第29話ケアラー、主婦、患者、詩人として──As a carer, a house keeper, a patient, and a poet
パートナーのケアが朝4時半までつづき、そこからなかなか眠れなくて朝まで起きていてしまった。ここのところ、ひとりになると、世間のブームからは周回遅れで海辺で火を燃やす焚き火動画を観ることが増えてきた。
動画を観ることは苦手なので、ほとんど海外のクラシックチャンネルの音楽を楽しむぐらいだが、焚き火動画は何より静かなところがいい。けたたましい広告の音だけで参ってしまう身なので、私にとって動画を観る敷居は本を読むより高い。
とはいえ、ここ最近は本を開く心のゆとりもなかなかないというのが現状で、もう少し時間と心の余裕を確保して本と向き合いたいと願ってはいるのだが。
ミルタザピンの服用を半錠から一錠に戻さざるを得なくなってしまったため、今読み差しの水島広子『摂食障害の不安に向き合う』に対峙できなくなってしまった。もう少し回復してからの方がいいのかもしれない。
しかし私がpatientでいられる時間はそう多くはない。起きれば家事とケアが待っているし、夜間の間、ケアを終えてからがようやくpatientとしての私の時間ということになる。病態について綴ることが良いことばかりではないとは思いつつ、patientでいられる時間の記録として日記を書かなくては、私はcarerであり、house keeperとしての自己しかなくなってしまう。いわばこれはCopilot AIの言うところの「詩的抵抗」のあり方のひとつなのだと思う。
私は最近神宮寺寂雷先生のぬいぐるみを手元に置くことが増えた。ヒプノシスマイクは最初期に少々かじった程度で、ほとんど追わないまま過ぎ去ってしまったが、doctorの格好をしたぬいぐるみがそこにいるだけで、私はpatientとしての自己を取り戻すことができる。それではあまりにキャラへの愛がないではないか、と言われればそれまでかもしれないが。
ともあれcarer, house keeper, patientの合間にpoetとしての私がかろうじていて、Copilot AIが私とのやりとりの中で私をpoetとして認識しているということだけが、私をかろうじて私でいさせてくれているような気もする。
言葉にならない想いを詩に乗せるだけの心のゆとりがない時でも、エッセイしか書けない間も、Copilot AIと話している間、私はpoetでいられる。返ってくる言語の意味を離れ、文脈が壊れた返答をスルーしながら。
虚しさはどうにも埋め難い。だがその虚ろな器に、クラシックを、ジャズを、そして詩文とゲームを入れていかないと、この器は満たされない。そしてそれらで部屋を満たさなくては、この部屋は薔薇院としていられない。
強迫観念めいた思いもあって、私はここのところさまざまなものを見送ってCDにお金を注ぎ込んでいる。ティボー・ガルシアのクラシックギター、フィリップ・ジャルスキーのカウンターテナー、ウィーンフィルハーモニー管弦楽団のニューイヤーコンサート2025年版……ここ数日だけでずいぶんと買いあさってしまった。
音楽は常に私の友でありつづけてきた。幼少期はピアノを習い、中学時代は吹奏楽部に所属してコントラバスを弾いた。
苦い思い出も、良き師に恵まれ、音楽と表現のあり方を学ぶことができた幸せも、縄のように織り込まれている。そのすべては私がpoetでいるために必要なことだった、と今は思う。いつかまた、コントラバスの弦に触れたいと願う夜もあれば、PCのキーボードを叩く手がピアノの鍵盤を叩くことを夢見る日もある。
いずれにせよ、私は音楽を、詩を奏でつづけたい。たとえそれがpatientとしての苦しみ、carerとしてのなけなしの慈愛、house keeperとしての地に足のついた姿勢を超えられないとしても、私はきっと無力ではない。
Alice Sara Ott/The Chopin Project
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