第18話 現代日本にて

 きっと視界に映るすべてがファンタジー一色なんだろうな――って、そりゃ当たり前か。

 思えば、俺はまだあの森以外の場所に行ったことがない。当然、カゼノ村があの世界のすべてではないだろうから、別の場所にはもっと多くの人が住んでいるのだろう。


 それに、種族の違いもある。

 ハモンズさんは里の掟で外の世界へ出ることはできなかったというが、オルティスさん曰く、そういう厳しい決まりのある里ばかりではないらしい。


 中には人間と友好関係を築き、互いに協力をし合って暮らしている町や村もあるそうだ。


 というか、このカゼノ村がまさにそうだよな。

 俺たちの世界で知れ渡っているファンタジー世界といえば、他にもエルフやドワーフ、さらには魔族といった異種族も登場するんだけど、そっちもやっぱり実在しているのかな。


 今度行ったらオルティスさんに聞いてみるか。


「うん。これこそがキャンプの醍醐味のひとつだよな」


 自分自身へ言い聞かせるように呟いた。


 そんな風に、何も分からない異世界へ思いを馳せていると、俺がキャンプを好きになった理由がふと脳裏をよぎった。


 一番のきっかけは、子どもの頃にテレビで見たキャンプを楽しむ番組。


 そこに映し出された絶景は今も鮮明に覚えている。

 富士山をバックに、広大な野原のような場所でのんびりとチェアに腰かけてコーヒーを飲んでいるシーン……あれには憧れたなぁ。


 普段の生活では拝めない絶景の素晴らしさを知れたし、そういった日常を忘れさせてくれる場所に行ってみたいって気持ちが強まった。


 それからアウトドアショップに行ってみたくなったんだけど、地元の田舎町にそんな店はなく、電車を使って隣町に行かなくちゃいけなかったんだよなぁ。

 大学生になると、行動範囲が広がったこともあり、ひとりでいろんな場所へ出かけたな。


 残念ながら、その手の活動をしているアウトドア系のサークルがなくて誰かと一緒に楽しむって機会は少なかった。

 でも、キャンプへの熱量は年々高まり続け、それは社会人になった今も続いている。


 俺が幼い頃に見たあの絶景。


 そこに匹敵する素晴らしい景色が、きっとあの世界には眠っている。

 こちらの世界に暮らす人たちはきっと誰ひとりとして拝んだことのない風景があるはずなのだ。


「……いかんな。今頃になってさらにテンション上がってきた」


 大体いつも週末は待ち遠しいんだけど、今回は今までの比じゃないくらい楽しみだな。

 もちろんキャンプを楽しむっていうのが大前提ではあるんだけど、あっちの世界の文化や風習についても知りたいし、人々がどう暮らし、どんな考えを持っているのかも気になる。


 ――っと、そっちばかりに注目して肝心のメインイベントがおろそかにならないよう、準備も入念にしていかなくちゃな。


 前日の金曜は荷物の最終チェックをしたいから定時に帰れるよう、その時まで仕事が残っていないようにしなくちゃな。


「とりあえず、帰ったらあの資料を再確認しておくか。あと、手続きをスムーズにしておくためにも補足の資料を作成しておこう」


 来週の休みを見据えて、早くも家に帰ってからの予定を組み立て始める。

 こんなこと、過去に一度もなかったな。


 今の仕事はそこまで嫌ってわけじゃないけど、そこはやっぱり社会人としての性なのか、労働に対してなんだか抵抗感があるんだよね。

 しかし、今はそういった暗い気持ちは微塵もない。


 あるのは心を燃やすキャンプ魂のみ。

 週末の異世界キャンプがこちらの世界での生活にも好影響を与え始めている。


 そう考えると、あのトンネルには今後も何かとお世話になるだろう。


「トンネル、か……」


 ふと思い出したのは異世界と現代日本をつなぐあのトンネルの存在――それを秘密にしておこうというものだった。


 あの辺はファミリー層も来ないだろうし、ガチ勢が好む場所はさらに奥。目立たない場所だし、発見もされにくい……はず。


 可能性があるとすれば、何らかの理由でスタッフが迷い込むってことくらいだけど、それならもうとっくに見つかっていそうな気はするんだよな。


「当面は大丈夫そうかな……?」


 こればっかりはどうなるか分からないけど、すぐにどうこうなる問題でもないと思うので、今はただ流れに身を任せよう。

 それより……帰りに書店へ寄ってバーベキューレシピ載っている本でも買って帰るか。


 異世界で楽しいキャンプを過ごした反動からか、月曜日はいつも以上に憂鬱に感じてしまう――と、思いきや、爽やかな目覚めに仕事への意欲が心の奥底から湧いてくる。


 特に今回の場合は次の週末にバーベキューをしようと計画しているため、念入りに準備をしなくてはならない。そのためにはなるべく仕事量を昼間のうちに消化してさっさと帰ろう。


 そうすればやりたいことに専念できるし。


「さあて! 朝からバリバリ働くかぁ!」

「おぉ、気合が入っているな、福永くん」

「あっ! すいません、与田さん……うるさかったですよね」

「いやいや、おかげでこっちも元気をもらえたよ」


 隣のデスクで仕事をするのは先輩社員の与田さん。

 年齢は四十八歳。


 大の釣り好きが高じて今ではアウトドア全般の知識に長けている、俺にとっては師匠のような先輩だ。ちなみに、泉で釣りをした際に使用した練り餌のレシピを教えてくれたのもこの人である。


「そういえば、この前の練り餌を早速作って試してみました」

「ほぉ、釣果はどうだった?」

「まだまだ俺の腕が甘くて、二匹しか釣れませんでしたが、おかげでひとり一匹ずつ食べられました」

「おや? 確か今度のキャンプはソロで楽しむと言っていたような?」

「あっ……」


 しまった。


「異世界のことは伏せておかなくては」という意識が強すぎて初歩的なミスをしてしまうとは。


「まさか彼女でもできたのかい?」

「いやいや、友人ですよ。最近になってキャンプにハマったらしくて。そいつアニメ好きで……ほら、この前に見せたキャンプを題材にしたアニメあったじゃないですか。あれの影響ですよ」

「ああ、なるほどね」


 キャンプに関心を持った友人がいるというのは事実だから、あながち嘘じゃない。


「君に教えてもらってから、うちの娘にも勧めたんだけど、アニメ自体は気に入ってくれてキャラクターのグッズまで購入しているみたいだよ。でも、肝心のキャンプにはまったく興味を持ってくれなくてねぇ」

「あはは、あるあるですね」


 こちらが勧めたい物には微塵も関心を寄せないが、どうでもいいところに食いついてそっちに夢中となる。

 俺も何度か経験したなぁ、そういうの。

 すると、ここで第三の声が。


「盛り上がっているところすいません」


 会話に参加してきたのは同じ課で働く柳さんだった。

 大卒二年目の二十三歳。

 この課では一番の若手だ。


「どうかしたのかい、柳さん」

「与田さん、今朝いただいた書類ですが、ここの数字が違っていましたよ」

「えっ? ――あら、本当だ」

「それと、この前の交通費も早いとこ清算してくださいね。遅れると経理の人が困りますから」

「ははは、耳が痛いなぁ」


 笑って誤魔化す与田さん。

 これがいつもの彼の手口。


 ベテランの域ではあるんだけど、ちょっとしたポカが多くてよく課長にも怒られていたりするんだけど、あの人の良い笑顔を前にするとみんなそれ以上何も言えなくなるんだよな。

 もっとも、ただ人がいいからってだけで許されているわけじゃない。


 ――そうだ。


「与田さん、先月にご家族でバーベキューに行かれましたよね」

「ああ。上の子が中学を卒業した記念にね。それがどうかしたのかい?」

「実は俺も今週末に友人たちとバーベキューをしようって話になったんです。なので、もしよかったらコツとかオススメの料理を教えてもらえないかなって」

「お安い御用だよ」


 ふたつ返事で快諾してくれた与田さん。

 こういう面倒見のいいところが、あまり怒られない理由にもなっている。この会社にいる人の多くは、与田さんに(仕事以外で)いろんなことを教わったり、助けてもらっていたりするのだ。


 今度お礼に大好きな日本酒を差し入れに持っていこう。



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