第5話 粟稗きび村

 その冬、老人は波差と多羅に、誰でもが作物を作れる訳ではない事を教えた。


 作物が芽吹く為には、その作物にとって有益な刺激を与える必要があった。その”刺激”とは

「作物の種を持ち、代々の作り手の手で、その種を直接に手の平で触れる事。」

 「その手が、一度でも人の命を手に掛けて、血で汚れていない事。」


 この国には、『粟稗きび村』『米村』『麦村』『菜村』『根村』と、それぞれの作物の種を、代々守って来た各村々が存在していた。

 その作った作物を、近隣の国々に売る事で、国は成り立っていたのだった。

 周辺の国々は、種を持っていなかった上に、密売で手に入れた種を芽吹かせる術を持ち合わせていなかった。

 

 麦を芽吹かせるのは、麦の民。米を芽吹かせるのは、米の民。

 種と土と水だけでは、例え芽吹いたところで、食べられる実りは充分には得られなかったのだ。ましてや、次代の種を得る事は出来ない。


 この国は、食料を供給する事で、常に他国から優位な立場で存在出来ていた。


 だが、他国にとっては、面白くない。

 何故、種が育って実らないのかが、分からなかったから。


 そこで、今回、収穫前の村々を襲って、食料を焼き払い、村の民を無差別に消していったのだ。

 この国の作物が育つ”秘密”を、手に入れる為に。この国の主要な交易品を失わせる為に。


 老人は、静かに語った。

「各村の生き残りをくまなく探している。数は少ないが、生き残りは居る。だが、家族を守る為に、手を血で汚してしまっているのだ。」

 波差は、鎌を手に持ち、立ち向かって行った母の背を思った。


「種は?あいつらは、倉も燃やしてしまったんだ。」

多羅が、そう聞くと、

「種は、万一の時の為に、ある場所に一定数は囲ってあるので、大丈夫だ。」

老人は、穏やかに、そう言った。


「いいか。お前達。この、種を芽吹かせる手を持つ民は、国の宝だ。

 そして、この秘密を知るのは、この国の王族と、一部の騎士だけだ。」


 老人の目は、怖い程に真剣に、2人の瞳を覗き込んだ。


「お前たちの手を、血で汚してはいけない。

 今、探し出した中で、清らかな手を持つ民は、お前達2人しかいない。」


 そう言って、とても大切な物に触れるように、波差と多羅の手に触れた。


「次の年の種は、米も、麦も、粟稗きびも、菜も根も、お前達2人で蒔くんだ。

芽吹けば、移して、各村の生き残りが育てていく。ちゃんと実るかは、まだ分からないが、やってみるしかないんだ。」


 老人は

「この家で、何年もかけて”まじない”を教えていく。

 全て、生きていくのに必要な”まじない”だ。お前達が、それをまた次の世代に伝えていかねばならない。」

そこまで言って、老人は愉快そうに笑った。


「なに、大丈夫さ。少しなら、お前達も親から教えられているはずだぞ。」

「「ええ??」」

2人は驚いて、顔を見合わせた。


「例えば…痛かったら?」

「手を当てて、さする??」

「そう。そんなもんだ。それ位簡単だが、儂が教えるのは、ちゃんと痛みが消えるようにするまじないだ。」

「「へええー!」」

2人は、同時に感嘆の声をあげた。


「その為には、まずはちゃんと食う事。寝る事。素直である事。

 いいな?」

「「はい!!」」


 楽しい冬籠りになりそうな予感がして、

 波差と多羅は、元気よく返事をした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る