第15話:お姫様と騎士の旅

最初は【おばあちゃんの家までの冒険マップ】を作ることにした。


「おばあちゃんちの住所、わかる?年賀状とかない?」

「あったよ。これでいい?」

「じゃあ、僕に見せて!」


ポテトはそう言うと、まん丸な体をきゅっと引き締め、

集中するように目を閉じた。


さくらには、ポテトの頭の中で

最新鋭の地図データがすごい速さで展開されているように思えた。


「ルート設定完了!

 おばあちゃんの家までの【魔法の冒険ルート】が完成したよ!」


ポテトが、得意げに宣言する。


さくらは頷くと、厚手のビニール袋を一枚取り、

丁寧に水槽の水とポテトを中に移した。


次に、ブタの貯金箱を逆さにし、

今まで貯めてきた硬貨をジャラジャラと音を立てて小さな財布に詰め込んだ。


ずしりと重いその財布が、これからの冒険の心強さのようにも、

不安の重さのようにも感じられた。


階下のリビングからは、

朝のニュース番組の音が聞こえる。


母親がテレビに夢中になっている、

今がチャンスだ。


さくらは、ポテトの入ったビニール袋と、

財布を詰め込んだリュックをそっと背負う。


抜き足、差し足、音を立てないように。


「見つからないようにね、さくらちゃん。こっそりだよ。

 スニーク、スニーク」


リュックの中で、ポテトが騎士のように囁く。


玄関のドアノブに手をかけ、ゆっくりと回す。

カチリ、という小さな金属音が心臓に響いた。

冷たい隙間風が顔を撫でる。


外に出た瞬間、ひんやりとした朝の空気が頬を刺し、さくらは思わず身震いした。

けれど、それは家の淀んだ空気とは違う、澄んだ匂いがした。


「冒険のはじまりだね。さくらちゃん!」


さくらはこくりと頷き、振り返ることなくドアをそっと閉めた。


「「エイ、エイ、オー!」」


二人は、まるで王国を救う騎士とお姫様のように、厳かに、

そして小さな声で鬨の声をあげた。



いつもの通学路も、ポテトと一緒なら不思議な冒険の道に変わる。


『さくらちゃん、見て!

 歩道の白い線はマグマが流れる川だ!落ちたら一巻の終わりだよ!』


「うん!」

さくらは慎重に、白線の上だけを綱渡りのように歩く。


『次は、女アサシンのように電信柱の影から影へ、ジャンプして進むんだ!

 光に当たると、HPが削られちゃうぞ!』


「女アサシンって何?ポテト、おかしいよ(笑)」


さくらは笑いながら影から影へ、軽やかに跳んだ。


道ゆく人々は、一様に下を向いてスマホの画面を眺めている。


『あ、出たな!スマホゾンビだ!

 あいつらには僕らのことなんて見えてない。

 スライドとジャンプで避けるんだ!』


「ゾンビって…

 ポテトにはゾンビに見えるんだ」


さくらは小さく呟きながらも、

人々を障害物に見立てて、器用にするりと体をかわす。


ポテトが次々と繰り出すゲームの提案に、さくらは夢中になった。

不思議と、背中を押すように足が前に進む。


母親の怒鳴り声や、頭の中の【悪い声】が、少しずつ遠のいていくようだった。



しばらく歩くと、喉がからからに乾いてきた。


『お姫様、冒険には水分補給も大事だよ!』


ポテトの言葉に、さくらは道端の自動販売機の前で足を止めた。


お母さんからは「自販機で買ったら駄目!」と止められていたのである。

でも、そんなことは関係ない。


さくらは勇気を出して、財布から硬貨を取り出し、震える手で投入口に入れる。


一番飲みたいジュースのボタンを、えいっと押した。


ガコン!


大きな音と共に取り出し口に転がり出てきたスカッシュアップルジュースは、

まるで宝箱から現れた魔法のアイテムのようだった。


『やった!さくらちゃん、

 初めてのイベント達成だね!さすがだよ!』


ポテトに褒められ、さくらの胸は誇らしい気持ちでいっぱいになった。


近くの公園のベンチに二人で座り、

ペットボトルの蓋を開ける。


「「はじめてのクエスト達成に、かんぱーい!」」


朝の光の中でキラキラ光るジュースは、今まで飲んだどんな飲み物よりも甘く、

美味しく感じた。



「次のミッションは、【魔法の切符】を手に入れることだよ!」


駅に着くと、その人の多さと音の洪水に、さくらは少し気圧された。


券売機の前でどうしていいか分からず、戸惑ってしまう。


『大丈夫。これはね、

 行き先を心に強く念じながらボタンを押す、魔法の機械なんだよ!』


ポテトが年賀状の住所から割り出した駅名を、

小さな声でさくらに伝える。


さくらは教えられた通り、深呼吸をしてボタンを押し、

無事に切符を手にすることができた。


『やったね!これがおばあちゃんの国への招待状だよ!

 決してなくさないように、お姫様』


ポテトに言われ、さくらはその小さな紙切れを、

お守りのように大切に握りしめた。


ホームに滑り込んできた電車は、

ポテトに言わせれば「鉄の箱舟」だ。


初めて一人で乗る箱舟に、さくらは少し緊張する。


『僕がいるから、大丈夫だよ。さくらちゃん』


リュックの中から聞こえる力強い声に、さくらは勇気をもらう。


プシュー、と音を立ててドアが閉まり、電車がゆっくりと動き出すと、

さくらの目は窓の外の景色に釘付けになった。


見慣れたはずの家や電柱が、すごい速さで後ろに飛んでいく。


「見てポテト!船が動いてるみたい!」


さくらの声が弾む。


『そうだよ。僕たちは今、時空を超えて空を飛んでるんだ』


ポテトがそう返すと、さくらは「あははっ」と

満面の笑みを浮かべて笑った。



少し大きな乗り換え駅に着く頃には、お昼どきになっていた。

お腹が「きゅるる」と鳴る。


『冒険家には、腹ごしらえが必要だ!』


ポテトが言うと、どこからかパンの焼けるいい匂いが漂ってきた。

匂いに誘われて足を止めると、駅の小さなパン屋さんだった。


ガラスケースに並んだパンを前に、

さくらとポテトは予算会議を開く。


「さくらちゃんの好きなチョコのパンと、

 僕の好きな…うーん…。丸いから、アンパンマンみたいなパンにしよう!」


ベンチに座って食べる

ささやかな食事が、何よりも美味しく感じた。



電車を降り、今度はバスに乗り換える。

さすがに歩き疲れて、さくらの足取りは少し重い。


『さくらちゃん、見て!あれは陸を泳ぐクジラだよ!

 あの大きな口から乗り込んで、お腹の中を探検するんだ!』


ポテトがバスを指差して言う。

そのユニークな表現に、さくらは思わず笑ってしまった。


バスの優しい揺れと、窓から差し込む西日に、

さくらはいつの間にかうとうとと眠りに落ちていた。


ポテトは、ビニール袋の中から、

すやすやと眠るさくらのあどけない顔を愛おしそうに見つめる。


(大丈夫、さくらちゃん。ゴールはもうすぐだよ。よく頑張ったね)


ポテトは、さくらがこの大冒険を

最後までやり遂げられるよう、静かに祈り続けた。


『さくらちゃん。バスを降りるよ、起きて』


ポテトの声で目を覚ますと、

空はきれいな茜色に染まっていた。



『冒険の地図によれば、この角を曲がればゴールだ!』


ポテトの声に励まされ、

さくらは最後の力を振り絞って、角を曲がった。


すると、見覚えのある景色が目に飛び込んできた。

そして、その一角にある家から、温かい光が漏れているのが見える。


ふわりと、夕飯のいい匂いが風に乗って運ばれてきた。

味噌汁と、何かを焼く香ばしい匂い。


そこが、今回の冒険のゴール、

おばあちゃんの家だった。


家の前に着いた途端、さくらの足がぴたりと止まる。


急に来て、迷惑じゃないかな。怒られたりしないかな。

急に不安が胸をよぎった。


『さくらちゃん、お姫様。冒険の終わりを告げる鐘を鳴らすのです!』


ポテトがリュックの中から、インターホンを指して言う。


さくらはごくりと唾を飲み込み、

震える指でインターホンのボタンを押した。


ピンポーン、という音が静かな住宅街に響く。


少しして、スピーカーから「はーい」という、

電話で何度も聞いたことのある優しい声が聞こえた。


ガチャリ、とドアが開き、

おばあちゃんが「どなた?」と言いながら顔を出す。


そして、そこに立つさくらを見た瞬間、

驚いたように目を見開いた。


だが、その表情はすぐに、全てを察したかのように深く、

そして優しいものに変わった。


おばあちゃんは何も言わず、ただ黙って両腕を広げた。


「おばあちゃん…っ!」


その腕が、さくらがずっと求めていた場所だった。


さくらは、ポテトの入った袋を

胸に抱きしめたまま、おばあちゃんの胸に飛び込んだ。


安堵と、冒険をやり遂げた達成感で、

必死にこらえていた涙がとめどなく溢れ出す。


「よく来たね、さくら」


おばあちゃんはしゃがみ込んで、

さくらの小さな体をしっかりと抱きしめ、

優しく、何度も背中を撫で続ける。


それは、母親のヒステリックな言動の後にくる、

罪悪感の混じった「ごめんね」の抱擁とは全く違う、

心からの温かい抱擁だった。


さくらは、自分が世界で一番安全な場所にたどり着いたことを、

その温もりで実感した。


ポテトも袋の中で、静かにその光景を見守っていた。


小さなお姫様と、勇敢なフグの騎士の大冒険は、

こうして大成功に終わったのだ。

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