第3話 女道士 何青蝶

「太后陛下。こちらが、巷で名高い凄腕の女道士でございます」

 ある日、側仕えの太監であるマーが私の前へ一人の女道士を連れて来た。

ファ青蝶チンディエと申します」

(ふむ……)

 玉座にもたれる私の前で跪く女は、まだ二十歳にもならぬ小娘に見えた。

 しっとりとした黒髪を、頭の両側で高く結い上げている。名に合わせてか身に纏った衣は青く、蝶の刺繍を施している。その顔に化粧っけはなく、みずみずしい天然の装いが彼女を輝かせていた。

(これが凄腕の道士だと? とても経験を積んだ者には見えぬが)


紫旦したん国のため、太后陛下にはより一層健康に若々しくいていただかなくてはなりませぬ。この者であれば、きっと陛下の回春の願いを……」

「あ、馬氏」

 物怖じすることなく、青蝶は馬の言葉を遮った。

「ここからの話はかなりデリケートなものとなるんで、席外してもらっていっスか?」

 ん? 今、何と?

とは?」

 私が問うと、青蝶はへらりと笑った。

「あぁ、すんません。仙界語で『繊細な』みたいな意味っス」

(仙界語? この者は、仙界にも出入りしておるのか)

 俄然興味が湧いた。


「こ、小娘! この儂に部屋から出て行けと申すか! 儂は太后陛下に長年お仕えし、信頼も厚く……」

「馬」

 憤り震える馬に、私は退出するよう絹扇で扉を指し示す。

「馬、それから他の者も、この娘の言う通り外で控えておれ」

「しかし太后陛下……!」

「控えておれ」

「……は」

 不承不承と言った体で、太監たちはのろのろと部屋を出ていく。扉が閉ざされると、部屋は私と女道士の二人きりとなった。

「人払いをしたぞ」

「畏れいります」

 青蝶は丁寧に一礼し、黒曜石のような眼差しをこちらへ向けた。

「そんじゃお伺いしますが、太后陛下は若返りを望んでおられるんスよね。その理由を聞かせてもらっていっスか?」

(何たるぞんざいな物言いよ)

 そう思いつつ、この場を女二人きりにしてくれた彼女の心遣いはありがたく感じた。仙界語で言うところのでりけぇとな話ゆえ、あまり周囲に聞かせたくないのが本音だ。


 私は、病弱な現皇帝のこの先が不安なこと、そして跡を継ぐ予定の孫がまだ幼いことを話した。故に私自身が健康を保ち、あと十年は孫の後ろ盾となって睨みを利かせたいと。

「僅かでも弱みを見せれば、狼のような連中に食い荒らされてしまうのが、宮中のならい。わらわは孫にそのような思いをさせたくない」

「つまり太后陛下は元気に長生きして、後見人としてお孫さんの側にいてやりたいってことでいっスか」

 私が頷くと、青蝶はなるほどと口の中でつぶやいた。

「馬の話によれば、年老いて陰の気が衰えた女は、男に抱かれることで陽の気をもらえば、元気や若さを取り戻せるそうな」

「あぁ、それはマジっスわ」

「……『まじ』?」

「あ、すんません。仙界語っス。真実、って意味っス」

 なるほど、仙界語。

「故に妾は実践した」

 青蝶と二人きりなのをありがたく思う。私が何をしているか側仕えの者は全て知っているが、あえて説明する場に彼らにいてほしくない。

「信頼できる右丞相の傑倫ジェルンしとねへ呼び寄せ、陽の気を捧げさせた」

「……」

「ここ蓬莱宮は、亡くなられた先帝の后妃たちが集められ、先帝の魂を慰めながら静かに余生を過ごす場所じゃ。男を招き入れることなど、本来あってはならん」

 青蝶は真っすぐな眼差しをこちらへ向けている。口調は軽いが、真剣に話を聞いてくれているのが伝わって来た。

「だが、妾はあえて選択した。三十年もの昔に亡くなった先帝より、これから生きる孫のためにこの身を使おうと」

「……アグレッシブっスね」

「それも仙界語か?」

「仙界語っス」


 青蝶の口調のせいか、思いの外、心の負担なく本音を打ち明けられる。

「しかし幾度か試してみたものの、思うような成果が出ぬのだ。若返る気配など微塵もない。ほれ、見よ。この手などまるで枯れ木のようであろう」

 私がため息をつくと、青蝶は口元に手をやり一つ頷いた。

「失礼ながら、右丞相様はおいくつで?」

「三十八じゃ」

「もう少し若い男を召した方がいいんでは? 出来れば二十代」

「分かっておる」


 私は窓の外へ視線をやる。誘われるように青蝶もそちらを振り返った。

「ふむふむなるほど。あの建物に、若い男をめっちゃ集めてるんスね」

「あの建物? まさか、見えておるのか? 塀の外であろうに」

「見えないけど、そこにあるのはわかるっスね。陽の気がビンビン伝わってくるっス」

(伝わってくるか)

 ならば期待できそうだ。

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