第3話

 俺は一瞬自分を疑った。

 死神って、そもそも黒いカラスみたいな翼が生えてたりしないよな? それに大きな鎌を持っていて、さっさと殺してくれるもんじゃん。そもそも全身、骨なんじゃなかったっけ?

 なのにこの目の前にいる死神の女は何も持たず、白いワンピースを着ていて、バカデカい翼をバサバサ生やしている。しかも俺をのぞきこみながら、すごく明るい顔をしているんだ。まるで子どもみたいにキラキラした目を向けてくる。そして聞いた事のない言葉で俺を呼ぶ。

「アンタ、よく無事だったね」

 死神は俺の隣りにしゃがむと、俺の左腕を掴んだ。

 ズキンと響くように痛む。

 ああ、絶対これ折れてるな。そんなに乱暴にされてるわけじゃないのに痛くて、思わず呻き声を上げてしまった。そんな自分が情けない。

「触んなよ、死神」

 俺はどうにかその言葉をひねり出すと、大きく深呼吸をした。

 ちょっと体を動かそうとしただけなのに、左足首も痛む。やっぱり右の脇腹の辺りと足首が、腕と同じように痛む。ズキンズキンと、全部で三か所ってところかな? この高さから落ちれば、骨も折れるか。むしろ、生きてる自分がおかしいと思う。

 反対に死神の女は長い髪を大きく揺らして、少し驚いた顔をした。

「死神?」

「違うのかよ?」

 俺は尋ねた。

 女は俺がふざけた事でも言ったかのように、思いっきり噴き出すと腹を抱えて笑い出した。ホント、この女なんなんだよ。

「あたいはカミサマなんかじゃないよ」

 女は頬を赤くしながら言った。

「だったらなんだよ?」

「悪魔さ、アンタらが魔界って呼ぶ所から来た」

 今度は俺が笑う番だった。もちろん笑ったら、全身あちこちがズキズキしたけど。

「なんだよ、一緒じゃねぇか」

 悪魔と言った女は、俺の左腕から手を放すと、少し怒ったような顔をした。

「全然違う。あたいは人の生死に関わったりしないからね」

「だったら何をするんだよ?」

「別に。魔女と違って契約しなくたって魔法が使えて、ちょっと長生きする普通の人間ってところかな?」

 俺はすごくがっかりした。

 てっきり息の根を止めに来てくれたもんだと思ってたから。また死ねない。また痛い思いをしながら、地面をのたうちまわってなきゃならないなんて……。正直絶望した。

 そんな俺の事なんかお構いなしに、女は笑う。

「なんでそんな顔するんだい? アンタの寿命はまだって事じゃないか」

 痛まない右手で額を覆う。

 涙なんか、泣きたくても出なくなって何年経ったか分かったもんじゃない。だけど、こんな情けないツラをさらしたくなかった。

 やっと死ねると思ったのに、なんだよ。寿命はまだ先って……。

 これまで生きてきて、いい事なんてこれぽっちもなかったんだ。きっとこれからだってそうだ。今みたいに、何度も地面で痛みにのたうちながら、呻き声を堪えて、悔しさだけがずっしり重いんだ。泣きたくたって、涙も出ない。

 いつだってそうだ。

 初めて学校に行った日は、ジャスティスと二人で立ち上がれなくなるまで殴られた。学校に行くのをやめて、家にいるとババアがアレを俺に飲ませる。家に居られなくなって、村外れの木陰で昼寝してたら、石を投げつけられる。村でボコられてる弟をかばえば、魔法使いにナイフで刺された。

 死にたくて死にたくて仕方がなくて、ナイフで手首を何度も切ったけど、どんなに血が出ても死ねない。一回や二回じゃない。何度も何度も試した。でも死ねなかった。傷跡が残っただけ。

 今日は誕生日なのに、ババアから変な薬を注射されて吐き通し。挙句、崖から落っこちて、少なくとも三つは骨を折ってる。こんな奴、他にいるかよ? 本当に天国があるんなら、本当に神様がいるんなら、どうして俺だけなんだよ?

「だったら悪魔でもなんでもいいから、殺してくれよ」

 俺はそう言った。目を閉じて、ゆっくり息を吸う。

 最後はこれ以上痛くなければいいな。

 でもやっぱり思ったように事は進まない。

「なんでだい?」

 悪魔の声がそう降ってきた。

 なんでもクソもあるかよ? 死にたいもんは死にたいんだ。それ以外に何があるっていうんだ。この女は一体どんな言葉を期待してんだ?

「せっかく生きてるのに、なんで殺してほしいんだい?」

 ズキンズキンと、胸が痛む。

 昔から苦しい時によくこうなる。理由は分からないけど、胸がぎゅっと苦しくなる。この痛みが酷くなってきた頃からだったっけ? 涙も枯れたみたいで、どんなに苦しくても泣けなくなった。どんなに痛くても、これっぽっちも涙が出ないんだ。

 俺は右手で胸の辺りを握りしめた。

 ちょうどいい厚さのローブが、手のひらでぐしゃっと潰れるのを感じる。

「痛むのなら、その傷、治してあげてもいいよ」

 女は明るい声でそう言った。まるでお菓子を作ってる時のジャスティスみたいな声だ。

 でも、今俺がほしいのは、そんな言葉じゃない。冷たくて、鋭い、研ぎたての剣みたいな声色でいい。ただ一言、殺してやるって言ってほしかった。

 女はそんな俺を無視して続けた。

「このままここに居たって、明日の朝には凍え死ぬだけだよ? いいのかい?」

 乾いた笑いしか出てこなかった。

「いい。もう放っといてくれ」

 少し待って、目をゆっくりと開けたら、女はまだそこにいた。冷たくなってきた夜風に長い髪と翼を揺らしながら、しゃがみこんだまま、じっと俺の顔をのぞきこんでいた。

 女と一瞬、目が合った。

 暖かくて柔らかい、きれいな目だと思った。

 でも次の瞬間どんな視線が向けられるか分かったもんじゃない。視線は嫌いだ。

 俺は頭を右に動かして、目をそらした。

 女は急に言った。

「本当にそのまま死ぬつもりかい?」

「放っといてくれって言ってんだろ?」

 泣きたかった。

 泣けたらどんなにいいだろう。

 もう何年も思うけど、赤ん坊みたいに泣けたら、もっとジャスティスみたいに笑えたかもしれない。きっとお菓子を食べるだけで、キラキラした太陽みたいな目が出来るんだろうな。

 でも俺はどんなに頑張ったって枯れ果ててんのか、夏の日の大地みたいにカラカラで、涙なんて一粒だって出てこない。ただ、胸がもっと苦しくなる。

「ならさ、あたいにその血を売らないかい?」

 女は急に言った。

 頭を動かして女の方を見た。

 女はやけに明るい顔をしてこっちを見ていた。

 この顔、知ってる。

 俺を殴ったり、刺した魔法使いや、石を投げつけてくる魔女と同じ、心から笑ってるんだ。おもちゃで遊んでる子どもみたいに、悪い事だなんて思ってないんだ。俺みたいな奴の事なんて、みんなどうだっていいんだ。知ってる。ジャスティスだって、俺が殴られてる時は背中を向けて逃げていく。

 もうどうだってよかった。

 少しでも早く死ねるんだったら、こんな血、一滴残らずくれてやる。

「売ったら死ねるのかよ?」

 俺は女に尋ねた。

 女は小さなポーチをごそごそ探りながら、こっちを見ずに答えた。

「残念ながら、あたいは悪魔だよ」

 何かを取り出すと、女はこっちを見た。

「死にたがりを殺してやるようには出来てないよ」

 笑顔がこっちを見ている。薄気味悪いのは、ここが真っ暗だからか?

「でもアンタの血には価値があるんだ」

 そして女は俺の両腕を掴むと、持っていた物で縛りはじめた。真っ白な太くて長いリボンだった。縛らなくたって、痛くて動けないのに。

 折れている左腕が一瞬酷く痛んだから、思わず呻いた。

「血と交換だよ。そのケガ、治してあげるよ」

 女はそう言って俺から手を放すと、両手をこっちにかざした。

 何かぶつぶつと呟く声が聞こえて、それに答えるように柔らかい光りが俺を包むように輝いた。

 すごくきれいだった。よわよわしいけど、まるで月明りみたいな青白くて、淡い光りだった。それはゆっくりと星が瞬くみたいにキラキラと揺れる。そしてその光りは春の日差しみたいに暖かかった。

 びっくりしている間にそれは消えてしまって、また冷たい夜風が吹き付けてくる。

 訳が分からずにいたけど、気付くと気分が悪かったのも、寒かったのも、全身がズキズキしていたのも、折れていた筈の場所も、まるで時計の針を巻き戻したみたいに元通りに治っていた。

 女が急に俺の体を乱暴に引っ張り起こすと、まるで荷物みたいにひょいっと担ぐ。

 確かに俺は小さいかもしれない。親父もどちびっこいし、ジャスティスだって小さい。それより低い俺は確かにちびだよ。多分これ以上背は伸びないと思うけど、それでも女にこんなに簡単に担がれるとムカッとした。でもなんて言い返していいか分からない。

 なんとか出てきた言葉は「俺、頼んでねぇ」なんて間の抜けた一言だけ。

 女は笑った。

「でも売らないとは言ってない」

 そしてよっこらしょと呟いて、立ち上がった。

 いつもよりずっと地面が遠く見えて、それで女が俺より背の高い事に気が付いた。

「暴れないでおくれよ? 落っことすかもしれないよ」

 そんな言葉と同時に、真っ黒な翼が大きな音を立てて広がった。俺の視界から夜空が消えるくらい大きかった。見とれるくらい、つやつやと黒光りする羽根がひらりと俺の目の前を風に乗って飛んで行く。

 まるで熱を出した時みたいに、ふらっと一瞬揺れた。

 思わず目を閉じて、息を止める。

 でもそれ以上は変に揺れたりしなかった。翼が風を切り裂く音がゆっくりと繰り返し聞こえてくる。同時に後ろから風が吹き付けてきた。

 寒い。風が刺すように冷たいんだ。

 ゆっくりと目を開けたら、崖から頭を出して叫んでいるジャスティスが見えた。アイツ、律儀にまだ俺を呼んでたんだ。いつもみたいにとっくに見捨てちまったのかと思ってた。

 でもジャスティスがこっちを見る前に、どんどん遠ざかっていく。

 目の前でまた大きく翼がはばたくと、ジャスティスは闇夜に紛れてもう見えなくなっていた。

 ゆっくり下を見ると、浮いていた。

「どうだい? 夜風は気持ちがいいだろ?」

 女は笑った。

 確かに、闇夜の中、風を切って進むこの感覚は気持ちがいい。暗闇を切り裂く黒い翼の音が腹に響くのも。吹き付けてくる冷たい風に包まれている感覚も。こんなのはじめてだ。

 星空の中に包まれてるみたいだ。

 あっという間に女は高い塀を越えて、バラの花がたくさん咲いた広い場所に降りた。

 たたまれた黒い翼は、俺の頬を撫でて、そして紅茶に砂糖を入れたみたいに、じわっととけるように消えていった。

 俺は暴れる事も忘れて、女の背中を見つめていた。魔法みたいだったから。

 女は何も言わずにすたすたと歩きだした。

 俺はようやく体をひねって、女の歩く後ろを見た。

 バカデカい塔と古そうな古城だった。今にも崩れそうな状態だけど、女は気にもしないで大きな扉を片手で引いて開けると入っていく。うちもなかなかのオンボロだけど、ここまでじゃない。

 中は暖かくて、ろうそくの光りで明るかった。小奇麗に掃除されていて、外とは別世界みたいにピカピカしていた。見た事もない豪華なシャンデリアが高い天井に吊るされていて、真っ赤な絨毯が敷かれている。正面には大きな階段があって、その横にひっそりと小さなテーブルと向かい合わせの椅子が二つあった。どれもすごくカッコいい。

「レイチェル、ただいま~」

 女はそう言った。

 声が響く。

 ガチャンと重そうな扉が閉まる音がして、すぐに今度は階段の裏からひょっこり、短髪の女が出てきた。黄緑色の髪だ。魔女に違いない。何故か魔女や魔法使いは髪が若い稲みたいにきれいな黄緑色の髪だから。ババアもこんな感じの色の頭だ。

 レイチェルと呼ばれた魔女は俺を見て、目を丸くした。

「どうしたの? その子は?」

「崖の下に落っこちてたのを拾ってきた」

 女は平然とそう言うと、ニコニコしながら話しはじめた。

「見なよ、ダンピールだよ? 凄くない?」

 俺はようやく冷静になった。

「放せよ、放っといてくれって言っただろ!」

「ヤダ。血を売ったのはアンタだよ」

 今度は魔女が慌てた様子で俺を見た。俺の腕を見るなり、固く縛られたリボンをほどこうと手を伸ばす。そして怒鳴った。

「メルディ! 犬じゃないんだから!」

 女が魔女の手を払いのけて言った。

「いいじゃん。あのまま放っておいても朝には死んじゃうんだから」

「そういう問題じゃないよ」

 女はケラケラ笑いながら歩きだした。

「あたいは悪魔だよ、レイチェル。忘れたのかい?」

 真っ直ぐ階段の裏まで行って、木で出来た他とは違う安っぽいドアに手をかける。

「死にたがってるダンピールを、殺さずに保護してやったんだ。感謝してほしいくらいだね」

 魔女は何か言いたそうにこっちを見ていたけど、黙った。

 女は俺を担ぎなおすとドアを開けてそのまま中に入っていった。ドアを閉めもしないって、ガサツな奴。俺も人の事、言えないけど。

 そこはすぐ階段になっていて、ろうそくが一本もついていなかった。埃まみれで、どう見ても使ってない様子の地下へ続いていた。湿った空気とカビの匂いがする。

 少し降りてから女が何か唱えると、並んでいたろうそくが一瞬でずらっと灯った。それでも薄暗いのはきっと地下だからだ。でもカビの匂いもしなくなった。魔法ってすごい。

 そんなに長くない螺旋階段をあっという間に降りて行くと、細長い廊下が続いていた。奥はよく分からないけど、階段に近い辺りは部屋になっているのか、簡単に蹴破れそうなドアが両側にいくつか並んでいた。

 女は階段から二番目に近い左側のドアを開けると俺をそこの床へ下した。

 真っ暗でカビ臭い、でも思ったより広かった。下にはちゃんと柄のある絨毯が敷かれていて暖かい。誰かが住んでいたのか、家具もちゃんとそろってた。

 俺は女を見上げた。

 女は笑顔で俺を見ていた。

「アンタ、名前は? どっから来たんだい?」

 俺は答えなかった。答えたくなかった。

 黙ってそっぽ向くと、スキをうかがう。とはいえ、相手は悪魔だし、本気で魔法を使われちゃ敵う筈がない。もっと早くに暴れて逃げればよかったんだ。何やってんだろ、俺。

 女は俺の前にしゃがみこむと、俺の頭をわさわさと犬を撫でるみたいに乱暴に撫でた。

 俺はその手を両手で払いのけた。縛られてるし、そうするしかなかったんだ。

 女はにこっと笑う。

「答えたくないなら別にいいよ。ポチでいいかい?」

 なんて奴だ。流石にカチンときて、俺は女をにらみつけた。悪魔ってだけはある。意地の悪さは今まで見てきた魔女なんかの比じゃねぇ。

「ポチじゃねぇ、クライブだ」

「クライブね」

 女はまた何か呟いた。

 ぽっと部屋にあった燭台のろうそくに火が灯る。そして大きな風が吹き抜けたと思ったら辺りはあっという間にピカピカに掃除が行き届いたきれいな部屋になった。もうカビ臭くない。魔法って本当にすごい。

「あたいはメルディ、悪魔だよ」

 悪魔はドヤ顔で笑った。

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