あなたを外交任務に選出する」

 最年長の高官が、開口一番に告げた。


 アリスは一瞬だけ瞬きをし、それ以上の反応を見せなかった。任務とは何か、自分がなぜ選ばれたのか——問う必要はないし、許されてもいない。


 「目的は外部国家ソリヴァールとの接触。資源交換の交渉を行う」

 「危険はあるかもしれないが、必要な知識と訓練は後日付与する」

 「出発日は未定。準備が整い次第、通達する」


 淡々とした声が交互に響く。感情を帯びた言葉は一つもなかった。

 だが、アリスの脳裏には、つい先日の光景がふいに蘇る。

 老朽化した農業区画。割れた壁の隙間から差し込んでいた淡い光。そして、その光を受けてわずかに息づいていた緑の苔。


 (あの色は——)


 何のために思い出したのか、わからない。ただ、その記憶は、今ここで告げられた命令と不可解に結びつき、胸の奥にわずかな熱を残した。


 「……承知しました」

 自分の声が、乾いた空気に吸い込まれていく。


 退出を促され、静かな廊下に出る。そこで一人の事務官が薄い封筒を差し出した。

 「外交チーム名簿。確認しておけ」


 受け取った封筒の中には、数名の名前が並んでいた。

 その中に、ひとつだけ、見覚えのある名前を見つける。


 ——技術者:Elan


 手の中の紙の重みが、不思議と現実味を帯びていく。

 足元の無音の床を踏みしめながら、アリスはその名を頭の中で反芻した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る