第19話
一晩考えたけど、やっぱり俺はメルディと一緒にいたい。このままピアノを弾いて、旅をして、一緒にいるだけでいい。それ以外、なんにもいらない。
もしそれが出来なくなったらって思ったら、苦しくて涙が出て、眠れなかった。胸が潰れそうなくらい痛くて、またあの薬を飲んだけど、やっぱり効かなかった。ジャスティスもベンも病気なんかじゃないって言ってたけど、苦しくてたまらない。
朝早く、俺はベッドを抜け出して、海まで行った。
気晴らしになるかと思ったけど、朝焼けに照らされた海を見てたって、全然気分は晴れなかった。きれいなんだけど、それだけ。もやもやしたまま、どんよりした曇りの日の空みたいな気分だ。
俺は船の前に座って、ぼんやりと海を眺めていた。
みんな寝てるし、誰もいない。静かだった。
メルディに会う前は、世界はあんなに味気なかったし、こんなに苦しくなんてならなかった。なのに今はキラキラしていて、毎日が楽しい。ちょっとした事でうれしくなって、笑っちゃうんだ。きっとこんなにうれしくなった事も、楽しくなった事も、笑った事もなかった。
俺はただ、一緒にいたいだけなんだ。それ以外、なんにもいらない。
でも、メルディもベンも悪魔なんだ。
もしかしたら、突然今までの事なんて全部嘘だって言って、村の奴らみたいに冷たい目で笑うかもしれない。他の悪魔や魔物に捕まって、また地下に閉じ込められるかもしれない。レイチェルだってそう。魔女だ、村の奴らと同じように。
今まではそれでもよかったんだ。必要としてもらえるだけでうれしかったんだ。
メルディは一緒にいてくれるかな? 俺が嫌になるまでいてくれるって、本当かな?
そんなのいくら考えたって答えがないのは分かってるのに、頭から離れないんだ。
気付けば、人が俺の前を通り過ぎて行った。もう日が昇ってる。船が一つ、出て行った。
「クライブ、何してるの?」
珍しい、レイチェルだ。一人の時に俺に声なんてかけてこないのに。
「なんにも」
俺は答えた。
レイチェルは俺の隣りに座った。
「今日は早起きなんだね」
「眠れなかった」
レイチェルは笑っていた。
どうしてレイチェルは苦しくないんだろ? ジャスティスと一緒にいられなくなったらって思わないのかな? どうして笑っていられるんだろう?
「レイチェルはジャスティスが好きなんだろ?」
俺は尋ねた。
レイチェルはイラッとするくらい、笑顔で真っ赤になっていた。なんかジャスティスに似てるよな、こういうところ。能天気だし、へにゃへにゃ笑ってるところとかも。
「そうだよ、好きだよ」
レイチェルはぼそっと答えた。
「じゃあ、『こい』してんの?」
俺はレイチェルを見た。
「してるよ」
レイチェルは笑った。
黄緑色の髪が揺れる。同じくらいの背で、小さな肩。やっぱりジャスティスとはちょっと違う。女の子なんだなって思う。でもやっぱり魔女なんだな。俺もこんな色の髪に生まれてたら、学校にちゃんと行けてたのかな?
俺は海を見た。今日も真っ青できれいだ。
「俺、メルディと一緒にいたいんだ」
レイチェルが俺を見て、にこっと微笑む。
「それだけでいいのに、苦しいんだ」
俺は胸を押さえた。今もズキズキする。苦しいし、痛い。全然良くならない。
「どうしたら苦しくなくなる?」
俺が尋ねると、レイチェルはすごく赤くなった。そして笑った。白い手が俺の頭を撫でる。同じ手でもメルディじゃなかったらこんなにイラッとするもんなのかな?
「そんなの無理だよ」
「どうして?」
「だって私もまだ苦しいもの」
レイチェルは静かに言った。
「私もね、ジャスティスとずっと一緒にいたいな。でも私はクライブより欲張りだから、ジャスティスが他の人といたら羨ましくなっちゃうの」
レイチェルは俺を見て、ふにゃふにゃした笑顔を浮かべる。
「ホントはね、ジャスティスがクライブと一緒にいるのも羨ましいんだよ」
レイチェルは俺に言った。
「だからクライブだって、私にとっては恋敵なんだから」
「なにそれ?」
「敵だよ敵」
レイチェルはすごく楽しそうに笑った。俺、そんなにおかしな事言ったのかな?
「クライブはジャスティスと違って純粋だよね! そういうところってジャスティスより可愛いと思うよ」
「どこら辺が? 全然分かんねぇ」
「恋が何かも知らなくて、好きって感情と苦しいのが違うって分かんないところとか。あとね、ピアノを弾いてるところとかはずっとずっと可愛いと思うよ」
全然分かんないけど、レイチェルにかわいいって思われてたんだ。なんかすごい嫌だな。せめてカッコいいって言ってほしかった。そもそもピアノ弾いてるところがかわいいってなんだよ? そこ、カッコいいに訂正してほしい。
俺は何か文句を言おうと顔を上げた。
そしたら腕がもげるんじゃないかってくらいの勢いで引っ張られた。痛いと思ったけど、ジャスティスが見た事ないくらい怒ってるもんだから、文句も引っ込んだ。
「クライブ、何やってんの?」
ジャスティスが言った。
「何って?」
レイチェルが真っ赤な顔をして、首を横に振る。絶対言っちゃだめと口を動かす。
「昨日はメルディの事ばっかり言ってたのに!」
ジャスティスはそう言って、俺を押しのけるとレイチェルの隣りに座った。
「なんの話?」
聞いた事ないくらい低い声で、ジャスティスは言った。
「ジャスティスの話だよ。別におかしな事してないよ」
レイチェルがジャスティスに言った。
ジャスティスが俺をにらみつける。
「本当?」
俺はゆっくりうなづいた。嘘じゃないし。
「ジャスティスの事、聞いただけだよ」
レイチェルがジャスティスに言った。
「だったらなんでそんなに距離近いの?」
「だって聞かれたら恥ずかしいじゃない」
レイチェルは嘘をつくのが上手い。笑顔でさらさらと嘘をつく。
「ジャスティスこそ、こんなところで何してるの?」
「買い出しのつもりだったんだけど、あんまり仲が良さそうだからさ」
ジャスティスはまだ低い声で、こっちをにらむ。
コイツ、こんな声出るんだな。ケンカしても、こんな事は言われた事ないよ。っつか、どっからそんな声出てるんだよ。
俺は少しジャスティスから離れて座りなおした。勢いで脱げたフードもかぶりなおした。
「あたいも知りたいね。何してたんだい?」
今度はメルディが俺の肩を叩いた。
顔から火が出るんじゃないかって思うくらい、自分でも真っ赤になるのが分かった。どうしよう。今はメルディの顔なんて見られない。
「二人とも、空気読んでよね」
レイチェルが急に言った。
「恋バナに決まってるでしょ? 何? しちゃ悪いの?」
ジャスティスもメルディもそろって黙る。
「恋人のお兄ちゃんに恋人の話もしちゃいけないっての? ならいいわ、私、クライブに乗り換えるから」
レイチェルはペラペラとまくし立てる。
「だってジャスティスと違って、クライブはそんな事言わないもん。私がちょっと誰かと話してたって怒んないわよ」
真っ青な顔をしたジャスティスが、口をあんぐりと開けて凍り付いた。本当にびっくりしたら人間って動けなくなるもんなんだな。
俺は割と冷静にジャスティスを眺めていた。
レイチェルは満足げに微笑むとすくっと立ち上がり、今度は俺の手を掴んで引っ張った。
「行こう」
「え?」
俺はどうしていいんだか分かんないまま、レイチェルを見上げた。
レイチェルは笑ってた。笑ってたけど、目が笑ってない。こっちもジャスティスに負けず劣らず怖い。
「レイチェル、本気?」
メルディは目を見開いて、レイチェルに尋ねた。もう本当に、目玉乾燥するんじゃないかってくらい開けてた。
「本気よ。おんなじ顔だし、どっちでも一緒だと思うけど」
「そんな事ないと思うけど」
俺もそう思う。ジャスティスなんかと似てるとは言われたくない。でも口出しするほどの勇気はなかった。
でも珍しく、ジャスティスが割り込んできた。
「そんなの嫌だよ」
ジャスティスがレイチェルの腕にすがるようにしがみついた。
これもう、傍から見たらただのコントじゃん。なんかバカバカしくなってきた。何やってんの? 俺達、ふざけてるわけじゃないんだけど。
「オレ、レイチェルがいなくちゃ生きてけない!」
ジャスティスがあんまりにもデカい声で叫ぶもんだから、近くにいた人、みんながこっちを見た。もう本当にやめてくんないかな。恥ずかしいっつの。
「それ本当?」
レイチェルがジャスティスに尋ねた。
肩が震えてる。なんか笑ってんじゃん。ジャスティスの事、バカにしてんの?
「嘘なんかつかないよ」
ジャスティスが目をうるうるさせたら、レイチェルは満足そうに微笑んで、嘘に決まってるじゃないと笑った。びっくりした?とメルディに尋ねる。
「びっくりしたよ、もうやめとくれよ」
メルディはそう言って、すとんとその場に座り込んだ。そして俺の肩を引き寄せた。
「心臓に悪いよ、二人して」
メルディの声は、すごくか細くて、いつもと違って聞こえた。きっと耳元で言ったりするからだ。また苦しくなる。息も出来ないくらい。
レイチェルが俺を見つめる。
「あ~あ、メルディはいいな」
ジャスティスも俺も意味が分かんなくて茫然とレイチェルを見ていた。メルディだけが不思議そうな顔をしている。
「ジャスティスもクライブくらい可愛い事、言ってくれたらいいのに。羨ましいなぁ」
「なにそれ?」
ジャスティスが一番に食いついた。
「ジャスティスはまだ私に、ずっと一緒にいたいって言ってくれてないもの」
レイチェルはジャスティスの手を引っ張ると笑った。
「邪魔者は退散しよう」
今は置いてかないでほしいんだけど!
一瞬手を伸ばして言おうとしたけど、メルディが遮るように呟いた。
「それ、本当かい?」
声なんて出なかった。見られてるし、なんか恥ずかしいし。俺は黙ってうなづいた。
メルディはふふふと悪魔らしく笑った。
「いいよ、ずっと一緒だ」
メルディはそう言って、強くぎゅってした。
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