エピローグ

 土曜日。お盆休み初日。


 あれから君塚さんとは数は少ないがメッセージのやりとりを行っていた。大した内容ではない。お互いの日常を報告し合う日記のようなものだ。


 僕はその後普段の日常を過ごしていた。……とは言い難い。やはり君塚さんのことが気になっていた。告白されたから好きになった。それは半分本当で半分嘘だ。恋愛特有の胸の高鳴りはこれまで一切なかった。だけどペタの言う通り、何もしてないのに振られたような心境なのは間違いなかった。もう少し早く顔見知りになっていたらどうなっていたんだろう。無駄だと分かっていながら未だにそういうことを考えてしまう。


 いっそこのまま連絡を取り続ければ何か起こるのではないか。そういう期待もあって君塚さんにメッセージを送っているんだと思う。だけど僕は昨日の去り際の彼女を見て思ったのだ。彼女はきっぱりこの件は終わらせた。転勤族の人がどういう心持なのかは分からない。でも君塚さんはこういう予期せぬ別れを何度も経験したのかもしれない。それ故に誰とも親密な間柄になるのを避けてきたのだろう。だけど僕に出会ってしまったせいでこんなことに……


 胸のつかえは降りず、僕はこっそり柳川にだけこの話をすることにした。君塚さんの不可解な行動とその真相、そして僕の胸の内をさらけ出した。


「鶴森がどうこうという話ではないよ、気にするな。……と言ってもすぐに忘れられるものでもないよね」


 柳川には去年の夏の件がある。きっと気持ちを共有できると僕は思って打ち明けることに決めた。期待した通り彼は僕の思いを受け止めてくれたようだ。


「恋心は本当恐ろしいね。不可能なんてないと思えるくらいに何でもできてしまう。あの大人しい君塚さんですら、その気持ちを胸に秘めることができなかった」


 柳川はふうと息をついて、例のごとく和歌を諳んじた。


「『玉の緒よ絶えなば絶えねながらへば忍ぶることの弱りもぞする』」

「それはどういう歌なの?」

「『我が命よ。絶えるなら絶えてしまえ。このまま生き永らえたら、この恋心を胸に秘める力が弱くなってしまうから』。昔の人も燃えるような胸の激情を抑えられなかったってことだね。だけど僕を連れ出した例の先輩と違って、最後まで本人以外に秘めた心を見せないようにした君塚さんは、とても心が強くて素敵な人だと思うよ」


 柳川の言う通り、君塚さんは強い女の子だと思う。だけどその強さの源泉を考えると僕は心もとなくなるのだ。辛さ悲しさを背負って育まれた強さなら、僕によってまた彼女は強くなる。


「だから君塚さんは心配ないと思っている。僕はむしろ鶴森が心配だよ。後ろばかり向いているとそのうち足をすくわれるよ」

「でもこういう時どうすればいいんだろう」


 何かにすがりたい思いだった。きっと相手が柳川でなくとも同じことを言っていたと思う。僕はただ心細かった。


「今をしっかり見つめる」柳川は確信に満ちた言い方をした。「そして全力で楽しむ、じゃないかな。昔のこと、先のことは考えたって仕方ないよ。僕もあの時の"今"が真剣だったからこそ、ハヤトに寄り添える"今"がある。今に全力で取り込むことでそれは輝かしい過去になり、明るい未来に繋がるってわけ。そうやって僕たちは今をリレーするのだ」


 それに今日は、と柳川は明るく勇気づけるように言った。花火大会だよ、全力で楽しまないと。その通りだと僕は頷いた。君塚さんには強さがある。僕は弱いけど心強い友人がいる。そういう"今"が大事じゃないか。


   ◇


 夜空に一筋の閃光が伸びた。花火大会の開始を今か今かと待っていた矢先だ。おい来たぞ、と佐山が騒ぐ。同時に周りの観客もざわめき出す。


 光の筋が消え、沈黙――夜空に金色の花が咲いた。わぁと誰もが歓声を上げ、どこからともなく拍手が沸き上がった。


 夜空にスマホを向ける佐山と柳川にならって、僕も何枚か写真を撮った。色の違う花火を何枚か選択して、君塚さんに送信した。その途端、頬に氷を当てられたような寂しさが胸に湧きあがった。僕は今、単に花火の画像を送信したに過ぎない。会場の熱気とか胸躍る心情とか、そういうものはきっと共有できていないんだ。君塚さんの返事は明日になるだろうけど、僕はそれを待ちわびる気持ちが起きないことに気づいた。


 来年この光景がこの四人で見れないのは寂しいなとも思った。花火のライブ配信を同時視聴しようとは言ったが、見ているものは同じでも僕たちは各々違うペースで受験勉強に勤しんでいるだろう。その時の感傷は誰にも伝えられない。そして次の年、僕たちは果たしていっしょに花火大会に来るのだろうか。大学での新生活が僕たちにどんな影響を与えるのか、まったく予想が付かない。


 ただ僕に言えるのはこれだけだ。今この瞬間、この四人で花火を見て、いっしょに胸を躍らせている。そう考えると思い悩むだけ無駄のように思えてきた。今だけは冷たい感情は胸に仕舞ってこの時を楽しみたい。


 きれいだな、と僕は口に出してみた。

 俺そんなにきれいかしら、と佐山がふざけた。

 柳川が佐山に突っかかりまた幼稚なケンカが始まった。

 田嶋は我関せずとじっと天空を見つめていた。


 これでいいんだと僕は再び空に目をやった。花火大会は、今始まったばかり。

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青嵐が駆け抜ける 夏空ぼんど @bond_novel0728

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