第2話 奇縁-2

 こうなったらなるようになれだ。さっさと事を済ませて帰ってもらおう。

 私が歩き出そうとすると、


「まって!」


 と呼びかける声に止められる。振り返ってみれば、さも動けませんと言わんばかりに遊具に寄りかかっていた。


「……なに?」

「お腹空きすぎて動けなくて。おぶって欲しいでーす」

「………」


 何から何まで……はた迷惑な女め。さっきの元気はどうした。

 このまま置いていってやろうかとも思ったが、またしがみつかれても面倒だ。

 仕方なく迷惑女の前で屈むと、勢いよく背中におぶさってきた。助けてもらう立場なのに色々と雑なヤツ。


 よっこいせと立ち上がる。思ったよりも重さは感じない。それなりの身長はあるのに、そうとは感じさせなかった。

 それはともかく、ゆっくりと歩き出す。

 さっさと運んでしまいたい所だが、脚が少しずつしか前に出ない。そういえばトレーニング後だということを忘れていた。

 迷惑女の重さ自体は大したことないが、いざ歩こうとするとその体重の分まで脚に負担がかかる。慣れないランニングの後だと少しばかり堪えた。


「なんか汗臭い」


 背中の迷惑女がデリカシーのないことを呟いた。事実だから気分は害していないが、一般常識に照らしてどうなんだろうとは思う。


「ジャージだけど、もしかして運動してた?」

「……まあ」

「大丈夫そ?」

「そんなヤワな鍛え方してない」

「そーなんだ」

「…………」


 そーなんだ、で会話は終わる。話を振ったくせに広げる気はないらしい。


「あなたって高校生?」

「そうだけど」

「へー。わたしも」

「…………」

「ねえねえ」

「………なに」

「割ときれいなカオしてるね」

「……うるさいな、いちいち」

「えー。せっかく褒めてるのに」


 といった具合で、益体のない散発的な会話が延々と繰り返された。時折琴線に触れたと思しき話題を少しふくらませる程度で、ろくに弾むことはなかった。

 話し下手というよりは、一瞬で関心を喪っているという印象を受ける。色々読めないが、人と話すのはあまり好きじゃないからありがたいような、けれど鬱陶しいような。……いや、やっぱり鬱陶しいな。


 そうこうしている内に、自宅へとたどり着く。

 一言で言うなら何処にでもありそうな二階建てのアパート。最低限住居としての機能は備わっているというような、シンプルな直方体だ。年季はそれなりといった感じで、壁の白いペンキが剥がれていたり、若干黄ばんでたりする。それ以外に特徴らしい特徴はない。


「ほら、着いたぞ」

「え、着いたぞって……」


 何やら驚いているようだが、無視して階段を上る。私の部屋は202号室だ。


「てっきりコンビニとかでご飯買ってくれるもんだと思ってたんだけど」


 迷惑な女の抗議が聞こえた。


「そんな贅沢できないし。悪いけど、私の作ったヤツ食べてもらうから」

「美味しい?」

「口に合うかは知らない」


 コンビニは便利だがその分値段が張る。そこそこの量を食べたいのなら自炊が一番安価だ。

 ともあれ、想定外の事態で予定より大分帰るのが遅れてしまったけど、ようやく自分の家へたどり着いた。


「もういいでしょ」

「うん、ありがと」


 迷惑女を下ろして、鍵を開けてから中へと入る。

 部屋はアパートの外観通りというべき内装だ。小さな玄関があって、すぐ左手にはキッチンが。そしてその少し先を左手に、七畳ばかりのワンルームがある。

 畳が敷き詰められた古ぼけた空間。オンボロというほどではないが、安い家賃に見合った部屋だった。


 まず、いの一番に流しへ。手早く手を洗ってから、すぐに冷蔵庫からスポーツドリンクを取り出して、コップに入れないままラッパ飲みする。

 すっかり干上がってしまった喉に、勢いよく流し込まれる冷たい水。ほどよい甘さが疲れた身体を癒やしてくれる。


「ふー……」


 よし、多少は生き返った。

 それから、予めシェイカーに入れて冷やしておいたプロテインもまた一息に飲み干す。普段ならきつかっただろうけど、今日は色々と疲れていたから難なく飲めた。

 よし、運動後の栄養補給完了。


 さて。ご飯は既に作ってある。作り置きのカレーがあって、ご飯も既に炊いてある。後は皿によそうだけだ。

 カレーを食卓に運ぼうとした所で、玄関にいたハズの迷惑女が消えていることに気づいた。


「勝手なことするなよな……」


 急ぎ足で七畳のスペースへ行くと、なんと勝手に広げた布団の上に思いっきり寝そべっていた。

 不幸中の幸いだったのは仰向けだったことで、背面は砂で汚れていなかったからそれなりの被害で抑えられていたことだ。流石にそこまでは配慮しているのか、それとも偶々そういう気分なのか。

 何にせよ非常識であることに変わりはない。私も自分が空気の読める人間だとは思っていないが、コレに比べれば随分まともに見える。

 叱りはしない。会って三十分も経たずして、この迷惑女のやらかすことを一々咎めていたらキリがないことを悟っていた。


「ほら、ご飯」


 部屋の中央に置かれたミニテーブルに、皿を二つ並べる。


「わ、簡素」


 馬鹿にしているのか。というよりは、驚いているのか。どちらなのか、私には判別がつかない。

 まあ、事実といえば事実だった。なんせ、昨日の残りのカレーをそのままよそっただけだ。サラダもスープも、福神漬けすらありはしない。


「文句あるならお前にはやらない」

「ううん。美味しそうだよ」

「そりゃどうも」


 本当に読めない。私の神経を逆なでしたいのか、それとも懐柔したいのか。もしかしたら、天然というやつなのかもしれない。

 私が睨んでいることに目もくれず、迷惑女はカレーを口に入れた。瞬間、デフォルトで緩んでいる顔の筋肉が強ばった。具体的には、眉間にシワが寄った。


「……びみょー」

「黙って食え。……いただきます」


 合掌。食に対する感謝とかそういうわけではないが、長年の習慣だった。


「はい、どうぞ~」

「…………」


 お前は何様なんだ。などと内心でツッコミながら、私もようやくご飯にありつく。

 迷惑女の言う通り、特別美味しいというほどではなかった。

 しかし食べられないレベルではないし、だったら何も問題はない。手軽に肉も野菜もご飯も接種出来るのだから。

 黙々と栄養を口に放り込んでいると、ねえ、と対面に座る女が声をかけてくる。


「なに」

「ボクが作ろっか?ごはん」

「……不味いなら食べなくていいって言っただろ」

「そーじゃなくて」

「ていうか、追加で何か作れるほど余ってない」


 どころか、肉の一切れも残っていないわけだが。

 ああ、うん、と迷惑女は曖昧に頷く。


「なんか見てるとさ。あなた、美味しそうに食べてないから」

「美味しいかなんてどうでもいい」

「でも折角なら美味しい方がいいでしょ?だからさ」


 いつの間にか自分の分を平らげた迷惑女は、ルーだけが残ったお皿の上にスプーンを置いた。

 そして、私の目を見据えて高らかに宣言した。


「明日からわたしが作ってあげるよ」

「そんなの願い下げ――――ん?明日から?」

「うん。明日から」


 明日。

 この迷惑女、もしかしなくても世話になるのは今日だけじゃないつもりか。


「出てけ」


 常識的に考えて許容できるハズもなし。コイツの印象は現在進行系で最悪だ。


「そんなこと言わずに!お願いだからここに置いてくれない?」


 バチンと両手を合わせて、片目でこちらを伺いながら懇願した。

 ていうか、なんで私が見ず知らずの他人に対して住居を提供しなければならないのか。

 私にはやりたいことがある。やっと集中できる環境を手に入れたのに、どうして出鼻で崩されなければならないんだ。


「イヤだ。お前が要求したのはご飯を食わせる所まで。それ以上は契約の範疇を越えてる」

「そんなご無体な~!もちろんタダでとは言わない!お金は払えないけど、家事ならやるから!」

「……お前まだ高校生でしょ?さっさと家に帰りなよ」


 そう言うと、ふと、空気が変わった。まるでついさっきまで海を彷徨っていたずぶ濡れの漂流物のような、陰鬱とした気配。

 顔をうつむけている姿は、なんだかコイツには似合わない――――と思えば、覗く瞳は爛々と燃えている。


「家出したの、ボク」

「はぁ」


 家出、ときたか。迷惑女改め、家出女か。

 まあ、夜の九時に公園でうろついている……もとい倒れてる高校生なんて、家出したヤツくらいだよな。

 家出というからにはワケありなんだろうが、生憎と興味は湧かない。触らぬ神になんとやらだ。面倒事に付き合う余裕は、今の私にはない。

 ただ。仮に断ったとして、大人しくこの家出女が要求を呑むのかという問題はある。ついさっきの様子からして、また駄々をこねられるに違いない。


「はぁ。わかったよ、好きにすれば」

「.........!ありがと!」


 落ち込んでいた空気は一転、明るい笑顔を向けられる。実際に眩しいわけでもないのに、思わず目を細めてしまった。

 まさか、こんなことになるとは。

 見知らぬ女と同じ屋根の下というのもそうだが、それ以前に、誰かと関わりを持つことになるなんて思わなかった。

 もう、あれっきりだと思っていたのに。


「そういえば名前知らないや」


 思い出したように迷惑女は言う。別に短い付き合いなら名前なんて知らなくても良いけど。

 などという私の胸中を、当然コイツは知る由もない。謳い上げるように迷惑女は名乗る。


「ボク、水谷天音みずたにあまね

塩原しおばら……しょう


 名乗られたので名乗り返す。最低限の礼儀は弁えているつもりだ。


「しょーちゃんね」

「……それやめろ」

「じゃあしおちゃん?」

「もう勝手にしろ……」

「そいじゃしおちゃんで」


 水谷と呼ぼうとしたが、やっぱりコイツは迷惑女で充分だ。


「あ、そういえば」

「今度はなに」

「さっきの公園にキャリーケース忘れてきちゃった」

「自分で取りに行けよ」

「えー……」


 心底イヤそうにため息をつく。えー、はこっちのセリフなんだが。なんで私が取りに行くと思ったんだ。


「つかれた」


 迷惑女に聞こえないくらいの声で、ため息交じりに呟く。

 たった一時間余りでどっと疲労が蓄積した。トレーニングで身体を、迷惑女には精神を擦り減らされた。

 今日はさっさとお風呂に入って寝てしまおう。幸いなことに今日は土曜日。つまり、明日も休みだ。

 あれ。そういえばお風呂はともかく、寝るのはどうしようか。


「そういや、ボクどこで寝ればいい?」


 コイツも同じことを考えていたらしい。この部屋には布団が一セットしか存在しない。

 つまり結論は一つ。


「床で」

「そんな殺生な」


 う~と涙を浮かべて縋る眼差し。それを無視して、私もご飯を平らげた。

 結局その晩は、同じベッドで寝ることになった。風邪でも引かれたら困ると思っただけなのだが、それを受けて「優しいね」と言われた時には、その頬を引っ叩いてやろうかと思った。

 初めて誰かと眠るベッドの寝心地は、なんだかこそばゆくて落ち着かなかった。

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