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君塚さんをナンパする。それがペタの答えらしい。
ペタもただの男子高校生に過ぎないんだと僕は少し落胆した。プログラミングをやっているせいか彼は何事にも論理的な思考をする。こういう話があるならこう推測される。この説に従うならこれは否定される。そういうロジックを組み立てた結果、今回の結論は「友達のいない君塚さんと仲良くなってみんなハッピー」ということなのか。クラスの目立つ男女グループ的な思考は僕にもペタにも合わないように思う。けれどもそういうのに憧れるを抱くという意味で、ペタもただの男子高校生なのだろう。
さらにペタの提言が重しになる理由を言えば、僕には女の子と仲良くなる経験があまりにも少ないことだ。そもそもどうやって連絡先を知ればいいのか分からない。直接声を掛けるだけじゃないか。そう簡単に言われるかもしれない。でもその一歩を踏み出す勇気が僕にはなかった。だから、どうすればいいんだという暗雲が頭に垂れこめたまま夜を過ごし、すっきりしない気持ちで朝の部活に出かけた。
全力で泳ぐうちに昨日の話はすっかり頭の片隅に追いやられた。全身が心地よい疲労感に覆われ、達成感がみなぎってくる。清々しい心持で僕はいつものメンバーと学校を後にした。今週を
「週末の花火大会どうしよっか」
同じクラスで中学時代からの友人佐山がそう切り出した。僕たちは駅へ向かう下り坂を気だるげに進んでいた。暑い暑いと疲弊する僕たちの中にあって、佐山だけが一人陽気に夏の権化と化していた。
「今年は参加させていただきたいと思います」
妙にかしこまった口調なのは、水泳部で仲良くなった柳川だ。線の細い薄幸な少年という趣の彼がそう言うと、歌舞伎役者の子供の口上のようでおかしい。
「今年は女に捕まえられなかったのかよ」
「なんで捕まえたって言わないんだよ」
佐山が茶化すと柳川がむきになる。子供のケンカの始まりだ。柳川の身長は、佐山より頭半分低い。しかし坊主頭と無邪気な表情の佐山を見ていると、彼の方がずっと子供のように思えてくる。
「とにかく、今年はみんな揃って花火大会に行けるってことで、よかったよかった」
僕が間を取りなすも、佐山と柳川はまだああだこうだ言っている。
もう自由に言わせておけばいい。そう思ったところで心強い仲裁が入った。
「もういいだろう、佐山」
「おっとおっと。失礼いたしました、田嶋さん」
田嶋は寡黙だが実直な奴だ。その上身長は僕たちの中で群を抜いて大きく、横幅もでかい。今から柔道に転向しても間に合いそうな威圧感があった。
「田嶋、ごめん。去年の夏のことはもう気にしてはないからさ」
柳川がそう言って田嶋を見上げた。そうかと田嶋は意に介していない様子だった。
「みなさん、遠距離恋愛はするもんじゃありませんよ」
柳川は溜め息まじりに真面目な物言いをした。そんな柳川の心中も知らず、佐山は勢いよくまくし立てた。
「でさ、結局いつまで付き合ってたんだよ」
「んん、文化祭までお互いのところを行き来してたけど、そこからイベント事も無くなっちゃって連絡も取らなくなったんだ」
「なんだよ、自然消滅かよ」
「僕のメッセージに反応しなくなったのは向こうだよ。振り回すだけ振り回してあっけないんだから」
「つまんねぇなぁ。せめてビンタでもされて別れとけよ」
「お前にしてやろうか、いま」
柳川は去年の夏、一つ上の先輩から突然告白をされた。突然も突然だった。水泳部の地区大会終わり、僕たちが帰り支度をしているところに当の先輩が割って入って柳川だけを人目の付かないところに連れ出した。その先輩は他校の水泳部員である。しかもその時柳川は、その先輩との面識がなかったのだ。どうも晩春に行われた地区の合同記録会で先輩は柳川に一目惚れをしたらしい。そしてこの度、強硬手段で柳川とお近づきになったのだ。
「なんかぐいぐい来られるとついその気になっちゃうよね」
柳川はそう言って例の先輩と付き合うことを報告してきた。
その直後に去年の花火大会が待っていた。絶好のタイミングだ。柳川はきっと今頃いい思いをしているに違いない。僕と佐山と田嶋は
「それにしても今思えば例の先輩はすごい人だったよ。恋に突き動かされている感じだった」
柳川は達観したように過去を回想した。
「去年の地区大会は忘れねぇぜ。俺たちのもとに来たと思ったらあの先輩いきなり柳川の腕を掴んで誘拐していくんだから」
「言ってなかったけど、告白の時物陰のギャラリーがすごかったんだから」
「なんだよ、向こうの部では大盛り上がりだったのか」
「例の先輩、どうやら僕のことを周りに吹聴しまくってたらしい。想いが溢れて止まらなかったんだろうね。おかげで文化祭に遊びに行った時、恥ずかしかったよ。例の先輩の知り合いみんな僕のことを知ってるんだもの」
柳川がため息をついた。心労余りある様子である。
「まぁとにかくその勢いに振り回された結果、僕は連絡を返してもらえなくなりましたとさ、めでたしめでたしだよ」
「例の先輩に柳川は見合わなかった。それだけのことだ」
「ありがとう、田嶋。どっちにしろ僕と例の先輩の間には物理的な距離があって、それを乗り越えられなかっただけさ」
柳川は遠距離恋愛と言うが、例の先輩の学校は同じ地区内にあった。電車で言うと二駅くらいしか違わない。一般的には遠距離とは言わないのではないか、と僕は柳川に問うてみた。
「分かってないね、鶴森」柳川はやれやれといった仕草をする「僕たちは学校がいっしょじゃなければ毎週通う塾も違う。接点である水泳部も地区の高校が集まる場じゃないと会えない。休みの都合もお互い部活をやってたら難しい。そうなると、ほとんどメッセージと通話でしかやりとりができないわけだよ。これを遠距離恋愛と言わず何と言う」
「確かに味気ないね。やっぱり会って話したいものなんだ」
「そういうことだよ。やっぱ大事なのは、会って話して、いっしょに歩いて、思いを共有するってこと。世間には上手くやっているカップルもいるだろうけど、僕はもう勘弁だね」
柳川は見た目に反して大人びているところがある。経験の差といえばそうだけど、僕たちと柳川を隔てるものについては見当も付かない。
「便利な世の中になったとはいえ、画面越しのコミュニケーションには限界があるよ。文字は伝わっても気持ちまでも伝わるとは限らない。だからこそ会いたい。でも会えないとなると、ただ胸の奥に思慕が募るばかり。『来ぬ人を
そして柳川はこう見えて成績優良で聡明な奴だ。見た目は僕たちの中で一番の年少者だが、すらっと古典文学を持ち出せるところは大人の余裕を伺える。
「とにかく今年はみんなでニコニコいっしょに花火が見れる。いいじゃねぇか」
佐山は相当楽しみに見えて足取りがだいぶ軽やかだ。照り付ける炎天はまるで彼のためのスポットライトだった。
「しかしこれが最初で最後になる」
「来年は受験だしね。田嶋の言う通り、遊べる夏休みは今年で最後になるね」
僕もそれに頷いて少ししんみりした気分になった。高校生活は長いようで短い。悠々と日々を過ごせるのもあと半年くらいだ。来年は各々が目指す進路に向けて孤独に戦わないといけない。
一方で佐山は水を差されたのが気に食わないらしい。でもよでもよと何かを言い返したくて
「花火大会ってさ、有名なやつはネットで中継されるだろ。みんなで通話繋いで花火大会を同時視聴しながら勉強しようぜ」
いいかもしれないね、と僕は話半分に首肯した。むせかえるような熱気と太陽光でそれどころでなかったのだ。
「まぁそれでもいいけどね」柳川もその提案に乗った。「でもいくらネットで見れるようになったとしても、やっぱり僕はリアルで見たいんだよな」
下り坂が終わりに近づき、無機質な駅舎が見えてきた。日陰を作る並木が風で揺れている。地面にできた濃い影が手を振るように揺れていた。これが青嵐なのかなと僕は思った。
それがきっかけとなったのだろう。僕は昨晩ペタに言われたことを思い出した。そういや君塚さんの話だけど。僕は三人にペタとの会話の一部始終を話してみた。変なことを提案してくるやつだなと、いっしょに笑い合えたらいいと思っていた。
「それなら、俺、君塚さんの連絡先聞いてくるよ」
佐山が事もなげに言った。まさか一縷の方が叶うとは思ってもみなかった。ペタの提案を話しておきながら僕が一番驚いていた。
「でもお前は彼女の連絡先を知っているだろ、QRコードの時に」
「じゃあ俺が聞いてやるから、
それはちょっと、と僕たちが戸惑っているのも関係なく、佐山は元気よく歩みを進めた。ゴールテープを切るように改札を抜ける。僕たちもそれを追う。いつものように君塚さんは少し離れた場所のベンチに座っていた。勇ましく近づいてくる佐山を見上げて、君塚さんは怯えたように怪訝な顔をした。
「おっす! あれなんだけど、通話アプリの連絡先、交換しね?」
僕たちは口々にやめとけと声を掛けながら佐山を引き剝がそうとした。
「えっと俺ってわけじゃなくて俺たち全員とさ」
彼女は困っているじゃないか、やめろよ。佐山は田嶋に羽交い絞めにされ、僕と柳川が平身低頭謝罪を口にした。
そうして平謝りの後、僕は予想外の光景を目にした。先ほどまで小鳥のように身を
◇
「それで君たち全員と連絡先を交換したってわけね」
その晩、昨日と同じように僕はペタと作業通話を行っていた。今日はゲームのマルチサーバに乗り込んで、各々の作業を黙々と進めていた。僕は作りかけの建造物を建築してペタは作業を自動化する回路を組んでいた。
「これでよかったの? 彼女の抱える問題は解決したのかな」
「連絡先を交換したなら、メッセージの一つでも送ってあげたんだろうね」
「うん……一応。何でもないやりとりを数回やった程度だけど……」
なるほどね。ペタはそう言ったきり作業に戻ってしまった。それに釣られるように僕も手元の操作に集中した。
「僕は思うんだけどね」ペタはおもむろに口を開いた。「彼女の問題の根本は解決していないね」
「そんな……」
手元が狂って、僕の操作するキャラクターが高台から落下した。大ダメージだ。死ななかったことだけが唯一の救いだった。
「昨日はちょっと僕の言い方が悪かった。この話を進める、もとい終わらせるためにやってほしいことがある」
ペタは新たな提案を僕に聞かせた。それは昨日より具体的な指示だったけど、相変わらず意図が分からなかった。一体どういう結果が待っているのか。ペタに聞いても、明日すべて分かると、見も蓋もない返答をするばかりだった。
考えていても仕方ない。これでこの話にけりが付くのなら、僕はペタに従うのみだ。
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