第12話

 その日、俺はあの一曲で三日分の宿泊費にもなるくらいの大金を、チップとしてもらってしまったらしい。あの後、全然知らない人がいっぱい近寄ってきて、口々にすごかったとか、良かったとかいろんな感想を言ってお金をくれたんだ。どれもお札だった。

 俺、生まれて初めてこんなに分厚い札束を見たかもしんない。

 そもそも俺って財布なんて持ってなかったから、入れるところがなかったんだ。でも感動したって言ってくれた店の人が、店の使い終わったジャムのビンを譲ってくれたんだ。だから、そこにいれたんだけど、それでもすごかった。重いんだもん。

 起きてきたレイチェルとジャスティスに、もっと弾いて来いなんて言われるし、メルディはびっくりして腰を抜かすし、なんかめちゃくちゃだ。

 本当は弾きたくなかったんだけど、昼間にレイチェルに無理矢理連れていかれてもう一曲弾いた。今度はあの時、弾けなかった曲を選んだ。理由なんてないけど。

 その時のチップはなんか、多すぎて怖いからジャスティスに預けた。俺よりはそういうところしっかり、きっちりしてるから適任じゃん。俺、数字もあんまりよく分からないからベンに数えて貰ったんだけど、一週間は豪華な部屋に泊まれるくらいの金額だって言ってた。

 メルディがすごいって言ってくれた時は、本当に心臓が止まるんじゃないかってくらい、胸がドキドキした。もっとあそこでピアノを弾いていられたらいいのに。

「どうしてもっと弾いてこないの? クライブだったら稼げるじゃん、ずるいよ!!」

 ジャスティスが泊まってる部屋に戻ってくるなり言った。あいつがあれからちゃんと話しかけてきたのって、そういえばはじめてかもしれない。

 俺は大部屋のソファーに座って、フードを下した。メルディが当たり前みたいな顔をして、俺の隣りに座る。そしたらジャスティスが珍しく、行儀悪くひじ置きのところに腰かけて、俺の肩をガクガク揺さぶった。

「ジャスティス、痛い」

 ジャスティスの手を払おうとしたら、レイチェルが代わりに引きはがしてくれた。この女、めちゃくちゃいい奴かもしれない。

「ジャスティス、クライブはケガが治りきってないんだから」

「自業自得じゃん! ずるい!」

 ジャスティスはいつもと同じ調子で駄々をこねる。

 でも不思議だな。いつもだったら鬱陶しくて仕方がないのに、今はそうでもない。嫌じゃない。

 ベンがそんなジャスティスを見て、腹を抱えて笑い出す。それにつられるようにメルディも笑った。

「楽しそうだったね」

「え? 俺が?」

「他に誰がいるんだい?」

 俺はびっくりした。

 楽しいって、あの胸のドキドキの事? 俺、ジャスティスや他の人みたいに楽しそうに笑ってたのかな? 全然覚えてない。

「クライブが生きててくれたから、あたいはピアノを聞けたし、凄く楽しかったよ」

 メルディはそう言って、俺の顔をのぞきこんできた。いつもの暖かくて柔らかい声だったから、俺は落ち着いて顔を上げる事が出来た。目を見る事は出来なかったけど、メルディは笑っていた。すごく楽しそうな顔をしていて、それがまた、胸を苦しくする。

「もっと楽しい事したいと思わないかい?」

 俺は少し考えてから答えた。

「これが楽しいのかは分からないけど、でも、ピアノは弾きたい」

 レイチェルが真っ赤な顔をして思いっきり噴き出すから、びっくりした。

「なんで? 俺、おかしな事を言った?」

 レイチェルはジャスティスを押しのけて、俺の髪を撫でると笑った。

「やっぱり兄弟なんだなって思っただけだよ」

 なんかバカにされてる? 俺はちょっとむっとしながら黙った。

 メルディの手だったら気にせず、払いのけられるんだけど、レイチェルってなんか本気でショック受けて落ち込みそうじゃん。ジャスティスと似てたら最悪。二日くらいベッドから出て来なくなりそう。そういう意味じゃジャスティスによく似てる。

「ちょっと待ってよ、レイチェル。オレ、絶対クライブとは似てないからね!」

 ジャスティスが床で喚く。

 俺は目だけジャスティスに向けた。

 ああ、面倒な奴。言わせとけばいいのに。どうせ顔なんか一緒なんだから仕方がないじゃん。あのババアですら見分けつかないんだから。もう長い間会ってない親父も、俺とジャスティスの顔なんか分からないと思う。

「ええ~、似てるよ。後ろ姿とかだったら見分けつかないもん」

「レイチェルは見分けつくの?」

 ベンがすごく失礼な事を言い出した。

「オレ、声以外に見分けつかないんだけど」

 思わず俺は向かいのソファーに座ってるベンをにらんで言った。

「それはない、絶対ない」

「いやいや、黙られたら分からないって」

 メルディまで言い出した。

 何それ? 俺のどこがそんなにジャスティスに似てるんだよ。俺、あんな腑抜けた間抜け面してない。そもそもあんなにふにゃふにゃしてない。

「クライブと一緒にしないでよ」

 ジャスティスが言った。

 全く同意見。こんな泣き虫と一緒にすんな。

「じゃあ聞くけど、どの辺が違うっていう訳?」

 メルディがジャスティスを見下ろして言った。

「顔も、声も髪型も違うもん! オレ、あんな仏頂面してない」

「誰が仏頂面だよ。ジャスティスのが、なよなよした間抜け面だ」

「オレ、間抜けじゃないもん。ちゃんと文字は読めるもん」

「文字なんか読めなくても、自分の身くらい守れる」

 俺はジャスティスに言い返した。

 でもふと気づくと、レイチェルも、ベンもメルディも笑っていた。

「なんで笑うの?」

 声も言葉もジャスティスとそろってたのは、流石に間抜けだったかもしれない。

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