第3話


馬超ばちょう殿!」


 前を走っていた趙雲ちょううんが馬を緩める。

「どうした」

 尋ねたが、すぐに分かった。

 深い森の奥、開けた場所に人の死体があった。

 二人は下馬をして、近づいていく。

 馬超が倒れている人間を調べた。


「……涼州の者ではない」


「何故分かる?」

「身に纏うもの、雰囲気、俺の直感、まあそんなものだ」

 馬超が死体の足下を顎で示した。

「見ろ。騎馬の足下じゃないが、手にしている獲物は使い込んだものだ。

 魏軍でもないな。よく涼州の気候に合わせた衣だ」

 趙雲は転がっていた刃を手に取った。

 弓なりになっている。


「……変わった獲物だな。私も色々な相手と戦って来たが、これは見たことが無い」


「ここより西の平地に幾つか部族がいる。

 彼らは馬を使わず、己の足で荒野を駆る技に長けている」

「涼州の人々の敵か?」

「いや」

 馬超は首を振った。

「どちらかというと涼州の商隊などが平地に荷を下ろそうとして、襲撃されたりしている。

 彼らはそういう商隊は襲うが、涼州の村人たちに刃は向けない。

 東からの魏の勢力が強くなり、涼州の者達は新しい交易路を西に作りたかった。

 だからよく出て行ったが彼らに必ず襲撃されたので、まだ涼州騎馬隊の長だった頃、いくつかの部族の長に、会いに行ったことがある」

「会えたのか?」


「ああ。涼州の者が下りて来ない限りは手出しをしないと約束してくれた。

 尤も、今の涼州騎馬隊の長がどのような決定をしているかは分からんが。

 しかし彼らは涼州の騎馬を嫌っている。

 俺達が平地に出ると自分達の領地を荒らされ、たちまち支配されるからだ。

 今までの暮らしを侵攻される苦しみはよく分かったので、涼州の者には西の平地には馬で出ないように命じると、そのあとは襲撃がなくなった。


 彼らは馬に乗らない分小さな獲物を持っている。しかし昼夜を問わず移動し続ける遊牧民なので、夜目が利く。だから小さな獲物でも敵の急所を狙うことで、致命傷を与えられる。なかなか勇猛な連中だ」


「彼らだと思うか?」

「……分からないが、違うような気がする」


 別の遺体も見に行った。

 遺体の一つは胴が二つに分かれていた。

「この殺しの相手、凄まじい剣の使い手だ。

 切り口が凄い。余程の剛力と見る」


「こっちも涼州騎馬隊の者ではないと思うが……俺達は幼い頃から涼州武芸を叩き込まれている。武器の扱いもその一つだが。人間の骨を断つなど、武器の扱いを知る涼州騎馬隊はせん。

 ましてや今は東から曹魏が来ているのを知っているのだろう。

 武具は無駄に消費したくないはずだ。

 人間を殺すなら骨を断つ必要は無い。腱を切ればいい。そのくらいのことは涼州騎馬隊は心得ている」


「曹魏の手の者なのだろうか……。

 確か、曹操は今度戴冠する息子とは不仲であるとは聞いた。その右腕の司馬懿しばいのことも非常に警戒し、自分に近づけさせなかったとか。

 つまり曹丕そうひや司馬懿は、曹操の動きは注視していたはずだ。

 子飼いの間諜や暗殺部隊などは、長らく表舞台に立たなかった彼らのやり口である可能性はあるが……曹丕や司馬懿に今まで会ったことがないのが悔やまれる。

 一目でも見ていれば、何となく男としてどういう人間か、勘が働くのだが」


「いや。お前の言うとおりだ。

 俺も今は、何かがおかしいと強く感じる。

 妙な風だ。

 こんな風は、俺も涼州で育って来た中で初めて感じる。

 最初は久しぶりに戻った涼州に感じるものかと思ったが、違う。

 ……何か、得体の知れないものがこの地に来ているようだ」


 なんだろう。

 趙雲ちょううんは眉を顰めた。


(そういえば……)


 自分も、得体の知れない感覚をごく最近味わった気がする。

 すっかり忘れていた。

 龐徳ほうとくの元で、張遼軍とぶつかった時だ。

 あの時、突然現れた二振りの刃を受けた時、何か得体の知れない感じがした。


馬超ばちょう殿……」


 趙雲が何かを言おうとした時だった。

 突然、馬超が手で制した。

 趙雲が振り返る。

 雨や風の音の奥に人の声が聞こえたのだ。

 趙雲にも数秒後、聞こえた。


 馬超と趙雲の馬が、そっちの方を見ていた。


 二人は近づいて行き、

 槍ではなく、腰の剣の柄に手を掛けた。

 あるところで声が聞こえなくなった。

 相手もこちらの気配に気付いたらしい。


 じっと、茂みの奥に潜んでいるのが分かった。


 趙雲が剣をゆっくり抜き、切っ先を敵の方に向けた。


「そこにいるのは分かっている。

 何者だ。出てこい」


 趙雲が声を響かせたが反応はない。

 すると趙雲の馬が何も言ってないのに勝手に歩き出した。

 なにか、全く関係ない方の茂みの方に入っていく。

 趙雲と馬超が怪訝な顔でそれを見たが、側にいる馬超の馬は平然とした表情で、傍らにジッとしている。

 

 翡翠ひすいが構えていない。

 趙雲の馬もだ。

 つまり、相手に殺気がないのだ。

 馬超が構えを解くと、

 趙雲もゆっくりと剣を下ろした。


「誰だ?」


 もう一度尋ねると、返事の代わりに「わっ!」と驚くような声がして、ガサガサと木の枝が不自然に揺れた。


「ちょ、ちょっと待ってくれ。一体……」


 趙雲の馬に、グイグイと押し出されるように出て来た姿に、驚く。



「貴方は……――徐庶じょしょ殿⁉」



 呼ばれた方が、余程驚いたようだ。

「えっ⁉」

「趙雲。知ってる方か?」

「知ってるも何も……徐庶殿、本当に貴方なのか」

「趙雲将軍……どうして貴方が涼州に……しょく軍が来ているのですか?」

 趙雲はそれを聞いて、おおよその事情を察した。

 徐庶が長安に行ったことは知っていたからだ。


「そうか……貴方は魏軍としてこの地に」


 徐庶は息を飲んだがすぐに視線を落とした。

 趙子龍ちょうしりゅうのことは知っている。

 劉備にとっても蜀にとっても、どういう男か。


 小さく笑みが零れてしまった。

 まさかこんな場所で趙雲ちょううんに会うとは。


(涼州にやって来た時から、一体誰が自分を殺すのだろうと思っていたが)


 いずれいつかは魏の者か、蜀の者に殺される運命だと郭嘉は言っていた。

 徐庶自身、魏軍に関わっているうちにそうなるだろうという予感があった。

 まさか趙雲に、涼州で討たれることになるとは予想外だったが。


「そうです。俺は今、魏軍の軍師としてこの地にいる」


 馬超ばちょうが一瞬、険しい顔を見せた。


 どういう運命なんだろうなと徐庶は笑ってしまう。

 自分という人間の人生は。


 別に殺しを好んだわけではないのに、いつの間にか殺しに手を染め、とうとう役人に追われる身になった。

 追われる先で涼州に至り、そこで黄風雅こうふうがに会った。

 彼と友情を結んだ時、疎遠な母より、数少ない友人のことを思い出し、特に親しかった友人が新野にいたので訪ねて行く気になったのだ。


 その途上で劉備軍と出会い、曹操軍とも鉢合わせて、【八門金鎖はちもんきんさ】の陣を突破すると、そのことで曹操の眼に留まり、劉備と共に行きたかったのに顔もほとんど思い出せないような母親を人質に取られ、に向かうことになった。


 その運命を受け入れ、長安で役人として静かにこれからは生きていこうとしたのに、突然縁もゆかりもない司馬仲達しばちゅうたつから呼び出され、涼州遠征に帯同しろと命じられた。


 ……そして涼州で黄巌こうがんと再会したのに、

 彼のために何も出来ず。


 陸議の顔が過った。

 貴方は生きて下さいと言ってきた時のあの顔だ。


 彼とは何の縁もない。

 友情も。

 それでも彼の方は友の死を巡って、自分に縁を感じたらしく、大きな運命の中で身動き出来なくなっている自分が見捨てられなかったからか、何故か気に掛けてくれた。


 そうだ。

 陸議を思い出した。


 趙雲に殺されるならばそれも自分のいい人生の最後かもなと思った矢先のことだ。

 死んでもいいと思っていたのに、

 ここで自分が果てたと知らせを受けたら、友の死に傷ついていた陸伯言りくはくげんを何故か悲しませる気がして、自分の命を惜しんだわけではないけれど――何故か罪悪感が胸に生まれた。


 しかし、こちらを見る趙雲ちょううんの澄んだ瞳を見ると、

 到底彼と打ち合う気にもならず、必死に逃げる気も失せて、徐庶は手にしていた剣を地に放った。

その場に、徐庶じょしょはゆっくりと胡坐を掻いて座る。


「貴方に言い訳はしない。

 ここで会ったのも運命だ。趙雲将軍。斬るなら斬ってくれ」


 趙雲は捨てられた剣を見下ろす。


「……ここで何をしておられる?」


 徐庶は目を閉じて、答えなかった。


「答えないか。では私から話そう。徐庶殿。

 先程の問いだが、涼州にしょく軍は来ていない。

 しかし曹魏の侵攻の知らせは聞いた。

 私は涼州の動向が知りたくて、一人で調べに来たのだ」


 一人で。

 徐庶は目を閉じたまま小さく笑んだ。


「……相変わらず豪気な人だな。貴方という人と出会ったことは、劉備殿の人生でも特に幸運なことの一つだ」


「徐庶殿。

 丁度いい。魏軍の軍師である貴方に聞きたいことがある。

 北の地、そしてこれより南の地で、涼州の村々が焼かれている。

 魏軍の仕業か」


 徐庶は瞳を開く。顔は俯かせたままだ。


「魏軍の仕業ではない。

 ただ、この後にそれに相当するほどの軍事行動を行う可能性は否定出来ない。

 だから貴方には俺を斬る理由がある」


「魏軍の仕業ではないのだな。

 我々も今そう思って、この所業をした者を見つけようとしている」


「それなら涼州騎馬隊の龐徳ほうとく将軍を探すといい。

 彼らも村を焼いたのが魏軍の所業だと考え、臨洮まで進軍して来た。

 魏軍の張遼ちょうりょう将軍が、その誤解を解こうと平地に誘い出そうとしているが、きっと趙子龍ちょうしりゅうの説得の方が信じるだろう」


「なに、龐徳殿を」


 馬超ばちょうが身じろいだ。


「いかん。南で受けた襲撃で、恐らく彼らは北方に引き返している。

 龐徳将軍ほどの者がこれだけの犠牲を出し、自分が出て行った以上敵に説得されて引き下がるはずがない。張遼に会わせてはいかん!」


 徐庶じょしょがそこで初めて馬超を見る。

「貴方は……」


「この方は馬超将軍だ、徐庶殿。涼州の無辜の民を戦火に巻き込むわけには行かぬとこちらも単騎で出てこられた。

 馬超将軍は蜀に向かう時、手勢数騎でやってこられた。

 涼州騎馬隊や若い青年達を涼州に残したのは、この地で生きてほしかったからなのだ」


「……。」


「徐庶殿。貴方のことは、我が殿も気にしておられた。

 諸葛孔明しょかつこうめい殿を貴方は殿に引き合わせてくださった方だ。

 貴方に彼のことを聞かなければ、あの庵まで訪ねて行くことはなかったのだからな。

 孔明殿に会わなければ、我々だけでは殿を守り切れなかったかもしれない。

 今、成都せいとでようやく足を休められたのは、貴方の尽力あってこそなのだ」


「……いえ。それは言い過ぎです。諸葛孔明も主を探していたのです。趙雲ちょううん殿。

 ですから俺などの声がけがなくとも、新野しんやに曹操軍の気配がした時点で、いずれ孔明は劉備殿に会いに行ったはず。

 そういう運命だったのです。

 俺は……八門金鎖はちもんきんさのこともそうだが、

 ……余計なことをしたのです。出過ぎたことを」


「徐庶殿……」


「こんな俺でも、放浪の身の上で、劉備殿に温かく迎えて頂いた恩は忘れてない。

 俺はもう魏軍の者で、これ以上劉備殿の力にはなれない。

 貴方や馬超ばちょう将軍は違う。

 これからもあの方を支えていける方だ。

 だから貴方達に剣を向けるわけにはいかない」


 徐庶がそう言うと側にいた、馬超の気配が緩んだことが分かった。

 趙雲はすぐに気づき彼を見る。

 馬超は人間が思い通りに生きれない苦しみをよく知っていた。

 徐庶を許したことを、彼のこちらを見る優しい目に察して、趙雲は小さく馬超に一礼した。


「貴方を斬ったら、劉備殿が悲しむのだ。徐庶殿」


 徐庶じょしょが息を飲む。


「魏にいたのなら、赤壁せきへきのことも聞いているだろう。

 呉蜀ごしょく同盟は崩れた。

 江陵こうりょうで起きた、呉との戦いで、劉備殿は龐士元ほうしげんを失った」


「龐士元……」


「【鳳雛ほうすう】と呼ばれた、もう一人の軍師だ」

「……彼が死んだというのは……本当のことだったのですね」

龐統ほうとうのことも知っておられるのか、徐庶殿」


「……。では、劉備殿にお伝えください。

 龐士元は、強い男です。

 彼は自分の生き方を、どこで生きたいかを自分で決められる。

 彼が自分の意志で劉備殿の元に行ったら、その先にどんな結果があろうと悔いたりする人間ではない。

 だから龐統の死を貴方の痛みにすることはないんだ。

 孔明こうめいも、そのことはよく分かってる」


 趙雲はそれを聞くと、突然徐庶の手を取った。



「徐庶殿! 共に蜀に来てくれ!」



 徐庶は驚く。


「母上が洛陽らくようにいることは分かっている。それは必ず、私がどうにかする。

 龐統ほうとうの死を、そのように劉備殿に伝えられる者が誰もいないのだ。

 誰も龐士元ほうしげんという男をまだ知らなかったから。

 貴方は知っておられる。

 劉備殿に話して下さい。今と同じ、そのままのことを!」


「趙雲将軍、無理です」

「母君のことですか」

「いえ。母のことではない」

「では……」


「分かって下さい。私は、涼州にも友がいる。

 魏軍として来たこの地で再会したのに、俺の正体を知っても、詰らず温かく迎えてくれた友です。

 蜀に行ってもいずれは涼州を戦火に巻き込むことになる。

 私は、この生き方を止めねばならないのです」


「……。」


 趙雲は押し黙った。

 代わりに、馬超が口を開く。


「……人を探しているようだったが。その友人か?」


 ハッと思い出した。


「そうです、実は、……」


「話してください徐庶殿。この地には今、何か妙な流れがある。

 それに魏軍も、涼州騎馬隊も、我々も惑わされているように思う。

 涼州の民がそれに巻き込まれている。

 それは貴方の友人も含まれるのでは。

 私も北で焼かれた村を見て来た。

 あんな惨いことは、止めねば!」


 趙雲に言われ――徐庶は数秒考え、懐から布に包まれた針を取り出した。

 あの時自分達を狙った、もう一本だ。


「我々を魏軍と知ってかは不明ですが、私も南の村に……涼州の村に北の混乱を呼びかけようと向かった時、焼かれてる村の側で狙撃されたのです。

 どうやら強い毒が塗られているようで、その場にいた人が射られて今、命が危ない。

 私の涼州の友人が非常に毒に詳しいので、彼に見てもらおうと探しに来ました」


「矢羽根もない……見てくれ、馬超殿これも変わった武器だ」


 馬超も慎重に扱いながら針を見て、彼はすぐに眉根を寄せた。


「…………徐庶殿。これをどこで射られた?」


「南の……焼かれた村の側です。恐らく焼いた者ではないかと思いますが」

「その射られた者は今、どのような状態なのだ?」

「射られた後しばらくは問題なかったのですが、陣に戻ってから倒れました。

 高熱と、……それから急に身体に斑紋が出ていた」


 馬超が地面に指で描いた。


「このような斑紋か?」


 巣から這い出てくる蛇のような模様。

 自分も初めて見るものだと思ったのに、馬超は迷いなく同じものを描いた。


「分かるのですか?」


「……。」

馬超ばちょう殿。徐庶殿には、私は殿を救って頂いたと思っています。

 何か出来るのであれば、私が……」


「徐庶殿。それは毒ではない。だが、薬で治せると思う。

 ここからだと……東の街道付近に小さな庵がある。

 そこに薬があるはずだ」


「飲ませるだけで大丈夫なのですか」


「今は説明している暇はないが、以前同じ症状の者を救ったことがある。

 毒ではないが、非常に危険な状態なのは確かだ。急いだ方がいい」


「趙雲殿……、貴方が望むなら、彼を助けた後に私は……」


 趙雲は首を振った。


「もうその話はよしましょう。徐庶殿。とにかく貴方の友人を救わなければ」

「しかし龐徳ほうとく将軍の方も一刻を争う」

「行く方角は同じだ。薬を貴方に託したら、我々は北へ急ぐ」

「妙だな。涼州騎馬隊の者は、知らせの鳥を飛ばせるはずなんだが……」


 馬超は騎乗して、空を見上げた。


「その鳥なら嵐の空でも飛ぶはずなのに、何故鳥が飛んでいない?」



 三人は走り始める。

 馬超は先程の針を思い出していた。


(あれは……)


もう随分遠い記憶だった。

 あれからあまりに多くのことがありすぎて、針を見て、斑紋の話を聞くまで全く忘れていたが、はっきりと記憶が蘇って来る。


 嫌な予感がした。


 少し弱まっていた雨だが、

 遠くで雷が鳴っている。

 

 風はそちらから吹き込んで来ていた。


 つまり、あの雷雲はいずれこちらにやって来るのだ。


 




【終】

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花天月地【第66話 運命の渦】 七海ポルカ @reeeeeen13

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