女子高生、淀殿に転生す。滅びゆく豊臣家で私は——

山飛

第一章・第一話『目覚め、異物の私』

夕焼けが、世界を朱に染めていた。

 放課後の帰り道、制服のスカートが湿った風に揺れる。

 鼻をかすめるアスファルトの匂いと、どこか懐かしい夏の草。

 ――それは、いつもの風景のはずだった。


(……テスト、終わったのに全然すっきりしない)


 ため息を吐くと、カバンの中の答案用紙を思い出す。

 数学、赤点確定。英語も危うい。

 でも、日本史だけは満点近い。そこだけが、私の誇りだ。


(あーあ、どうして歴史だけ生きてても役に立たないんだろ……)


 スマホを取り出して、ロック画面に表示された歴史アプリの通知を眺める。

 《本能寺の変の日ですよ!》なんて、軽いノリのリマインド。

 思わず笑ってしまう。


(ホント、もし戦国時代に生まれてたら、私もっと輝けたかもね)


 そんな、どうでもいいことを考えた瞬間だった。


 ――耳に、風を裂く音が届いた。


 反射的に顔を上げたときには、視界に巨大な影が迫っていた。

 ブレーキ音。誰かの叫び声。

 そして――轟音と衝撃。


(……え?)


 何が起きたのか、理解できなかった。

 足が浮いた。空を飛ぶみたいに。

 視界の端で、夕焼けがぐにゃりと歪む。


 痛み。

 それから、冷たさ。

 手も足も、感覚が消えていく。


 でも、不思議と怖くなかった。


(――次、目を覚ましたら、何してるんだろ、私)


 最後に浮かんだのは、そんな意味のない問いだった。


 ――闇に沈む。



 ……鈴の音が聞こえた。

 かすかに、水の流れる音もする。

 鼻をくすぐるのは――お香の匂い。


(……お香?)


 その瞬間、胸にざわりとした違和感が走った。

 だって、さっきまで私は――。


 ゆっくりと瞼を開ける。

 目に飛び込んできたのは、金箔の障子と、極彩色の襖絵。

 現代じゃありえないほど、豪奢な空間。


(なに、ここ……)


 頭がぼんやりしている。

 柔らかい感触の布団に身を沈めながら、私は視線を動かした。

 そのとき、部屋の隅に人影を見つける。


 少女。

 私と同じくらいの年だろう。

 黒髪を高く結い、淡い紫の小袖に身を包み、静かな目でこちらを見ていた。


「……お目覚めでございますか、《御方様(おかたさま)》」


 その声は、澄んでいて、どこか冷ややかにも感じた。

 意味はわかる。けれど、耳にしたことのない呼び方だった。


(御方様……? 誰のこと……)


 声を出そうとしたが、喉が震えるだけだった。

 少女は小さく頭を垂れ、さらに言葉を続ける。


「お加減はいかがでございましょう。わたくしは、すみれと申します。これより、御方様のおそばにお仕えいたします」


 その言葉が、胸の奥で重く響いた。

 御方様――。

 どこかで聞いたことがあるような響き。けれど、今の私は、それを考える余裕もなかった。


「……ここ、どこ……?」


 やっと絞り出した声は、自分でも驚くほど弱々しかった。

 すみれは、一瞬だけ目を細めたが、すぐに柔らかい笑みを浮かべる。


「……まだ夢うつつにございますね。無理に思い出されずとも結構にございます」


 その声音に、逆に不安が募った。

 私は、なにを思い出さなきゃいけないの?


(……おかしい。これは絶対に、夢じゃない)


 胸の奥で、そんな確信が芽生えた瞬間、視線の先に化粧台が目に入った。

 そこに映った顔を見て、息が止まる。


 白い肌。黒髪を結い上げ、豪奢な髪飾りを挿した女の顔。

 それは――私じゃない。


(……え……誰……)


 枕の上に乗せた手が目に入る。

 細く、白く、長い指。

 その手が、確かに私の意志で動いている。


 震える指先で、頬をなぞった。

 滑らかな肌。生まれてこの方、見たことのない顔。

 それが、今の私だった。


「……どうなってるの……」


 声にならない声が唇から零れた。

 すみれと名乗った少女は、ただ静かに頭を垂れ、言葉を待っている。


 けれど、私には――問いかける言葉さえ、出てこなかった。

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