ヴォルフの過去①
俺にとってこの街は、醜くも面白い数々のおもちゃが詰まった宝箱。そんなイメージだ。
幼い頃は両親がいた。
貧しかったけど、父がいて母がいて祖母がいて、狭くて小さい我が家に俺たち家族は身を寄せあって生きていた。
俺の生まれは端町だった。エーメル河の下流、イーストサイドにあるバラック小屋が立ち並んでいる場所に俺の家はあった。
母は縫製工場で働き、父はその日稼ぎの犯罪まがいな詐欺をしていた。
真面目な母といい加減な父。どうやって2人が出会ったのか走らないが、とにかく真逆に見えた。
父の仕事はカジノ中継を流しながら、賭け金を張らせるノミ屋をやり、客が大損すれば喜び、逆に勝ち続ければ酒を絶やすことなく飲み続けるような、そんな生き方をしていた。
一緒に暮らしていた祖母は年老いていて、目は見えず、幼い俺が見ても死期が近いことが見て取れた。
そんな不安定な収入を支えるため、病弱な母は自分の体にムチを打ちながらも縫製工場で働いていた。母の稼ぎが頼りだった。
そんな母を助けたいと思い、読み書き計算を他の誰よりも早く覚えて、学校をやめて働きに出ていた。今思えば1年だけでも学校に通えていたことは良かった。
学校を辞めてからは色んな仕事をした。活字拾い、瓶回収、お使い事、家畜の世話。とにかく仕事を与えてもらえるだけラッキーだった。なんせまだ10歳にもなっていなかったから。
人生の転機となったのは、12歳の誕生日を迎える3日前だった。
祖母が亡くなり、母が倒れ、見かねた父はすぐさま蒸発していた。
父の情報は何もなく、お金も知識もない俺には母の病気をどうすればいいか分からず、ただただ祈るように手を握り、身の回りの世話をすること以外にできなかった。近所に助けを求めたが、誰も見向きもせず聞く耳すら持たなかった。
そして、母は「あなたの誕生日だけは乗り越えたい…」という言葉を残し、この世を去った。誕生日の前日のことだった。
正直、突然の事で何が起きたのかも分からなかった。何年か経った今になって思い出しても、あの時何をすれば適切だったのかが分からない。
散々1人で泣きわめいていると、急に部屋に大家が乗り込み、泣くのをやめろ、異臭がするようになるから早く出ていけと口早に言い、祖母と母の遺体を乱雑を表に放り投げた。
そのまま部屋に残った数少ない家具をどこかへ持っていき、俺を追い出し、部屋に錠をかけ、俺が入れないようにした。
家族を失っただけじゃなく、家も失った。その事実が、冬の冷気に身を凍えさせながら突きつけられた現実だった。
行くあてのなかった俺は、とにかく母たちを早く埋葬してあげたかった。
せめて何もできなかった分、最後くらいきちんとしたい。そんな気持ちが体を突き動かしていた。
バラック小屋が立ち並ぶ周辺を歩き回り、壊れた戸板に紐を括り付け、簡易的なソリを作り町外れの教会を目指した。
子どもには大の女性2人を引きずることは過酷で、さらに12月の厳しい気候がどんどん体力を削っていった。後にも先にも、あれほど死を常に感じた時間はないと思う。
手も鼻も耳も真っ赤になりながら、なんとか教会へたどり着いた。日暮れに家を立ち、着いた頃には日付が変わる手前になっていた。
教会の戸を叩き、出てきた神父は俺の姿を見ると驚きもせず、
「ひとまず裏手に2人を置いて戻ってきなさい」と、あっさりとした口調で言った。
どうやら日常茶飯事のようで、大して珍しいことでもなかったらしい。
教会の裏手までソリを引き、2人を置いた。暗くてよく見えなかったが、他にも何体か遺体の影のようなものが見えた。
教会に入ると寡黙な神父が1人だけで、何があったか聞こうとすることも、懺悔を促すこともなかった。
ただただ、簡単な食事と暖を与えてもらい、会話をすることもなく一夜を明かした。
次の日。俺の誕生日の1日後。
祖母と母の遺体は神父の手を借りて、墓地の隅に小さな墓を立ててもらった。本当に小さな、他の人には墓には見えないようなものだった。
俺は感謝の意を伝え、僅かながら手元にあったお金を渡した。
全く足りないことは自覚してた。それでも、その時の俺ができる最大限の敬意だった。
神父は俺にパンが買えるだけの金額を返し、教壇の奥から地図を取り出し、ストリートチルドレンがいる場所を示した。
教会は救いの手を差し伸べてもらえる場所だ。そう思っていたが、この街は救いを求める人間が溢れかえっていて、救える命よりも救えない数の方が多かった。
だからこの教会、この神父は全てを自ら助けるのではなく、助けを求めて来た人に最小限、自分ができることをすることで人を救っていた。
大きな恨みを買わぬよう、しかし人を見捨てぬよう、なんとかその間を切り抜ける形で行ってきた。それで心を保っていたのかもしれない。
俺は神父が指し示した道を目指し、教会を後にした。家族を亡くし、家を失い、これ以上ない誕生日を過ごした。
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