第24話 守り切りたるは藍の森
クラフティが塔に駆け寄り、小さな手で苔を掴み取って、一ヶ所に集める。
手が泥だらけになっても構わず集めた。
獣の足音が、湿った地面を踏みつけ、
ぐぐぐ……と土を盛り上げながら近づいてくる。
塔の影が揺れるたびに、瘴気がざわめき、空気が歪んだ。
うてえーっ!――
うおー!――
一斉に月夜族のヤミコケの矢が降り注ぐ。
その数――数万
苔が獣の胴に張りつき、じゅうっと音を立てて瘴気を吸い込む。
ドンッ!――
苦しいのだろうか、藍喰らいが長老の塔に身体を叩きつける。
その衝撃で塔に掲げた金属の紋章が地面に落ちる!
『あぶない!!!!』
オランジェットが飛び出して長老の手を掴み、その勢いで地面にゴロゴロと転がる。
ガラン!!!!
間一髪直撃を避ける。
その瞬間、獣が吠える。
――グモォオオオ!
落ちた紋章に駈け寄るオランジェット!
しかしそれはあまりに重すぎた。
『うぎぎぎぎぎ…』
『手伝ってください!!!!!この鉄板で月の光を反射します!』
『何のために!?』側にいる戦士が問う。
『月の光があいつの弱点を照らします!そこを狙って!!!』
その声に月夜族の戦士が集まり、紋章を持ち上げた!
『せーーーーの!!!!』
角度を合わせると紋章が月を写す!
月の光が一直線に獣を捉えた!
勝利を信じて疑わないオランジェットの瞳のように真っすぐに。
光の筋が大気中の瘴気を裂き、獣の胸の奥に潜む
青い霧の中で、鼓動のように光が脈打っている。
『ぬいめーーーーー!!!!あそこを!!!!』
『第三師団!!!!目標 獣の胸の脈打つ光!!!てぇ!!!』
撃ち込まれる無数の弓矢!
獣にしてみれば
雨の一滴が岩をも砕くように、次々と弱点を集中攻撃されると、
藍喰らいは苦しげに身をよじった。
『第一師団!援護する!てぇっ!!!』
『第二師団合流!これより援護する!!てぇっ!!!』
援護に駆けつけ、火力が増す。
何十万本と言う弓矢が
獣の胸の奥で、確かに何かが砕ける音がした。
藍喰らいの獣の体から光があふれ、森を染めていく。
グモモモモーーーー!!!
『お兄ちゃん!!倒れる!!!』
『クラフティ!塔の陰に隠れて!!!』
駆けつけるオランジェットとクラフティは、長老と共に
塔の陰に飛び込んだ。
巨体が倒れ込み、大地がうねりをあげる!
――ズドォオオオおおん!!!!
一瞬遅れて瘴気の波が森全体を吹き抜けた。
何かが爆発したかのような風の音。
吹き飛ばされる数百、いや数千の月夜族。
藍喰らいの獣が、最後の咆哮を上げて崩れ落ちた。
その巨体が地を打つ轟音が、森の奥まで響き渡る。
塔の影がゆっくりと揺らいだ。
――そして、静寂。
一瞬の間をおいて、空気が震えた。
『やったぞおおおおおっ!!!』
静寂を切り裂いたのは、月夜族全員の大歓声だった。
夜空にこだまするその声は、まるで長い闇を追い払う光のように力強かった。
オランジェットは呆然とその光景を見つめ、次の瞬間、
『勝った……! 本当に……勝ったんだ!!』と叫び、クラフティに飛びついた。
クラフティも涙をこぼしながら笑い、
『終わったんだ……怖かった……!』と震える声で応えた。
二人はそのままぬいめと長老を巻き込み、力いっぱい抱きしめ合う。
『ありがとう……オランジェット、クラフィティ!お前たちがいてくれて、本当に良かった……!』
『長老!』
『貴様ら長老に馴れ馴れしいぞ!』
『黙れバカタレが!お前も来なさい!』
側近の兵士を巻き込み強く強く抱き合った。
『ぬいめも頑張ったね!』
『オランジェット、クラフティ、戻ってくれてありがとう、僕は名前を貰った戦士だからね』
『うん』『うん』
夜風が、藍の森を包み込む。
燃え尽きた獣の残光の中で、月が雲間から顔を出した。
その光は、まるで新しい夜明けを告げるように――
戦いの終わりを、静かに祝福していた。
藍喰らいの獣の体は、やがて青白い光に包まれ、ゆっくりと霧のように溶けていった。
黒い毛が一本、また一本と抜け、風に散る。
最後に残ったのは、小さな藍色の結晶だけだった。
ぬいめがそれを両手で拾い上げ、胸に抱く。
『これは……仲間たちの結晶……。』
その声に、誰も言葉を返せなかった。
ただ、静かに頷き合う。
森の奥で、鳥のさえずりが聞こえた。
それは、この地に再び「朝」が戻る合図だった。
クラフティは空を見上げる。
雲を切り裂き、月が白々と輝く。
その光の中で、涙が頬を伝い――彼女は小さく呟いた。
「さようなら、藍の森の獣……そして――ありがとう。」
藍喰らいの獣が消えたあと、森には深い静けさが戻った。
焦げた匂い、湿った土の感触、そして夜明け前の冷たい風。
月夜族たちは、倒れた仲間たちのもとへ静かに集まっていった。
誰も言葉を発しない。
それでも、涙の音だけが、確かにそこにあった。
涙は流せないけれど、泣く事は出来る。
ぬいめは、小さな手で藍色の結晶を包み込み、
その光に祈りを捧げる。
「あなたたちの勇気が、この森を救ってくれました……どうか、安らかに」
長老がゆっくりと立ち上がり、手を掲げた。
古の祈りの言葉が、低く響く。
風がそれに呼応するようにキノコを揺らし、
擦れ合う笠のざわめきが、まるで亡き者たちの返事のように聞こえた。
クラフティはオランジェットの隣に立ち、
静かに仲間たちの背中を見つめる。
『……戦いって、勝ってもこんなに寂しいんだね、お兄ちゃん』
オランジェットは小さく息を吐き、頷いた。
『うん。でも……あの人たちが繋いでくれた命を、無駄にはしない』
夜が明け始める。
東の空がゆっくりと朱に染まり、
藍の森が“夜”以外の色を取り戻していく。
光が森の間を抜ける。
それは、失われた命たちへの“返礼”のようだった。
――やがて、旅立ちの時が来た。
オランジェットとクラフティは、藍の森の出口に立つ。
背後には月夜族たち、そしてぬいめと長老の姿。
長老が一歩前へ進み、静かに口を開いた。
『ここから先は、あなたたちの道です。――藍の森が途切れたその奥深くに、双子が営む雑貨屋があります。そこで“帰還のランプ”を手に入れなさい。』
オランジェットが目を瞬かせる。
『双子の雑貨屋さん?』
『いかにも』と長老は頷いた。
その時、クラフティがシャルロットの日記を開く。
『お兄ちゃん、ニッキーにはこう書いてる……“額に
『それは前の店主でな…いやまて!十字架キズのイノシシとな?それは……藍喰らいでは……クラフティ、その本はなんだ』
『この世界から帰還したと言う人から聞いたことを、お母さんが書いた日記です。話してくれたのは髪の毛の毛先がピンク色の…えっと…やっちゃんと言う人らしいです。』
長老の表情が一瞬にして強張る。
『やっちゃん…なんたることか、彼女の本がこの世界に“ズレ”を……我々は遥か昔から戦っていた事に記憶自体が書き換えられてしまったと言う事か!』
『十字架キズのイノシシ店主が藍喰らいになったってこと?』
オランジェットの声が震える。
長老は深く頷き、目を閉じた。
『記憶の本を――なんらかの理由でこの世界に置いて行ってしまったんじゃな。ワシも長く生きておるが、知らぬ間に色々なことが書き換えられているのやもしれぬな…』
風がざわめき、ぬいめの笠が揺れた。
『この世界は、魂を燃やして灯すランプによって繋がっておる。だが……記憶の本を持ち帰れぬまま魂が尽きれば、本も本人と共に消える。つまり――“故意に”この世界へ本を残し、帰還したから世界にズレが出たわけじゃ。』
クラフティが拳を握りしめる。
『そのせいで月夜族の仲間の命が…』
『しかたあるまい、やっちゃんも理由があったのだろう、雑貨屋の店主が藍喰らいになり、それを遥か昔からの事と歴史自体が歪められているかもしれぬのは、少し恐ろしいがな。いったい、何冊置いて行ったやら……』
『三冊です!』
その声に、森の空気がぴんと張り詰めた。
長老は静かに目を開き、二人を見つめる。
『そうか……では、あと二つ。何かがズレ、旅の途中でお前たちの障害となるやもしれぬ。だが疑うな、やっちゃんはこうなる事を望んでしたことではない。』
そう言って長老は自分の笠を傾げて、ピンク色の縫い目を2人に指差して見せた。
『あ!それ、縫ってくれたのはやっちゃん!?』
『倒れて割れたワシの笠を自分の髪の毛で縫ってくれたんじゃよ、そんな優しい人が世界を壊そうとしてやるわけがない、だから憎まないでやってくれないか』
オランジェットは迷わなかった。
『うん!憎まない!きっと絶対必ず帰ります!』
『私も!』クラフティが叫ぶ。
長老は目を細め、優しく微笑んだ。
『よく言った。お前たちの武器は――その若さじゃ。さぁ、自分たちの“明日”を見つけに行きなさい。』
クラフティは深く頭を下げ、
オランジェットは笑顔でぬいめの頭を撫でた。
『つらい時も笑ってる君の勇気を見たよ。』
ぬいめは小さく首を振る。
『笑顔は……できないけどね。』
オランジェットは優しく微笑んだ。
『ううん、ちゃんと笑ってた。そう見えた。……僕も、辛いときこそ笑うことにするよ。わははって。』
『あ、クラフティ、雑貨屋の名前は今はフィナンシェって言うみたいだよ』
『うん、わかった、ありがとう』
森を出る二人の背に、何十万もの月夜族が手を振った。
その光景は、まるで夜空に揺れる星の群れのようだった。
柔らかな風が吹く。
その風には、亡き者たちの声と、祈りと、希望が混じっていた。
藍の森の奥で、ひとすじの光が天へと昇っていく。
それはまるで、魂たちが夜明けへ帰っていくようだった。
――新しい旅が、始まろうとしていた。
だがその時、クラフティは胸の奥に、微かな熱を感じていた。
それは燃えるような痛みでもあり、命の灯が揺らぐような温もりでもあった。
彼女は誰にも言わなかった。
ただ、心の中でそっと呟く。
『あと三日……それまでに帰らなきゃ――私が消えてしまう。』
この先に待つのは、希望か、それとも――新たな闇か。
彼らの旅は、まだ終わらない。
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