第14話:冒険の始まり

翌朝、太陽の光が部屋に差し込んでも、

さくらの心は暗い夜のままだった。


ベッドから起き上がったものの、

その瞳は虚ろで、何の光も映していない。

ただ、ぼんやりと壁の一点を見つめているだけだった。


水槽の中から、ポテトが必死に声をかける。

「さくらちゃん、朝だよ!おはよう!」


返事はない。

さくらは昨日着ていた服のまま、小さく膝を抱えていた。


「今日は、いい天気だね。」


ポテトがわざと明るい声を出しても、

さくらの耳には届いていないようだった。


昨日までの、どんなに辛くても

ポテトの声に反応していたさくらとは、まるで別人だった。

心が、完全に閉じてしまっている。


(このままじゃ、ダメだ…!)


ポテトは心を決めて、もう一度、力強く呼びかけた。


「さくらちゃん!このままずっとここにいるつもり?

 昨日みたいに、またお母さんに怒鳴られて、叩かれて

 …それでもいいの?」


その言葉に、さくらの肩がぴくりと震えた。


「嫌でしょ?痛いのも、悲しいのも、もうたくさんだよね? 」

「僕も嫌だよ。さくらちゃんが泣いてるとこ、見たくない」


ポテトは続けた。


「だからね、二人でここから抜け出すんだ。

 これは逃げるんじゃない。そう、冒険だよ!」


さくらの虚ろな瞳が、

ほんの少しだけポテトに向けられた。


「冒険…?」


「そう!大冒険!覚えてる?おばあちゃんのこと」

ポテトは、優しく語りかける。


「さくらちゃん、おばあちゃんと電話してる時、いつもすごく楽しそうだもん。

 変な声も聞こえないって言ってたよね」


「おばあちゃんは、さくらちゃんの味方だよ。

 優しくて、温かくて、絶対にさくらちゃんを傷つけたりしない」


さくらの脳裏に、受話器の向こうの優しい祖母の声が蘇る。


「おばあちゃんのお家まで、僕と一緒に行こう!

  電車に乗って、知らない景色を見て、駅でおいしいものを買うんだ」


「それはもう、どきどきワクワクの冒険だよ!

 おばあちゃんのお家が、僕たちのゴールなんだ!」


ポテトの言葉は、まるで魔法のように、

さくらの真っ暗だった心に、ぽつり、ぽつりと小さな光を灯していく。


おばあちゃんの笑顔、優しい声、温かい手。

忘れていた大切な記憶。


「僕が、さくらちゃんをそこまで連れて行ってあげる。

 騎士が、お姫様を守るみたいにね!」


「だから、顔を上げて。

 僕たちの大冒険を、今、ここから始めるんだ!」


さくらは、抱えていた膝に顔をうずめた。


しばらくして、くぐもった、小さな声が聞こえた。


「…行けるかな」


「行けるよ!僕がついてる!」

ポテトは力強く答えた。


「さくらちゃんは一人じゃない。

 僕がいる。そして、ゴールには優しいおばあちゃんが待ってるんだ。

 さあ、行こう!さくらちゃん!」


さくらはゆっくりと顔を上げた。

その瞳には、まだ不安の色が濃く浮かんでいたが、

昨日までの絶望的な虚無とは違う、確かな光が宿り始めていた。


さくらは小さく、しかしはっきりと、こくりと頷いた。

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