第21話 ご褒美


 ドーンッと、打ち上げ花火があがる。


 鷹尾は、夜空に咲く大輪の花を背にして立っている。偶然とはいえ、花火大会の会場で鷹尾と鉢合わせた湯村は、ひざがガクガクと慄えた。


「どうした。おれに逢えて、足がふらつくほど感動したか」


「ち、ちがい……ます……」


「無理するな。つかまれ」


 湯村の手首を引いて肩を抱き寄せる鷹尾は、公衆の面前で大胆な行動をした。「おれは、おまえに逢えそうな予感がしたぜ」と、耳もとでささやく。その息づかいにゾクッと下半身が反応する湯村は、「近いです」といって、鷹尾の躰を両手で押し返した。


「……それより、さっきの男の子は誰です? もしかして、鷹尾さんの弟ですか?」


「おれに兄弟はいない」


「じゃあ、あの子はいったい……」


「チビの話しはいいよ。今夜は花火を見にきたのだろう? 少し歩かないか」


 ドドーンッと、連続して花火が打ち上がった。夜空を見あげる鷹尾の横顔は、まっとうに生きてきた男の、うれいを思わせる。「おれに惚れるなよ」と視線をよこす鷹尾に、なぜか云いかえす気になれなかった湯村は、しばらく無言となり、肩をならべて歩いた。


 今さら、キスの意味を考えてもしかたない。いきなり唇を奪われて愕然とし、その後も鷹尾にふりまわされる湯村だが、多少の強引さは、男として必要な要素でもある。経験によって洗練された人格は、湯村の気持ちを(まちがいなく)ゆさぶった。



「あの設計図ですが……」



 切りだすタイミングを見計らって、ようやく口をひらくと、歩みをとめて立ちどまる鷹尾は、ジーンズのポケットから携帯電話を取りだした。


「よろこべ。おれの番号を教えてやる」


「なんですか、その云い草。ぼくはべつに……(だめだ、断るところじゃない。きっと、知っておいたほうがいい!)」


 すなおによろこべない湯村は、しぶしぶといった動作で、ポシェットのなかをさぐり、携帯電話を取りだした。そのかんキリンのロゴマークを見つめた鷹尾は、「へぇ」と、妙な息を洩らした。


「今のは、なんのため息ですか?」


「なんでもない。気にするな」


「ぼくは、気になりますけど」


「女みたいだな」


「ぼくは男です」


「おまえは女だよ。場合によっては、どんな関係も成立する。めすとまでは云わないが、おまえしだいで、おれの妻になれるぜ」


「惚れるなって、云ったくせに……」


 湯村が拗ねた調子で顔をそむけると、鷹尾の笑い声が打ち上げ花火の音にまじって聞こえた。それから、ふたりは携帯番号を交換すると、最初に遭遇した場所までもどった。男の子がたたずんでいる。


「おかえりなさい。春馬さん、透おにいちゃん」


 なんの約束もしていなかったが、あたりまえのようにそこ、、にいて、ふたりを待っていた少年は、笑顔で手をふった。


「ただいま」と、気恥ずかしそうに小声でこたえる湯村は、かたわらの鷹尾に吹かれた。


「だから、妻だと云ったんだ」


「なんで、ぼくがあなたの妻になるんです?」


「おれと子づくりしたければ、まじめに考えてやる。連絡しな」


「そういう冗談はやめてください!」


 ついムキになって叫んでしまうと、驚いた男の子は「ひゃっ」と、身をすくめた。


「ご、ごめんよ……」


 あわてて詫びる。湯村は、すっかり鷹尾に騙されていたが、ほんの一瞬、ことばの意味を想像して、顔が熱くなった。


「単純だな。子どものまえで、いちいち興奮するなよ(こりゃ、童貞確実だな)」


「あなたこそ、発言には注意してください。ぼくは、いつだって、まじめに話しているつもりですから……」 


「おぼえておくよ。……で、褒美はなににする? フルーツ牛乳ひと月分とか云うなよ」


「褒美?」


 鷹尾は、唐突に話題を変えた。なんのことかわからず沈黙すると、わざとらしくため息を吐かれた。



「図面を解き明かしたご褒美だ。湯村のほしいものをれてやる」



 湯村の胸は、なにかに駆りたてられるようにざわめいた。すぐさま携帯電話に保存した写真の画像をひらき、鷹尾のほうへ画面を向けた。



「でしたら、この写真について詳しく教えてください。これは、いつごろのもので、あなたのとなりにいるひとは、誰ですか?」



 質問しておきながら、指が慄えた。もっとほかに、たしかめたいことは山ほどあった。だが、このときの湯村は(相手の思惑どおり)、物事の核心に迫っていた。


 ずっと、密かな想いをいだく人物ひとはあっても、湯村は告白していない。今も昔も、失恋の経験はない。そう思っていた。



「どうやってそんな写真を手に入れたのかは知らないが、おれのとなりにいるやつは工学部の学生で、おまえも、いちど逢っているはずだ。去年の秋、大学のオープンキャンパスでな」



 鷹尾は、画面をいくらも見ずに即答した。湯村の手から携帯電話がすべり落ち、ガチャンッと、鈍い音をたてて足もとへ転がる。湯村のかわりに拾った少年は、写真を見て、「あれ? 春馬さんと、おにいちゃん?」と首をかしげた。



✦つづく

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