第9章:彼の部屋と、不器用な愛の告白

 あの配信事故から二日。私は、会社を休んでいた。

 布団から出る気力もわかず、ただ天井をぼんやりと眺めて過ごす。スマホを開けば、例の件に関する憶測や、私を心配する声、そして相変わらずの誹謗中傷で溢れていて、見る気にもなれなかった。

 もう、全部辞めてしまおうか。

 VTuberなんて、私には向いてなかったんだ。


 そんなことを考えていた時、ピンポーン、と無機質なインターホンの音が部屋に響いた。

 宅配便かな。でも、何も頼んだ覚えはない。

 重い体をなんとか起こして、玄関のモニターを覗き込むと――そこに立っていたのは、スーツ姿の高橋さんだった。


「え……!?」

 どうして、彼がここに?

 パニックになったけど、彼を無視するわけにもいかない。私は慌ててチェーンをかけ、少しだけドアを開けた。


「た、高橋さん……どうして……」

「会社、心配だったので。これ、差し入れです」


 彼はそう言って、コンビニの袋を差し出した。中にはスポーツドリンクやゼリー飲料が入っている。

「無理しないでください。今日はゆっくり休んで」

 その気遣いが、弱った心にじんわりと染み渡る。私は、おずおずとチェーンを外し、ドアを完全に開けた。


「……あの、よければ、上がって……いきますか?」


 自分でも、どうしてそんなことを言ったのか分からない。でも、彼をこのまま帰したくなかった。

 高橋さんは一瞬驚いた顔をしたが、すぐに「……お邪魔します」と静かに頷き、私の部屋に足を踏み入れた。


 散らかった部屋を見られるのが恥ずかしい。特に、部屋の隅に鎮座する、本格的な配信機材の数々を。

 高橋さんは、その機材をじっと見つめた。

 その視線が、私の心の傷を抉る。

 ああ、これを見るたびに、あの日の恐怖が蘇ってくる。


「もう……怖いんです」

 ぽつりと、本音がこぼれた。

「あんな思いするくらいなら、もう……辞めたい……」

 一度口にすると、もう止まらなかった。感情のダムが決壊したように、涙が溢れてくる。私はその場に泣き崩れてしまった。


「う、うわあああん……!」

 みっともない。こんな姿、絶対に見られたくなかったのに。


 すると、ふわりと、温かいものに包まれた。

 驚いて顔を上げると、高橋さんが、泣きじゃくる私を、優しく、でも力強く抱きしめてくれていた。

 彼のスーツ越しに、トクン、トクン、という心臓の音が伝わってくる。


「辞めなくていい」


 頭の上から、彼の静かな声が降ってきた。

「あなたが続けたいなら、俺がなんだってする」


 彼は一度言葉を切って、さらに強く私を抱きしめた。


「俺は、あなたの声に、言葉に、何度も救われたんです。ルナ・セレスがいたから、辛い仕事も乗り越えられた。だから今度は、俺があなたを救いたい。あなただけのプロデューサーにでも、ナイトにでもなる。だから……お願いだから、辞めないでほしい」


 それは、彼の、不器用で、でも最高に真っ直ぐな、愛の告白だった。


「たかはし、さん……」

「健人、でいいです」

「……けんと、さん」


 抱きしめられたまま、私は彼の胸に顔をうずめた。彼の心臓の音は、いつも冷静沈着な彼からは想像もつできないほど、速く、力強く鳴っていた。

 それが、彼の本当の気持ちなんだと、私に教えてくれているようだった。

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