第40話 揺れる炎の前で
夕食後、片付けもひと段落した居間。
暖炉の火がぱちぱちと音を立てる中、プリンは椅子に腰を下ろし、兄妹とやっちゃんに向き直った。
静かに息を吸い、言葉を選ぶように口を開く。
◇
『私がどうして“プリン”という名を隠し、ロリポップ・スフレと名乗って旅をしていたのか……話しておくわね。どこかで、きちんと伝えなきゃいけないと思ってた』
オランジェットとクラフティは姿勢を正し、やっちゃんも黙って耳を傾けた。
『私の父は……シュー・アラモード。古い探検家の家系に生まれて、ずっと危険地帯の調査や航路の開拓、未知の区域の採集をしてきた人だった。そばにいると、いつも土と潮の匂いがしていたわ』
プリンの声は柔らかいが、その奥に深い影が差していた。
『その昔、父が“霧の大穴”を発見したの。そこには古代の遺物や資源が眠っているって噂されて、盗掘団や密猟組織が群がった。彼らにとって父は……邪魔だったのよ』
暖炉の火がわずかに、そして静かに揺れた。
クラフティが奥歯を噛みしめて聞き入る。
『父の仲間も、家系そのものも標的になった。襲撃や監視が続いて……結局、父は命を落とした』
『……そんな』
クラフティが思わずつぶやく。
『父の死は、ただの事故じゃなかった。裏社会の連中は、父の“血筋”そのものに価値があると思った。だから、娘である私の本名まで追跡リストに載せて追ったわ、母親は弁護士だからマークされなかったけれど。』
やっちゃんが眉を寄せる。
『冒険家として駆け出しのころの私は、宿帳に名前を書くだけで足跡を追われたわ。もし同行者がいれば巻き込み、立ち寄った村の人を危険にさらす。だから……』
プリンは静かに自分の胸を押さえた。
『私は、“自分はもう自分であってはいけない”と判断したの。冒険家としての道を歩くためには、誰も傷つけないためには、名を捨てるしかなかった』
少し沈黙が落ちる。そのあと、プリンはゆっくりと言葉を続けた。
『ロリポップ・スフレ……それは、父が趣味で描いていた漫画のキャラクターの名前。明るくて、自由で、どんな困難にも折れない女の子。誰のものでもない、でも私の心の芯に近い存在だった』
オランジェットがそっと口を開く。
『……お父さんが大切にしていたキャラクターの名前だったんだ…』
『ええ。偽名だったけれど、それはただの嘘じゃない。名を捨てても自分の心は捨てないための鎧であり、人を巻き込まずに歩くための影であり……いつか戻る場所を守るための仮の姿だったの』
クラフティは目を潤ませながら、ぎゅっと拳を握る。
『プリンさん……そんな理由があったなんて……』
プリンは二人に向けて微笑んだ。
『ロリポップ・スフレを名乗った私は、家系の重圧からも、追跡者からも距離を置いて旅を続けた。父の遺した研究資料を守り、密猟者より先に“ある地図”を回収するために。これが……私の旅の本当の目的だったの』
やっちゃんが深くうなずいた。
『だから誰にも素性を明かさず、なぜその場所へ向かうのか説明もしなかったんですね、そしてわざと自分はロリポップ・スフレだと言った。』
『ええ。誰にも追及されず、誰も巻き込まないために。ロリポップ・スフレは……そのための完璧な影法師だった。霧の大穴へ辿り着く方法は私しか知らないから、人知れず回収する事は出来たけどね。その後は四神を制覇して伝説と呼ばれたりもしたけれど』
暖炉の火がぱち、と音を立てた。
プリンはまっすぐに二人を見つめる。
『でも今はもう、隠す理由はないわ。あなたたちの前では、本当の私でいたい』
オランジェットはそっとプリンの手に触れ、クラフティは胸の前で手を握りしめた。
『プリンさん……ありがとう』『聞かせてくれてありがとう』
プリンは静かにほほえむ。
『こちらこそ。あなたたちに話せてよかったわ』
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暖炉の火は静かに揺れ、三人の影を壁に大きく伸ばしていた。
この夜はどこか特別な空気をまとっていた。
プリンが湯気の立つ木のカップを両手で包みながら、ふっと笑みを見せる。
『私がまだロリポップ・スフレって名乗ってた頃ね……
北の山脈の麓で、迷子の巨大アルパカに追いかけられたことがあるの。』
クラフティが目を輝かせる。
『あの山脈のアルパカって、気性が荒いっていう!』
『そう。怒らせた覚えなんて全然なかったのに、突然ふわふわの毛玉が全力で走ってきてね。仕方なく崖まで逃げて……飛んだの。』
やっちゃんが椅子を軋ませて前のめりになる。
『飛んだ!? 崖でしょ?』
『追い込まれたら飛ぶしかなかったのよ。でも大丈夫。下に木があったから、ちゃんと掴んで生き延びた』
平然と語るプリンに、クラフティが両手をバタバタさせる。
『何それ!普通の人は死ぬよ!』
『普通じゃないから冒険家になったのよ』
少し笑いが収まった頃、クラフティがぽつりと語り出す。
『小さい頃ね、よく母さんに絵本を読んでもらってたんだ。
“地図は心が行きたい場所を教えてくれる”って言葉が好きで……
だから私、地図を見るとワクワクするんだ』
プリンが柔らかく目を細める。
『あなたの冒険好きの原点なのね』
クラフティはうなずき、少し恥ずかしそうに笑う。
やっちゃんは腕を組み、しばらく火の揺らぎを見つめたあと静かに話し始める。
『私は……小さい頃、よく父に連れられて海に行った。
父は小さな港の仕事をしてたから、休みの日でも海の話ばかりしてて』
クラフティが穏やかに聞き入る。
プリンもカップを置いて、さりげなく視線を向けた。
『そこで、沈みかけた小舟を見たの。父はためらわず飛び込んで、乗ってた人を助けた。私はただ怖くて見てるだけだったんだけど……あの瞬間のこと、ずっと忘れられない』
声は淡々としているが、言葉の一つ一つに重さがあった。
『あの時からかな。誰かを助けられる人間になりたいって思ったのは。
でも……気づいたのよね、私はまだ父の背中には遠いってこと』
プリンはそっと微笑む。
『背中を追いかけている人は、もう一歩踏み出している人よ。自分で気づいていないだけ』
やっちゃんの表情が少しだけ緩む。
流れに乗るようにオランジェットも話し始める。
『……ボクにも、一つだけ忘れられない景色があるんだ』
クラフティが顔を向け、プリンも静かに耳を傾ける。
『まだ小さかった頃、一人で森に入ったら迷子になってさ』
オランジェットはふっと微笑む。
『泣いてたら父さんと母さんが迎えに来てくれてさ、お父さんが肩車してくれたんだよ。あの時、“家族がいる場所は、どこでもあったかい”って思ったんだ。』
クラフティが小さくコクンと息をのむ。
やっちゃんはゆっくりと姿勢を正した。
暖炉の炎の光がオランジェットの瞳に揺れる。
クラフティがそっと兄の隣に寄り、肩に頭を預ける。
オランジェットは照れたように目をそらすが、拒まない。
『でも…5分間だけ裏世界で旅をして、いろんな人に出会って、家族って血だけじゃなくて……同じ場所で笑ったり、困ってる時に隣にいてくれる人のことも言うんだって思ったんだ』
やっちゃんは低く優しい声で言う。
『……出会えたのは、偶然じゃなくて必然なのよね』
プリンも微笑を深めた。
『……うん。
きっと、またあの時みたいに……
どこかへ歩いていく時、もう怖くないと思うんだボク』
暖炉の熱が、部屋全体をやさしく満たし続けていた。
その中でオランジェットの言葉は少しずつほどけ、
四人のあいだに新しい形の“家族の気配”がゆっくりと育っていった。
時間が溶けていくような夜
会話は途切れても、静けさが気まずさにはならない。
それぞれの過去が暖炉の熱に溶けて、部屋の空気に馴染んでいく。
クラフティがマットに寝転びながら呟く。
『……こういう夜って、いいね』
プリンが頷く。
『旅は道よりも、道中で交わした言葉のほうが心に残るものよ、
これからはたくさん会話しましょうね』
やっちゃんは火が小さくなっていくのを見守りながら、静かに答える。
『みんな、いろんなもの背負ってるけど……
こうして並んで座ると、少し軽くなるね』
その言葉に誰も返事をしなかったが、
四人の心は同じ温度だった。
夜はゆっくりと更け、
過去と未来が同じ火に照らされ続けていた。
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