暗闇の夜から、

辛垣つぐめ

最高で最悪な日々

 今日は最悪な日だ、と毎日思いながら過ごしている。

 そう思わされる原因はいくつもある。例えば、満員電車にあった、弁当を忘れた、授業の問題が分からない。

 そのどれもが私を憂鬱にさせるが、とりわけ私を嫌にさせるのは人間関係であった。


 クラスメイトが「あの子のあそこが気に入らない」と私に愚痴を零すことも、母親が「勉強しなさい」と催促をすることも。

 人の言葉に含まれている悪意を私は感じ取ってしまう。

 悪意は確実に人の中に存在し、少しづつ確実に何かを私の心に残していく。私はそれが堪らなく嫌いだった。

 それは塵だ、のちに山になる塵だ。 人の言葉を浴びる度に私の心に塵が積もる。



 これはストレスだ、私の心に重くのしかかる。目には見えず、けれど確実に存在している重しだ。知らないうちに私を蝕む。



 だんだん積もった塵の山が、私の心を埋め尽くす。

 ズキズキ痛む頭の奥が、私の歩みを遅くする。

 ふつふつとした気持ちが込み上げてきて、思わず全てを壊したくなる。



 嗚呼、今日はなんて最悪な日だ。




◇◇◇




 午前4時、目が覚める


 ベットから起き上がって、パジャマから洋服に着替えた。

 こっそりドアを明ける。 忍び足で両親の寝室の前を通り過ぎて階段を降りる。

 玄関から外に出ると、しんとした空気が肌を通して伝わってくる。夏はとうに過ぎ去っていて、夜は既に冷える時期だ。 身震いしながら空を見上げる。本来あるはずの星と月も見えなくて、ただただ不気味なまでの暗闇に覆われていた。

 庭にある自転車のロックを解除して、自転車に乗る。そして家を背にして進み始めた。


 目指すは海だ。

 ライトをつけずに、等間隔にある街灯だけを頼りに私はどんどん進んでいく。




 午前5時、海岸に着いた


 目の前に広がっているはずの砂浜も海も、暗い夜では何も見えない。空と海の境目すら、混ざりあって黒になっている。

 ただ少し、街からくる僅かな人工の光だけが海に反射して宝石みたいに煌めいていた。


 暗闇から視線を戻した私は、自転車を適当な場所に停める。

 海風吹く海岸は、一段と寒い。私は温かさを求めて、近くの自動販売機で缶コーヒーを買った。そばにあるベンチに座り、缶コーヒーを開ける。

 両手で包むように缶を持ち、暖をとりながら少しづつ飲み進める。苦味のあるブラックな温かさが芯まで冷えた私を徐々に温めていく。


 温まった体でため息をつくように息を吐くと、白い煙が自販機に照らされ昇っていく。

 もし煙草が吸えるのなら、心に積もった塵も煙と一緒に吐き出せるのだろうかと想像しながら空を見上げる。依然として暗い空が世界を覆っていた。



 しばらくすると空が白けてくる。

 見えなかった水平線から光が溢れようとしている。先が見えない暗い世界にヒビがはいろうとしている。まるで孵化する卵のように、どんどん空が明るくなっていく。


 日の出の景色は、いつ見ても色褪せない。

 初めて見たのは小学生の頃だった。両親に連れられ、初日の出に行ったのがきっかけだった。初めて見た日の出はとても綺麗で、それ以来日の出を見ることが趣味みたいになって言った。

 私はこの景色が1番好きだ。鬱屈とした暗い気持ちを晴らしてくれる、心に積もった塵の山を吹き飛ばしてくれる。

 この太陽を前にして、私の悩みなどちっぽけなものだと思わせてくれる。そんな迫力がこの景色にはある。

 私を覆っていた暗闇は段々と払われていく。

 目が痛くなるほど太陽を眺めていると、空はもう本来の色を取り戻していた。

 新しい1日が始まろうとしている。



 すっかり体温と同化したベンチから立ち上がる。朝日を浴びながら背伸びをするととても気分が良い。

 ぬるくなった缶コーヒーを飲み干し、近くのゴミ箱に投げる。缶は放物線を描きながら綺麗にゴミ箱に入った。


 自転車に乗り、家に帰る。

 明るくなった世界で自転車をこぐ。心地よい気分でつい歌ってしまいたくなる。



 午前6時、家に着く。


 親にバレないようにこっそりと家に入り、ベットに戻る。




 こうして新しい1日が始まる。また最悪な日々は続くだろうが、それを吹き飛ばしてくれるものが私にはある。


 だから私は躊躇いもなくこう呟く


 「嗚呼、今日はなんて最悪な日だ。」

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暗闇の夜から、 辛垣つぐめ @karakaitugume

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