第23話 デート
目標の達成を意味するゴールラインとは、あらゆる競技において境界線でもある。
鷹尾の示唆する境界線とはなにか、泣いた頭で考えても、仮説さえ浮かんでこない。降参して鷹尾に身をゆだねてしまえば、楽になれるのだろうか。まぶたが腫れて視界がかすむ湯村は、唇を硬く結んだ。話がしたくても、うまく声がでない。立ちなおるまで、もう少し時間が必要だった。
かたわらにすわる鷹尾は、携帯電話をながめていた。メールを受信したらしく、しばらくすると返信をすませ、湯村の頰を指でひとなでした。涙のあとが残っている。
「泣き虫だな。おれは、まぬけでかわいい子を泣かせるのが得意なんだよ。このさきも覚悟しておけ。もっとひどいことをして、泣かせてやる」
鷹尾が云うと冗談に聞こえない。ゾッとして腰をあげようとした湯村は、上膊をつかまれて床へ引き倒された。
「手の内を教えてほしければ、いいかげん白状したらどうだ? 男が好きだとはっきり云えよ」
「鷹尾さ……」
「なぜ、かくす? おまえの気持ちを十秒以内にこたえろ」
「や、やめてください、こんなの、誘導尋問です……」
「そんなに認めたくないのか」
心拍数の上昇により息苦しさを感じる湯村だが、なんとか鷹尾の肩を押し返した。あれこれ説明を求める余裕はないため、思いつくままにことばを吐きだした。
「全部、あなたの云うとおりです……。ぼくは、鷹尾さんを認めるわけにはいかない。……ぼくには、ずっと逢いたくて、忘れられないひとがいます。……だから、こんなことは、もうやめて……」
「名前も知らないやつに、ずいぶん惹きつけられたな。なにがそんなに気に入ったんだ」
「……わかりません」
「わからない?」
「気持ちの整理ができないのは、あなたのせいです……。ぼくにかまう理由を教えてください……」
「ひと夏の思い出づくりに、協力してやっている」
鷹尾の軽口に動じては、まともな会話がつづかない。なにが起こっているのか悩ましい状況だが、かろうじて思考ははたらく。湯村は、ムキになって鷹尾を見据えた。
「失礼なひと……。あなたとのキスは、はじめてだったのに……、ぼくは、今までいちどだってしたことがなかったのに……、こんなの、ひどすぎる……!」
「そうやって、じぶんの話をきかせるのはけっこうだが、理性があれば、誰になにをされようと心がけは変わらないだろ。キスくらいで、おおげさなんだよ」
ため息のような笑い声を洩らす鷹尾は、「うらやましいくらいまぬけだな」といって、湯村から離れた。立ち去る背なかを見て安堵するいっぽう、引きとめなければという衝動が湯村の胸を駆りたてる。
「待ってください」
と云ったものの、そこで息が詰まり、口ごもった。立ち去るそぶりをやめ、ふり向いた鷹尾は、あらたまった顔つきで湯村の声に耳をかたむけている。鷹尾の役目をさとれない湯村は、非難することしかできなかった。
「どうせ、ぼくは泣き虫でまぬけです。……でも、あなたが選択した行動には、最後まで責任をもつべきだと思います」
「責任ね。どんな?」
「ぼくの人探しにつきあう……とか……」
「かまうなと云ったのは、そっちじゃなかったか」
「いつも強引なのに、そこだけ聞き入れるなんて勝手すぎる」
「わがままだな」
鷹尾は吹きだすのをがまんして、湯村のほうへ歩み寄ると、首をのばして息がふれる距離で「おれとデートしろ」と誘う。
「デ、デート?」
「勘ちがいするなよ。おれの買いものにつきあえって話だ」
「買いもの……ですか……(ぼくは、荷物持ちってこと?)」
鷹尾は、しばしば湯村の予想とはちがった側面を見せる。真相を
「土曜日の午後、大学のバス停で待っていろ」
という鷹尾に、いつもの強引さはなく、湯村がうなずくのを見届けてから立ち去った。あいかわらず、為すがままにふりまわされる湯村だが、軽はずみな気持ちで同意したわけではなく、鷹尾の考えを知るためだった。自動販売機の横に、二枚目の設計図と、のみかけのフルーツ牛乳が置いてある。湯村は、紙パックの中身を
「あ……、この図面は、調べなくてもわかるかも……。駐車場があって、建物の区画が整備されている。影山さんの云ってたとおり、これは、サービス施設の設計図でまちがいない。あのひとは、どうしてぼくにこれを渡すんだろう? こたえはもう出ているのに、まだ、なにかが足りない……?」
謎めいた行動にも意味があるはずだ。湯村は、設計図をトートバッグにしまうと、図書館を横目にバス停へ向かった。
いつまにか、雨がふりだした。鷹尾に誘われて買いものへでかけることになった湯村は、傘をさして待ちあわせ場所にたたずんだ。約束の時間より十五分早い到着だが、バスの都合につき、しかたがない誤差である。さらに鷹尾のほうでも十五分ほど遅れて姿をあらわしたので、三十分近く待たされた。
「雨のなか悪かった。怒って、帰ったのかと思ったよ」
「遅刻は遅刻ですが、約束を破るつもりなら、待ちあわせ場所まで来たりしないでしょう? それに、天候不良は鷹尾さんのせいとは云えないし、ぼくはなにも怒っていません」
「なら、よかった」
詫びてから「予定は変更だ」という鷹尾は、無色透明なビニール傘をさしている。湯村は、シロクマのデザインが気に入っている折りたたみ傘に、キリンのロゴのポシェット、黒のカーディガンをはおっていた。趣味が合いそうなふたりには見えないが、鷹尾は「少し遠出になるが、ついてきな」といって、歩きだした。どうやら、駅に向かっているようだ。券売機を利用して切符を購入すると、背後で折りたたみ傘をしまう湯村へ差しだした。
✦つづく
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