第12話 守り抜く覚悟
多羅は、戻って来た老師の疲れ切った顔を見た。
多羅の腕の中には、顔を多羅の胸に埋められて固まっている波差の姿があった。
「あれが、ぎりぎり、直接命を奪わない戦い方だ。よく覚えて置け。
……刃物を向けられた時は、躊躇するな。どんな傷を受けても、それで命を落とす事になるかも知れん。
刃物を人に向けた時点で、命のやり取りになるんだ。」
多羅は、唾を飲み込みながら頷いた。震える手の中に、しっかりと波差を抱いて、もう一度頷いた。
「行こう。向こう側に回るぞ。」
老師の後ろに波差を付けて、多羅は賊のうめき声に背を向けるようにして、その場を離れた。
背の高い多羅には、茂みの隙間から、老師の姿が見えていた。
全ての動きが見えていた訳ではないが、あえて老師はその場所から動かずに、多羅に見せるようにして戦っているように見えた。
老師の流れるような動きには隙が無く、農民上がりの賊の攻撃など、どうという事はないと思えた。山での流熊とのやり取りの方が、格段に速かったように思う。
『俺はまだ、人と直接やり合った事は無い。その時、怯まずにいられるだろうか。』
多羅は、様々にまとまらない思いを巡らせる事になった。
随分と勾配のある傾斜を下ってから、一行は茂みの中から出た。
土埃の舞う、山の街道の一角だった。
「もうしばらく下った先に、昔は集落があったんだが。」
そう言いつつ、老師は先を歩く。
見える先には、焼け落ちた集落跡があった。
家があったであろう場所に、土台の積み石が黒く焼け焦げて残されているだけだ。
ここも、他国からの賊に焼き討ちされたようだった。
人が生活しているような痕跡は、何処にも無かった。
割れた壺の破片が散乱し、元は何だったのか分からない粉々の破片がその石の土台の周囲に落ちていた。
かつて畑があったであろう場所には、一面に春の草が色鮮やかな小花を咲かせている。春風に舞う小さい花びらが美しい。
老師は、無言で、その景色を見つめている。
「春の野花は、美しいな。薬草がチラホラあるようだ。採って行こうか。」
一行は、薬草採集に一時夢中になった。
かつての住人が育てていた薬草であったのだろう。一塊になって、それぞれの薬草が生えていた。
「ここの住人は、中々の薬師だったようだぞ。貴重な薬草が幾つか手に入った。」
薬草採集に区切りを付けて、野草の咲く草原の中にある、畑の畝であったと思われる盛り上がった箇所の上を、3人は歩いた。
畑の草原を下って行くと、流れる水音が聞こえて来るようになった。
その水音を頼りに、歩みを進めると、沢に出た。
山の傾斜を流れる沢の水は、雪解け水を含み、冷たく澄んでいた。
沢に大きく張り出した木の根元に平たい場所を見付けて、
「今夜はここで休もう。この木が夜露を受けてくれる。」
老師のその言葉で、一行は野宿の準備を始めた。
多羅が小枝を集めていた間に、波差は老師の怪我の具合を見せてもらっていた。
どうにも、怪我を見せようとしない師匠に、波差は文句を言い続けたようだ。
とうとう根負けした師匠は、仕方なく、腕をまくり上げ、胸元を開いた。
腕の傷は、手鎧の毛皮がよく防いでくれた様で、深くはなかった。だが、胸元の傷は、胸鎧の革を貫通しており、胸筋に刺さってしまったようだった。既に出血も止まっていて、傷も塞がっていた。
化膿させないように念の為、薬草を磨り潰して、貼り付けて、布で押さえた。
更に帯を巻いて押さえようとした波差を師匠は止めた。
「大丈夫だ。薬が沁み込むまでは、自分で押さえておくから。」
心配顔の波差に、
「万一また戦わねばならなくなった時に、邪魔になるからな。」
そう言って止めたのだ。
波差はそれ以上何も言わなかった。
波差にとって、師匠が1人で出て行って戦っていた事は、堪らない事だった。
自分も一緒に行って戦いたかった。だが、多羅が止めたのだ。
「足手纏いになるから。」
と。
『多羅の腕を持ってしても足手纏いならば、自分では到底無理だ。』
波差は情けなかった。多羅の腕に抱え込まれて、身動きも出来ないでいる自分が、不甲斐なかった。
『あの時は、あれが最善の策だったんだろう。』
そう思う事で、自分を納得させたが、悔しくやるせない思いは、波差の笑顔を曇らせた。
野宿用の竈を石を集めて組み上げて、多羅が集めて来た薪を燃え易いように積む。
火起こしをし始めたら、多羅がちょうど帰ってきた。
ちゃっかりと、両手に川魚を持っていた。小さいながらもいい大きさで、腹の足しになりそうだ。
「お。ウグイだな。突いたのか?」
「うん。手ごろな枝があったからね。」
師匠と多羅の気安いやりとりにも、波差の気持ちは沈む一方だった。
「でも、2匹しか獲れなかったから、波差と俺は半分こな。」
そう言って、多羅は波差に笑顔を向けた。だが、波差は笑い返す事が出来ない。
「あ~。また何か落ち込んでやがるな。なに?どの時点の事?」
多羅が気安く、波差が言葉にしづらい点を考慮に入れずに、無神経に聞いた。
「知るかよ。色々だよ。」
「はあ?」
そのやり取りに、師匠がまた声を上げて笑った。
その夜、師匠は早々に丸まって眠った。
波差は進んで、最初の寝ずの番に名乗り出た。
多羅もそれを受け入れて、焚火の向かい側にゴロンと横になった。幾らもたたないうちに、寝息をたて始めた。
波差は、木の枝の合間から見える星空を眺めた。
1人で夜空を見上げると、どうしても、自分が育った村が襲われた夜を思い出してしまう。
今日訪れた集落の焼け跡も、自分の村が燃えたように、燃えてしまったのだろう。
多羅が居て、師匠が居てくれたから、今の自分がある。こんなに切ない夜でも、寝息をたてて眠る朋がいてくれる事が、本当に有難かった。
「僕だって、皆を守りたいんだ。」
我知らず、波差は、呟いていた。
その呟きは、老師と多羅の耳にも届いていた。
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