囚われの巫女
──…
巫女が目を覚ました時──そこは変わらぬ暗闇だった。
横を向いて倒れた身体は、床に吸い付くように動かない。疲労による脱力だけじゃない。今、彼女がおかれている危機的状況への…無意識な拒絶からなのか。
「……っ」
かすむ視界が少しずつ暗闇に慣れていった時
広い部屋の四周の灯りが、ひとりでに灯(トモ)った。
「起きたな」
「──…!」
「そこへ跪(ヒザマズ)け──女」
灯りの火が最後についた場所に、鬼の男が座っている。
横たわる巫女より床が上がったそこに一脚の椅子があり、足を組んだ鬼がこちらを見下ろしていた。
「ぅ…!」
本能が逃げたいと叫ぶ。
それなのに、まともに動いたのは指先の関節ぐらいだった。
引き寄せようとした足はかろうじて震えただけ。
「聞こえないか?跪けと命じたのだが」
「…ッ…ハァ、ハァ」
「無礼者め。お前でなければ即座に八つ裂きにしてくれる」
勝手な物言いだ。彼女をこんな状態にしたのは他ならぬこの男だというのに。良識は通用しないらしい。
(少しも、動かない……)
巫女はただ怯えた目を、上座に座る鬼へと向けて黙っていた。身体にはまだ力が入らず、まるで悪夢の残滓(ザンシ)に縛られているかのようだった。
かすかに揺れる灯りの炎が、彼女の裸体を照らし出す。脱がされた巫女服は無造作に周囲に散らばり、まるで彼女の尊厳を嘲笑うかのように放置されていた。
鬼はゆっくりと立ち上がり、音もなく巫女に近づく。
その足音すら発さぬ動きは、まるで影そのものが滑るようだ。
鬼は巫女の顎を長い爪の指でつかみ、強引に視線を合わせる。彼女の瞳には怯えと怒りが交錯し、鬼の黄金の瞳はそれを興味深く観察していた。
「昨晩あれほどの妖気を注いでやったというのに……まだ正気を保っているとは、信じられんな」
鬼の声には驚嘆と好奇が混じる。
「お前、何者だ?」
「……!?」
「俺の妖気に耐える人間はそういない。たいていは死ぬだけだ。そして…お前のように適性がある人間とて…記憶も人格も失い、俺に陶酔するだけの下僕(ゲボク)になり下がる」
低い声で語りかける鬼の言葉は、確かに正しかった。
モノノ怪の妖気に呑まれた人間の性格が変わり暴走する様子を、巫女もその目で見たことがある。
しかし今の彼女は違う。
その理由を知りたいのは彼女だって同じだが、目の前の鬼へ、言葉を返す気にはとうていなれなかった。
「……」
「口を閉ざすか」
巫女は唇を噛みしめ、答えない。
彼女の沈黙は、鬼にとってさらなる挑発だった。彼はニヤリと笑い、試すように巫女の唇に自らの唇を重ねた。
ヌル.....ッ
「んん……っ」
巫女は嫌がって顔を振ったが、身体は依然として動かず、鬼の舌が再び彼女の口腔を侵した。
熱くぬめつく感触が、彼女の意志とは裏腹に身体を火照らせ、抑えきれぬ吐息が漏れる。注がれた妖気の影響なのか…彼女の身体は否応なしに発情し、羞恥と快楽の狭間で揺れ動いた。
(神器さえあれば…!)
彼女は心の中で叫んだ。だが、壊された錫杖(シャクジョウ)は今ごろ屋敷の外に転がっている。彼女の霊力を束ねる武器は今、ただの金属の欠片に過ぎなかった。
鬼は巫女の反応に気を良くしたのか、彼女の肌に手を這わせ、柔らかな曲線をなぞるように爪を滑らせた。
「んんん……//…ふ」
少しでも角度を変えれば、女の柔肌(ヤワハダ)など簡単に引き裂けそうだ。そんな鋭利な爪に緊張した身体が、よけいに彼女を敏感にしてしまう。
口付けをしたままほくそ笑んだ男は、そのまま手を動かした。巫女の口から小さな悲鳴が漏れるたび、男の笑みが深まる。
「カラダ……だけは……柔順だな」
自分のペースで舌を絡ませ、悪戯に身体を愛撫して、苦しそうに戸惑う女の息遣いを愉しむ。健気に震えるばかりで逃げられない彼女は、快楽と悔しさの涙を滲ませた。
(せめ、て、抵抗を……)
舌を擦り合わせる淫靡な感触に惑わされず、せめてと、相手の舌に歯を立ててやろうとした時だ
「焦る必要はない……お前の正体はいずれ暴いてやろう」
「ぁ‥っ‥‥‥ん」
「……すべてを剥ぎ取った後でな」
鬼はそう言い放ち、巫女の身体から手を離した。
「これよりお前には、俺から逃げることを禁ずる」
「な……!?」
「お前は俺に囚われたのだ……憐れだな」
彼女の震える姿を一瞥(イチベツ)し、まるで退屈を紛らわす玩具を置いていくかのように、鬼は屋敷の戸を開けて外へ消えた。
──バタン
戸が閉まる音が、静寂の屋敷に重く響く。
ひとりとなった巫女は床に崩れ落ち、荒々しい呼吸を繰り返した。
「はぁっ……はぁっ………く」
身体はまだ妖気の熱に侵され、頭は混乱と恐怖で満たされている。
だが彼女の瞳には、清廉な光が宿っていた。それは他ならない、屈服を拒む意志の輝きだった。
(負けない……絶対に……!)
彼女は震える手で床を這い、なんとか、散らばった衣服に手を伸ばした。
袴(ハカマ)は鬼の爪に引き裂かれている。
なので、まだ破れていない白襦袢を掴んで、少しずつ引き寄せる。汚された巫女服を身にまとうことで、わずかながら自分を取り戻そうとしたのだ。
神器である錫杖は壊れ、まともには戦えない。
それでも
彼女はよろめきながら屋敷の奥へ這った。燭の光が揺れる中、唇を強く噛む。血の味が口に広がり、意識を鮮明にしてくれる。
鬼は戻ってくるだろう。そして、再び彼女を辱め、支配しようとするだろう。
だが、巫女は決意していた。どんなに身体が穢されようと、魂までは渡さない。彼女は神の遣いとして…人の世を守る者なのだ。
──…
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