第40話 揺れる炎の前で

夕食後、片付けもひと段落した居間。

暖炉の火がぱちぱちと音を立てる中、プリンは椅子に腰を下ろし、兄妹とやっちゃんに向き直った。

静かに息を吸い、言葉を選ぶように口を開く。



『私がどうして“プリン”という名を隠し、ロリポップ・スフレと名乗って旅をしていたのか……話しておくわね。どこかで、きちんと伝えなきゃいけないと思ってた』


オランジェットとクラフティは姿勢を正し、やっちゃんも黙って耳を傾けた。


『私の父は……シュー・アラモード。古い探検家の家系に生まれて、ずっと危険地帯の調査や航路の開拓、未知の区域の採集をしてきた人だった。そばにいると、いつも土と潮の匂いがしていたわ』


プリンの声は柔らかいが、その奥に深い影が差していた。


『その昔、父が“霧の大穴”を発見したの。そこには古代の遺物や資源が眠っているって噂されて、盗掘団や密猟組織が群がった。彼らにとって父は……邪魔だったのよ』


暖炉の火がわずかに、そして静かに揺れた。

クラフティが奥歯を噛みしめて聞き入る。


『父の仲間も、家系そのものも標的になった。襲撃や監視が続いて……結局、父は命を落とした』


『……そんな』

クラフティが思わずつぶやく。


『父の死は、ただの事故じゃなかった。裏社会の連中は、父の“血筋”そのものに価値があると思った。だから、娘である私の本名まで追跡リストに載せて追ったわ、母親は弁護士だからマークされなかったけれど。』


やっちゃんが眉を寄せる。


『冒険家として駆け出しのころの私は、宿帳に名前を書くだけで足跡を追われたわ。もし同行者がいれば巻き込み、立ち寄った村の人を危険にさらす。だから……』


プリンは静かに自分の胸を押さえた。


『私は、“自分はもう自分であってはいけない”と判断したの。冒険家としての道を歩くためには、誰も傷つけないためには、名を捨てるしかなかった』


少し沈黙が落ちる。そのあと、プリンはゆっくりと言葉を続けた。


『ロリポップ・スフレ……それは、父が趣味で描いていた漫画のキャラクターの名前。明るくて、自由で、どんな困難にも折れない女の子。誰のものでもない、でも私の心の芯に近い存在だった』


オランジェットがそっと口を開く。


『……お父さんが大切にしていたキャラクターの名前だったんだ…』


『ええ。偽名だったけれど、それはただの嘘じゃない。名を捨てても自分の心は捨てないための鎧であり、人を巻き込まずに歩くための影であり……いつか戻る場所を守るための仮の姿だったの』


クラフティは目を潤ませながら、ぎゅっと拳を握る。


『プリンさん……そんな理由があったなんて……』


プリンは二人に向けて微笑んだ。


『ロリポップ・スフレを名乗った私は、家系の重圧からも、追跡者からも距離を置いて旅を続けた。父の遺した研究資料を守り、密猟者より先に“ある地図”を回収するために。これが……私の旅の本当の目的だったの』


やっちゃんが深くうなずいた。


『だから誰にも素性を明かさず、なぜその場所へ向かうのか説明もしなかったんですね、そしてわざと自分はロリポップ・スフレだと言った。』


『ええ。誰にも追及されず、誰も巻き込まないために。ロリポップ・スフレは……そのための完璧な影法師だった。霧の大穴へ辿り着く方法は私しか知らないから、人知れず回収する事は出来たけどね。その後は四神を制覇して伝説と呼ばれたりもしたけれど』


暖炉の火がぱち、と音を立てた。


プリンはまっすぐに二人を見つめる。


『でも今はもう、隠す理由はないわ。あなたたちの前では、本当の私でいたい』


オランジェットはそっとプリンの手に触れ、クラフティは胸の前で手を握りしめた。


『プリンさん……ありがとう』『聞かせてくれてありがとう』


プリンは静かにほほえむ。


『こちらこそ。あなたたちに話せてよかったわ』


--------------------------------------------


暖炉の火は静かに揺れ、三人の影を壁に大きく伸ばしていた。

この夜はどこか特別な空気をまとっていた。


プリンが湯気の立つ木のカップを両手で包みながら、ふっと笑みを見せる。


『私がまだロリポップ・スフレって名乗ってた頃ね……

北の山脈の麓で、迷子の巨大アルパカに追いかけられたことがあるの。』


クラフティが目を輝かせる。

『あの山脈のアルパカって、気性が荒いっていう!』


『そう。怒らせた覚えなんて全然なかったのに、突然ふわふわの毛玉が全力で走ってきてね。仕方なく崖まで逃げて……飛んだの。』


やっちゃんが椅子を軋ませて前のめりになる。

『飛んだ!? 崖でしょ?』


『追い込まれたら飛ぶしかなかったのよ。でも大丈夫。下に木があったから、ちゃんと掴んで生き延びた』


平然と語るプリンに、クラフティが両手をバタバタさせる。


『何それ!普通の人は死ぬよ!』


『普通じゃないから冒険家になったのよ』


少し笑いが収まった頃、クラフティがぽつりと語り出す。


『小さい頃ね、よく母さんに絵本を読んでもらってたんだ。

“地図は心が行きたい場所を教えてくれる”って言葉が好きで……

だから私、地図を見るとワクワクするんだ』


プリンが柔らかく目を細める。

『あなたの冒険好きの原点なのね』


クラフティはうなずき、少し恥ずかしそうに笑う。


やっちゃんは腕を組み、しばらく火の揺らぎを見つめたあと静かに話し始める。


『私は……小さい頃、よく父に連れられて海に行った。

父は小さな港の仕事をしてたから、休みの日でも海の話ばかりしてて』


クラフティが穏やかに聞き入る。

プリンもカップを置いて、さりげなく視線を向けた。


『そこで、沈みかけた小舟を見たの。父はためらわず飛び込んで、乗ってた人を助けた。私はただ怖くて見てるだけだったんだけど……あの瞬間のこと、ずっと忘れられない』


声は淡々としているが、言葉の一つ一つに重さがあった。


『あの時からかな。誰かを助けられる人間になりたいって思ったのは。

でも……気づいたのよね、私はまだ父の背中には遠いってこと』


プリンはそっと微笑む。

『背中を追いかけている人は、もう一歩踏み出している人よ。自分で気づいていないだけ』


やっちゃんの表情が少しだけ緩む。

流れに乗るようにオランジェットも話し始める。


『……ボクにも、一つだけ忘れられない景色があるんだ』


クラフティが顔を向け、プリンも静かに耳を傾ける。


『まだ小さかった頃、一人で森に入ったら迷子になってさ』


オランジェットはふっと微笑む。


『泣いてたら父さんと母さんが迎えに来てくれてさ、お父さんが肩車してくれたんだよ。あの時、“家族がいる場所は、どこでもあったかい”って思ったんだ。』


クラフティが小さくコクンと息をのむ。

やっちゃんはゆっくりと姿勢を正した。


暖炉の炎の光がオランジェットの瞳に揺れる。


クラフティがそっと兄の隣に寄り、肩に頭を預ける。

オランジェットは照れたように目をそらすが、拒まない。


『でも…5分間だけ裏世界で旅をして、いろんな人に出会って、家族って血だけじゃなくて……同じ場所で笑ったり、困ってる時に隣にいてくれる人のことも言うんだって思ったんだ』


やっちゃんは低く優しい声で言う。


『……出会えたのは、偶然じゃなくて必然なのよね』


プリンも微笑を深めた。


『……うん。

きっと、またあの時みたいに……

どこかへ歩いていく時、もう怖くないと思うんだボク』


暖炉の熱が、部屋全体をやさしく満たし続けていた。

その中でオランジェットの言葉は少しずつほどけ、

四人のあいだに新しい形の“家族の気配”がゆっくりと育っていった。


時間が溶けていくような夜


会話は途切れても、静けさが気まずさにはならない。

それぞれの過去が暖炉の熱に溶けて、部屋の空気に馴染んでいく。


クラフティがマットに寝転びながら呟く。


『……こういう夜って、いいね』


プリンが頷く。

『旅は道よりも、道中で交わした言葉のほうが心に残るものよ、

これからはたくさん会話しましょうね』


やっちゃんは火が小さくなっていくのを見守りながら、静かに答える。


『みんな、いろんなもの背負ってるけど……

こうして並んで座ると、少し軽くなるね』


その言葉に誰も返事をしなかったが、

四人の心は同じ温度だった。


夜はゆっくりと更け、

過去と未来が同じ火に照らされ続けていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る