※第1話-2 結衣 十年の「おはよう」より、昨日の「待て」を選んだ私が正しい。


 ――ねえ、私は悪くないよね?

 好きだって言われた数は、努力の証だよ? かわいいって言われるのは、ちゃんと磨いたから。

 “器が大きいほうが、正義”だから。……笑ってる?

 だって、そうでしょ。

 誰でもいいわけじゃない。ただ、私を一番に理解してくれるなら、それで――。


 スマホの鍵垢に指が滑る。

 タイムラインには、同意の拍手。共感のスタンプ。正しさの証拠。

 昨日の雨のことは書かない。幼馴染の名前も。彼がどんな顔で立ち尽くしてた、かも。

 かわいそう、なんて言葉は、フォントの端で丸まって消える。





 昼休み、女子グループで集まる。


「相性って、音だよ音。氷がカランって鳴る間で、体温が上がる人いるじゃん?」

「わかるかも、それ。あと、腕時計を置く音で合図くれる人、天才」

「手首をトンって叩いてくるのも好き。声いらないのがいちばんえろい」

「わかるわぁ〜! やさしいのに、容赦ないよね。やっぱ社会人って違うよね〜!」


 集まる面子がいつも同じだから、会話内容だって似通る。下卑た話題。

 机の下で、太ももと親指が震えた。

 ——《今夜、マンションで》。


「ねえ、結衣は?」

「……匂いと、跡かな。つかないくらいの、ぎりぎり」


 言ったあとストローを咥えた。


「うわ、性格出る〜! 上手い人の言い方だわ!」

「あとは、喉の温度と、味。首すじの塩っぽいとこ」

「変態じゃん〜! でも、うちも好きかも、それ」

「跡残す人いるじゃん。あれ、濃くつけられるのは嫌だけど、薄く残るのは……ちょっと、いい」


 ぷは、と口を離す。コンビニで買ったリプトンのストローの先に、リップが移る。

周囲は「やば~!」とはしゃいでる。このグループにおいて女王は私。

 

「てか結衣、あの幼馴染フったの? すっごく仲良かったのに~」

「……幼馴染って保険じゃん?」


 周囲の友達がぎょっと目を向けた。すぐあとギャハッと笑う。


「結衣、それヤバ~!! てかその幼馴染、後ろにいる! いるから!」

「一昨日の雨の日、幼馴染くんさ、映画みたいに突っ立っててウケた」

「結衣~! やめ、やめて~!!」

「傘くらい自分で持てなんだよね。ずぶ濡れのまま見つめられるとかホラー」

「やめて〜笑い死ぬ」

「あれでキュン来るの、中二女子だけ」


 言い過ぎたかな。……まあいいか。アイツだし。

 あ。教室を駆けて出て行った。はあ、いなくなって良かった。目障りだったし。


「ねえ結衣っ、今日もあの金髪先輩とヤるの?」

「う~ん、今日は……。まあ、あの人も悪くはないんだけど……」

「ぎゃはっ、何それ~!」


 グループの輪で笑いながら、胸の内側は、ちょっとだけ暴れてる。

 わかる人に当たる夜は、だいたい沈む。気分も、肉体も。





 拘束具で手首を後ろに束ねられて、カーペットの上で跪く。

 膝の骨にじんわり熱が移って、呼吸だけが勝手に浅くなる。


「目、上げて」


 言われるまま顔を上げると、すぐ近くにパパのぶっとい膝。

 届きそうで届かない距離。舌を伸ばしても、触れられない。

 視界の端で、白いタオルが湯気を吐いていた。温かな気配。少しだけ金属の匂いも。


「合図は覚えているか? 結衣」

「……“止めて”は足で一回。“もう一回”は、二回」

「いい子だ。じゃあ——待て」


 待て。

 短い言葉のくせに、体の中では長い。

 首の後ろを片手で支えられて、鎖骨の上に、温タオルがふわっと置かれる。皮膚が一気に緊張する。

 そのまま、胸の谷に沿ってゆっくり圧を滑らせていく。温くなる。

 そして、視界が閉ざされる。

 タオルが外れる音。空気が冷える。

 次の瞬間、角のある冷たさが、鎖骨の稜を叩く。きゅ、と高い音が骨の奥で跳ねて、皮膚の下に星が散る。


「——っ」


 声は出さない、出せない。

 温かさの上に濡れる線。外周だけを丁寧に。肋骨の丸みに沿って、胸の先のはるか手前で旋回していく。

 中心は避けられる。避けられるほど、そこに全神経が集まってしまう。


「待て」


 もう一度、声が落ちる。冷たさはわざと遠回りしながら。

何かがカチと鳴った。

 温度のある指が、胸の外周に円を描く。バニラのフレーバー。……温感ローションだ。

 触れているのは周りだけ。なのに、内側が勝手に熱を持つ。


「行けって言うまで、何もするなよ」


 うなずいた。耳のふちが、やさしく痛む。

 歯の跡が短く残るのを感じる。すぐにパパの親指が撫でて、消していく。


「待て」


 今度は、胸の先の周囲ぎりぎりに、温、冷、温の順番で境界線を描かれる。

 見えなくてもわかる。温タオルで包まれてから、すぐ氷だ。

 神経が跳ねたところへ、温感のジェルがじわっと浸みる。

 中心に触れないまま、外周の圧だけで、形が変わっていく。どんどん先っぽが、硬くなる。

 自分の呼吸の音が恥ずかしい。けど止まらない。


「うずくの、言葉にしろ」

「……ずるい。いま言わせるの、ずるい」


 言い終わらないうちに、背中を伝う、爪の線。

 肩甲骨の間を軽く引っかかれて、背筋が勝手にしなる。甘くて容赦がない。

 痛い、気持ちいい、が同時にきて、頭の中が水みたいになって、シェイクされる。


「ん、ぅ……もっと、意地悪して……っ。もう、どうなってもいいから……っ」


 噛み跡と爪跡は、どちらも浅い。浅いから、逃げられない。


「まだ待て」


 胸の先は相変わらず避けられて、輪郭だけが熱くなっていく。

 そこに、氷。

 外周に冷たさが刺さって、まるで神経がそこにだけ走るよう。

 そこへ、温。

 ローションの熱が遅れて追いかけてきて、境界線が溶ける。

 触れられてないのに、触れられたみたいに、皮膚が勝手に震える。


「雌豚だと認めるか、結衣?」


 目隠しを外される。

 パパが私の顔を覗き込む。

 目をそらさないで、と無言で命じられる。

 跪いたまま、手首は縛られたまま、縦に頷くしかできない。


「行け——と言ったら、君はどうする?」

「……意識を、落と、します」

「そう。じゃあ、まだ——待て」


 時間が伸びる。

 耳たぶの裏を、歯で摘まれて、舌で熱を足される。

 首すじの塩っぽいところに、吐息だけ、ふわっと落とされる。

 胸の先からは相変わらず外れて。

 跪いたまま、それを悟らせないようにするのが、もう無理。


 指先が、最後の軌道を描く。

 温タオルで包んで、氷で切って、温感ローションで縁取って——。


「——イけ」


 合図が、真上から落ちる。

 胸の先端に、ほんの一瞬だけ、温かい指のはらが触れた気がした。

 それが合図の完了。たったそれだけ。

 でも、待たされた時間の分だけ、体のなかの何かが崩れて、堰を切った息が熱を連れてこぼれる。


 ——獣みたいな声が漏れた。

 背中が弓なりにしなり、後ろ手に縛られた腕が震える。

 体の芯が、ぎりぎりと絞られるような快感が突き上げてくる。一度じゃない。何度も、何度も。波が寄せては返すように、でも返すたびに大きくなって、『結衣』という器から溢れていく。

 びくん、と、腹の奥が大きく痙攣する。

 その瞬間、ぷつり、と最後の理性が焼き切れた。


 下腹部に、もう抑えようのない熱の塊が生まれる。それが決壊する。

 じゅわ、と生温かい液体が太ももの内側を伝う感覚。恥ずかしい、と思う間もない。それすら快感の奔流に飲み込まれて、ただただ熱となって全身を駆け巡る。

 膝をついたまま、カーペットに染みが広がっていくのがわかる。べしょべしょに濡れていく。

 ひく、ひく、と体が震える。止まらない。


「お、お、お、……ッ、い、く……いっちゃ、う……! ん、ぅうううッ!」


 もう一度、体の奥が大きく脈打つ。今度はもっと強い。視界が真っ白に明滅して、パパの顔も、部屋の景色も、全部が溶けて消える。

 無限に続くかのような痙攣の嵐。

 さっき漏らしたばかりなのに、熱い滴がまた。


 どれくらい時間が経ったのかわからない。ただ、快感の頂点で溺れ続けていた。

 やがて、荒れ狂う嵐が少しずつ凪いでいく。全身の力が抜けて、くたりとパパの足元に崩れ落ちた。

 は、は、と犬のように浅い呼吸を繰り返す。涙と涎でぐしゃぐしゃになった顔を上げることもできない。

 パパは肩に口を当て、短く噛む。

 浅い痛みで、頭が現実に引き戻される。

 爪の線で背中を撫で直され、余韻を均す。

 手首の拘束具はまだ解かれない。


「よくできたぞ、雌豚。——待て、も、行け、も」


 褒められるの、悔しいくらい、嬉しい。

 勝ってる顔の作り方は知ってるのに、今日は作れない。

 跪いて、縛られて、合図で沈む。

 冷静に考えたら、私、たぶん、かわいそう。

 愛のない肉欲の虜になって、先なんてない。

 ろくでもないバカ彼氏。ろくでもない変態パパ。もしもこのままじゃ、卒業後の就職先はキャバか、ソープか、もっとひどいか。

 快楽にわざと溺れた。きれいに墜ちた。ちゃんとイった。最悪。最高。最悪。

目の前の肉欲は、最も欲する温度を満たしてくれる。

 その事実のほうが、今はずっと大切。


「ほどいて、ほしいか?」


 パパに言われて。

 くっさいびしょびしょの中、足を、だん、だん、と鳴らした。二回だけじゃなくて、何度も。


「変態」

「知ってる」


 パパが笑って、もう一度、氷の先で胸の外周をなぞる。

 温かいタオルが追いかけてくる。

 外周しか触られていないのに、股ぐらの芯が震える。

 私は縛られ、自らの尿の下で跪いたまま、目を上げ、次の命令を待つ。


「雌豚の結衣を、今までの人生のつまらない思い出ごと、ぐちゃぐちゃに壊してください、ご主人様」


 一昨日捨てた、惨めな犬っころの顔を思い出しながら、もっとめちゃくちゃにされるの、最高。




 金髪彼氏とのような、ただひたすら長時間、肉欲をむさぼるようなのも好きだけど。

 こういうのもいい。

ていうか、『好きです』なんて綺麗な言葉じゃなくて、もっと汚い快感だけでいっぱいにしてくれなきゃ。

 幼馴染のアイツじゃ、私を満足させることは、できない。

 ――ねえ、私は悪くないよね?




 教室の扉の前で、また幼馴染と目が合う。

 名前は呼ばない。呼ぶと、昔の私が戻ってしまう。


「おはよ」


 平熱で挨拶する私って、本当に偉いと思う。

 だから、あなたの目の揺れを見ないふり。

 避難所は壊さない。非常時に使うから。だっていつでも開いてるもんね?

 十年の「おはよう」より、昨日の「待て」を選んだ私が正しい。





 教室の席に着くと、ふと引き出しから出てきた。

 図書カードだ。今時、こんなものが?

 備考欄の細い字だけは、やけに新しい。


“犯罪者さんへ。/視覚を返して”

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