第4章:秘密の作戦会議と赤くなる耳
あの日以来、私と高橋さんの関係は、微妙に、でも確実に変化した。
会社では、もちろん今まで通り。彼はクールで仕事のできる先輩で、私はちょっとドジな後輩。他の社員がいる手前、私たちは必要最低限の会話しか交わさない。
でも、二人きりになれる瞬間は、まったく別だった。
「佐藤さん、この資料、確認お願い」
「は、はい」
他の社員と同じように、高橋さんが私のデスクにやってくる。でも、書類を受け取る指先が、ほんの少しだけ触れた。ドキッとして顔を上げると、彼は無表情のまま、すれ違いざまに囁いた。
「今日のネクタイの色、ルナ様のイメージカラーです」
見れば、彼の首元には、ルナ・セレスの瞳の色と同じ、美しいセルリアンブルーのネクタイが締められている。
か、顔が熱い……!
こういう不意打ちの小ネタを、彼は頻繁に仕掛けてくるようになった。そのたびに私の心臓は跳ね上がり、仕事に集中できなくなってしまう。ずるい。絶対にずるい。
そして、私たちの秘密の時間は、主に定時後に訪れた。
「佐藤さん、今日のデータ分析、少し残って手伝ってもらえるか」
「はい、分かりました!」
これは、私たちの合言葉。「残業」と称した、ルナ・セレスの活動に関する「秘密の作戦会議」の始まりだ。
誰もいなくなった会議室で、高橋さんは持参したノートパソコンを開く。その画面に表示されているのは、会社の資料なんかじゃない。
「こちらが、ルナ・セレスチャンネルの直近一ヶ月のデータです。視聴者層の男女比、年齢、そして時間帯別のアクセス数をグラフにまとめました」
「こ、こんなものまで……」
そこには、プロのアナリストが作ったような、詳細すぎる分析データがびっしりとまとめられていた。棒グラフに円グラフ、さらには同系統のVTuberとの比較データまで。
「この時間帯は主婦層のアクセスが増える傾向にあるので、もう少し穏やかな雑談テーマが良いかと。逆に深夜帯はコアなファンが多いので、少しマニアックなゲーム実況なども刺さるかもしれません」
真剣な顔でプレゼンする彼は、いつもの仕事のできる先輩そのものだ。でも、語っている内容は全部、私の個人的な活動について。その情熱と熱意に、私はただただ圧倒されるばかりだった。この人、仕事よりこっちの方が生き生きしてない……?
ある日、私は彼のPC画面を何気なく覗き込んだ。彼が次の企画案の資料を開こうとした、その一瞬。デスクトップの壁紙が見えた。
それは、有名なイラストレーターさんが描いてくれた、幻想的で美しいルナ・セレスのファンアートだった。
「あ……これ……」
私が声を上げると、高橋さんは「ビクッ」と肩を揺らし、慌てて別のウィンドウを開いて壁紙を隠した。
「な、なんでもありません。ファン活動の一環です」
早口で言い訳する彼の顔は、いつもの無表情を必死で取り繕っている。でも、隠しきれていない部分があった。
彼の耳が、真っ赤に染まっていたのだ。
(か、可愛い……)
氷の貴公子なんて呼ばれている人の、そんな一面を見てしまったら、もうダメだ。
今まで「怖い」としか思っていなかった彼への印象が、ガラガラと音を立てて崩れていく。そして、その崩れた場所から、新しい感情が芽生え始めているのを感じた。
「あの、高橋さん」
「……なんですか」
「いつも、ありがとうございます。高橋さんが色々考えてくれるおかげで、最近、配信するのが前よりずっと楽しいです」
素直な気持ちを伝えると、彼は一瞬、目を丸くした。そして、ふいっと顔を背けてしまう。
「……当然のことをしているまでです。あなたの活動がより良くなるなら、俺はなんだってします」
まただ。耳が、さっきより赤くなっている。
その反応がなんだかすごく愛おしくて、私は思わず笑ってしまった。
「次の企画ですが、競合のVTuberの動向も分析しました」
私の笑い声をごまかすように、高橋さんが咳払いをして、また真剣な顔でプレゼンを始める。
仕事のできる先輩。熱心なファン。そして、時々見せる、不器用で可愛い一面。
この奇妙で、でも少し心地よい秘密の作戦会議は、私にとって、いつの間にか夜の配信と同じくらい、大切な時間になっていた。
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