5

 夕方、僕が最寄り駅で電車を降りると後ろから君塚さんに声を掛けられた。僕がペタから受けた指示――それは彼女に「明日学校から一人で帰る」と伝えること。宣言通り必ず一人で電車で帰ること。そうすれば彼女に声を掛けられるから彼女の話をただ聞くこと。


 駅のホームの隅に移動して僕は君塚さんと声を交わした。彼女は小さな声でしかし力強く話を続けた。ずっと僕のことが好きだったこと。一年で同じクラスだった時、秋の遠足で優しく寄り添ってくれたのがきっかけだったこと。他にも僕との思い出を滔々とうとうと話してくれたが、僕の記憶は陽炎かげろうのようにおぼろげだった。何を意識したわけでもない行動が、君塚さんを喜ばせていた。驚きと戸惑いの中、僕は彼女の話を聞いていた。


「僕はこの真相に気づいたからこそ、彼女の連絡先を聞くように言ったんだ。まさか君たち全員と連絡先を交換するとは思わなかったけどね」

「でもアプリ上では、彼女とは他愛のない会話しかしなかったよ」

「だからこそ、彼女は直接会って想いを伝えたい人なんだなって僕は思った。なるほど連絡先を入手したかったのもハヤトを一人呼び出したかったんだろうなと。だから今日君が一人になるように仕向けた」

「僕に必ず話しかけてくる勝算はあったの?」

「あったさ。現にハヤトが一人の時、話しかけることができた実績があったからね」


 僕が家の用事で最寄りの一つ手前の駅で降りた時だ。僕は一人で改札に向かっており、そこで確かに君塚さんに話しかけられた。

 だけど僕はその日急いでいて、彼女の話に耳を傾けることはなかった。


「そこで話が済めば、きっとここまでややこしい事態にはならなかったはずだね。彼女は君の連絡先を何とか手に入れようとするも失敗し、最後には君が一人になる瞬間を待ちわびることしかできなくなった」

「僕が一人になる瞬間を見計らっていて……」

「彼女が電車に乗っていろんな駅に降り立った理由はそれだよ」

「待ってよ、それだけじゃ説明になっていないよ」


 君塚さんが僕の降りた駅でいっしょに降りるのは理解できた。だけどこの話は僕が関わっていないところでも起きている。

 彼女は僕のいない駅のホームに佇んでいた。僕とは反対路線の電車に乗っていた。これは一体どういうわけなんだ。


「じゃあ順番に説明しよう。まず、彼女は駅C(最寄りの一つ前の駅)のホームの待合室にいた。それはハヤトを待っていたからだ」

「その駅は僕の普段降りる駅じゃないよ」

「その目撃談は、ハヤトが彼女に声を掛けられた翌日の出来事なわけだろ。前の日に君がその駅で降りることを確信した彼女は、今度は先回りして君を待つことにした。おそらく君の最寄り駅を正しく把握できていなかったんだろう。それに彼女に声を掛けられた時に君が「また明日」と言ったのだから律儀にそれを守ったんだ。

 しかし君はその駅に現れなかった。その経験があったから待ち伏せは諦めて、君の後を追うことにしたんだろう」


「じゃあ反対路線の電車に乗っていたのは?」

「彼女の本来帰る方面に乗っていた、それだけのことだよ」

 君塚さんは僕に会うためにわざわざ帰る方向と逆方面の電車に乗っていた。

そこまでして僕に声を掛けたかったのか。申し訳なさが心の底におりのように溜まる。

「まず駅C(最寄りの一つ前の駅)で、彼女が改札前でハヤトに声を掛けた後、彼女はどこに去った? 君の話によれば、ホームの方へ走り去ったようじゃないか。目の前にある改札を抜けなかったことから、そこが彼女の本来降りる駅でないと僕は考えた。

 そして駅B(最寄りの二つ前の駅)と駅C(最寄りの一つ前の駅)で君たちと彼女がいっしょに降りた時、君たちは改札の外で待ち伏せをした。しかし彼女は改札を抜けて姿を現すことはなかった。君の後を追いたければ少なくとも一度は改札を抜けて追いかけることもできたはずだ。

 どうして彼女は改札の外に出なかったのか。なぜならそうするとから。君たちが降りた駅は彼女にとってだったのだろう。改札を抜ければ乗車料金が掛かってしまう」


 僕たちが遊び場に定期券の範囲内にある商店街の駅を選んだのも同じ理由だ。もう少し足を延ばせば商業施設のある駅もあるが、そこに移動する数百円が僕たち高校生には惜しい出費だった。


「そしてその駅が定期券の範囲外なら彼女は元来た方向に戻るしかない。

 後はハヤトの水泳部仲間が目撃した話が答え合わせになった。その部員は本来より五十分ほど遅い電車に乗り込んで彼女を目撃した。そしてハヤトはその日はまっすぐ駅D(最寄り駅)に帰ったんだろ。本来の乗車時刻から電車で最寄り駅まで二十分くらい。電車は十分間隔で来る。反対路線に乗って学校のある駅まで戻るのにも二十分くらい。行って帰ってくる時間と部員の証言がおおよそ合致したから、彼女が学校の駅を中心にハヤトたちと逆方面に帰っていくことが分かったのさ」


 夏の始めから続いた君塚さんの一連の行動の謎が解かれた。ペタの推理にも驚いたが、君塚さんの行動力にも驚かされた。誰かを想う気持ちはここまで人を動かすことができたのか。


「そこまでの真相を見抜くなんて、ペタはどういう頭をしてるんだよ」

「デバッグ――プログラムのバグ探しのようなものだよ。バグの原因は意外に遠いところにある。そしていろんな要因が組み合わさっている。それを順に追って答えにたどり着いたまでだ。普段の行い――プログラミング――が良かったのかもしれないね」


 ペタは小さく笑った。僕の反応からすべてが正しかったことを悟ったのだろう。

 しかし、ペタはきっとこれだけは分からなかったはずだ。

 君塚さんがここまでして僕を追いかけたを。


「それで、彼女から告白めいたことを言われたんだろ」

「うん……ずっと、僕のことが好きだったって……」

「それで終わりかい?」

「いや……続けて彼女はこう言ったんだ」


 ――だけど付き合ってほしいとは言えません。


 好きだけど付き合うことはできない。君塚さんは何を言っているのか。僕は当初その真意を理解することができなかった。

 それを聞いて、ペタは少し意外そうに高い声で、ほうと言った。


「……そう言うしかなかったんだろうね」


 まさかそんなはずは。ペタのリアクションに僕は悟った。

 。そのことに僕は驚いた。


「彼女の言葉を変だと思わないの」

「思わないね」


 力強くペタは否定した。


「そもそもなぜ彼女はそんな不可思議な行動に出ることができたのか。それがずっと疑問だった。もっと言えば変な噂が広まることも気にせずそんな行動に出れたのか。何度も聞くが彼女は目立たない普通の女の子なんだろ。そんな彼女がなんであえて目立つような行動を取れたんだろう」


 そう言われると、確かに大きな謎だと思う。


「ハヤトも別に目立つ男子生徒ではないわけだろう。ここらで一丁、人々の注目を集めてみてはどうだ。たとえば全校朝礼で皆の前で演説を打ったり、昼時の学食で大きな声で歌ってみたり」

「何を言い出すんだよ。そんなことできるわけないじゃないか」

「どうして?」

「そりゃ、変な奴だって噂になるし、そんな目で見られたら学校にいられなくなるよ」


 そうだよな、とペタは再び飲み物に手を出したようだ。そうなんだよ、と自分の発言を反芻している。


「ハヤトの言う通りだよ。目立つ行動を取れば変な噂を立てられる。噂が立てば自分に奇異の目を向けられる。そうなると学校には居づらくなってしまう。

 だけど、裏を返せば人の目が気にならない事情があればどんな行動にだって出れるだろう。つまり、さえあれば――」


 ペタは一息にまくしたてると嘆息した。


「彼女はこの夏で、転校するんだろ」


 君塚さんの父親は転勤族だった。お盆の期間中、両親の仕事が休みに入るタイミングで引っ越しをする。ちょうど七月の始め頃にそう決まった。君塚さんは最後にそう教えてくれた。中学三年の時に来たばかりなのに君塚さんは去っていく。


 それをきっかけに君塚さんは決心したという。僕に自分の気持ちを伝えよう、と。思い出作りというわけではない。気づけば体が動いていた。君塚さんはこれまでの行いを振り返り、そうまとめた。


 自分の行動が噂になっていることも知っていた。僕が君塚さんに声を掛けられたあの日に、僕の口から「水泳部のことならまた明日に」という言葉を聞いたからだ。女子部員しか知らないはずのことを僕が知ってる。そのことから彼女はより慎重に行動しようと決めたという。僕の名前を口にすれば噂の矛先は自分から僕に移ってしまう。そのことを君塚さんは一番恐れていた。


 鶴森くんに迷惑は掛けなかったつもりだったけどそうじゃなかったらごめんなさい。しなやかに頭を下げる君塚さんに僕も釣られて頭を下げていた。僕こそあの日に話を聞いてあげられなくてごめん、と。


 思えば声を掛けることのできたあの日、持てる幸運をすべて使い果たしたんだと、君塚さんは自嘲気味に笑った。あの日僕が一人で帰る姿を見つけたのは偶然だったという。彼女はその日もいつも通り水泳部の練習終わりを待つために図書室で時間を潰すつもりだった。それがたまたま僕が一人で駆け出すのを見て急いで追いかけた。僕が一人で帰っている。千載一遇のチャンスだった。声を掛けるまではよかったが、思いの丈を伝えるには至らなかった。その後画策した作戦はすべて徒労に終わり、日に日に諦めの色が濃くなった。


 そんな中佐山の気まぐれで僕の連絡先を手に入れた時すべてに満足したという。何もかもうまく行かずに落胆していたところに思いがげず目的のものが手に入った。すべてが報われた気がして胸のすく思いだったそうだ。そういうわけで、今日はもう僕のことを追いかけるのは辞めようと思っていたらしい。


 自分に直接話すきっかけを与えてくれたことに対して、君塚さんは僕に感謝した。この夏の目標は達成できた。君塚さんは静かにそう言った。その瞳は淡く澄んでおり、僕より先の遠くを見ているように思えた。すべてペタの助け舟だったということを僕は言わないことにした。


 そして最後に君塚さんは発表会の終わりのように一礼をして、反対方向のホームへ向かう階段へと歩みを進めた。


「彼女の思惑が分かっていたのなら、さっさと僕に伝えてくれたらよかったのに」


 僕はずっと胸にあった恨み節をペタにぶつけた。


「僕は彼女の意思を尊重したまでだ。彼女は君への恋心を誰にも察せられまいと行動してきた。秘めたる想いをハヤトと自分だけのものにしたいという淡い願いなんだと僕は受け取ったよ。だから第三者が先にその想いをハヤトに伝えるのは無粋だろ?」


 それは確かにそうだ。だけどそうじゃないんだ。僕の中で相反する感情が交差する。

 困っている君塚さんをどうにかしたいと僕は願った。今日彼女の願いを一つ叶えることもできた。それで十分じゃないか、違うか。

 それにこの真相にもっと早くたどり着いたところで意味がないことも分かっている。君塚さんは遅かれ早かれこの地を去る。それは動かしがたい事実だ。その運命をどうにかできるとも思っていない。


 だけど願わくば――


「ハヤトが背負い込むことではないさ。僕にも君にも、手に余る問題だよ」

 僕の沈黙をくみ取ってペタは静かにそう言った。

「背負い込むつもりはないよ。でもやるせないなって感じ」

「変えられないものは変えられない。でもその中の最善は尽くしたはずさ。君が困っている彼女を助けたいと言った。だから僕は手を貸した。すべては最良の結果に終わった。違うかい」

「違わないよ。違わないからこそ、もっと他の道があったのじゃないかと思って――」

「もう一度言うがあまり背負い込むなよ。まるで君が失恋したように思えてくる」


 確かにその通りだ。恋愛感情は君塚さんの告白を経ても湧いていない。でも喪失感と悔しさだけが残った。僕の抱えるべき感情でないことは分かっている。でも簡単に割り切れるほど、僕は薄情ではなかった。


 今日は何をしようか、とペタは努めて明るく声を掛けてくれた。課題かゲームか。そうだな、と僕が生返事するのを聞いて、ペタの決意は決まったようだ。


「今日はこれで解散がいいだろう。早く寝てお楽しみの花火大会に備えるのがいいさ」

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