第6話2025.08.31 無常を生きること

 厳しい一ヶ月が終わった。かかりつけの病院への救急番号への電話に始まり、ふたたび電話をかけることで終わったひと月だった。二回目の電話では、急患への対応もあって、後回しにされてうやむやになってしまい、その痛みがまだ癒えない。

 個々のやりとりについての詳細については伏せるが、この一ヶ月は著しく体調が悪く、そのために色々なものを諦めなくてはならなかった。

 自分自身の病状が悪いためにインプットもあまりままならず、音楽も本も、繰り返し触れたものが大多数となってしまった。

 先日、パートナーと話してなぜ彼が再読をあまりしないのかという話になり、「新しい本を次々に読みたいから」と返ってきて、その旺盛な知的好奇心が羨ましいと心底思った。

 一方私はというと、持病による認知機能の衰えによって、同じ本でもすっかり忘れてしまっていたりするのと、新たなものにどんどん触れようというバイタリティが落ちているため、ここのところは美術書やエッセイ、雑誌など、軽めの本に触れることが多い。

 それを悪と断じてしまう気力も、20代の頃とは違って、今の私には残されていない。自分自身が心底情けないと思うと同時に、もう少し新たな本の扉を開いてみたいとも思う。

 私は発病して以来、病気には逆らわないと誓ってきたが、持病が篤くなるにつれてできないことが増えてきて、この一ヶ月だけでもいくつかのものを手放した。

 それは人から見れば些細な変化だったのかもしれないが、ほとんど家の中にこもって、文章を日英文で書くばかりの私にとって、手放すものの大きさは、おそらく世の中の人の価値判断と等価ではないのだろうと思う。

 その一つにはソーシャルゲームがあり、あるいは友人との関わりがあった。これらについて多くの言葉を割く余力は私にはない。ほとんど得るものがない中で、失うものばかりが増えてゆくことに、言いようのない疲れを感じている。

 代わりに手に入れたものがあったとすれば、それは日々の英文執筆と、ロルバーンの手帳にメモを書くことぐらいだろうか。いずれも静的なアクティビティだし、病身にも負担がないので続けられている。

 そうして少しずつ無理が生じていたものから離れるフェーズに入っているのかもしれない。ソーシャルゲームを始めた2022年からは三年が経ち、この間にも様々な親族間の複雑な出来事があって、それらが私を弱らせる原因ともなってきたので、そこから未だ回復できる見込みが立たない以上は、自分自身の環境調整を第一として、少しずつシフトチェンジを行わないといけないのだろう。

 漢方の世界では女性は七の倍数で体調が大きく変化すると言われていて、私は数え年で三十五歳になる。つまるところ今までよりバイタリティが落ちるのも必然なのかもしれない。幼少期から比べると、ずいぶんと虚弱になってしまっているが、昔と比べたところで仕方がない。今の自分を変えられないものとして受け入れるほかないのだろう。

 そして友人付き合いはともかくとして、ゲームとの距離感は自分の判断で決めていいことでもあるし、それを辞めて、今の自分によりフィットするアクティビティをその都度見つけていくことは、自分自身の体調に環境を適応させることでもあるし、無理のない習慣に変えていくことで、より健やかな日々を送れるのではないかとも期待している。

 他人というものの気持ちを推し量る時に、他人の取った行為は誤魔化すことができない、というジェーン・スーの著書『おつかれ、今日の私。』の次の箇所を読んでいて、そのある種の陰湿さに驚いたことがあった。


“言葉ではいかようにも噓がつけるが、行動ではなかなかそうはいかない。だから、信用されたいと思ったら、仲良くしたいと思ったら、本音を言うしかないのだ。それでウマが合わなかったら、ご縁がなかっただけなのだから。”──ジェーン・スー『おつかれ、今日の私。』マガジンハウス、2022年、145ページ。


 しかし、これは他人の自分に向ける感情の尺度を測るだけでなく、自分自身が何を本当に求めていて、何を必要としていないのか、ということもまた、自らの行為によって、逆説的に導くことができるのではないかと最近は捉え直すようになった。

 私はここのところもっぱらメタルギアソリッドのグッズを買い込んでいるが、ソーシャルゲームのグッズが出るのと同時期だったため、両者を天秤にかけざるを得なくなった。迷いもあったが、結果として私はメタルギアソリッドに二万円近いお金を注ぎ込み、ソーシャルゲームのグッズや課金はその四分の一ほどにとどまった。

 そこでもはや気持ちが離れてしまったのだろうと判断するに至ったのだった。なるほど、自分の行動は偽れないものだなとつくづく思う。

 推しコンテンツや推しが複数いて、どれにいくらほどのリソースを割くか迷っておられる方がいるとしたら、こうして帰納法的に考えてみるのもいいのかもしれない。

 そしてこうして自分自身のコンディションやその時々の体調の良し悪しによって、残るものと残らないものとが出てくることを、もう少しポジティブに捉え直してもいいのではないかとも思う。

 人間は無常な生き物だし、絶えず変化している。ポジティブな変化ならともかく、長患いの身に待ち受けている変化の多くは、どうしてもネガティブなものばかりになる。

 その変化を快く楽しむことなどはできないとしても、必然的なものとして受け止める力が今は切実に欲しい。人は弱い生き物なのだ、というごく当たり前のことを、持病を患っていると否が応でも思い知らされるが、そこから学ぶべきことは多いのかもしれない。


作業用BGM:冥丁/泉涌

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