血と汗と涙の日々
飯田沢うま男
第1話 最悪の目覚め
幼いころから「へなちょこ」と呼ばれ続けてきた高校生、リック。運動が得意なわけでもなく、勉強が飛び抜けてできるわけでもない。人前に立てば緊張し、ちょっとしたことでおどおどしてしまう性格。そんな自分を変えたいと何度も思いながらも、結局何も変えられないまま日々を過ごしていた。
その日も、疲れ切った心と身体を布団に預け、いつものように何の期待もないまま眠りに落ちた。だが、次にリックが目を覚ました瞬間、彼の世界は一変していた。
まず背中に感じたのは、柔らかい布団の感触ではなかった。冷たく、硬く、そして少しザラついた感触。まるで石の上に寝かされているようだった。彼は顔をしかめながら身を起こし、ゆっくりと目を開けた。
まばゆい光が、視界いっぱいに飛び込んでくる。朝日とは違った光が、彼の身体を包み込んでいた。次の瞬間、耳をつんざくような歓声が空気を震わせた。
リックは反射的に目を細め、混乱しながら周囲を見渡した。
そこは、見覚えのある自室などでは決してなかった。信じがたい光景が広がっていた。円形の巨大な闘技場。その中心、リックは石造りの床の上に立ち尽くしていた。見渡す限り観客席が並び、何千、いや、万を超える人々がその視線を彼に注いでいる。
「え……何これ……」
喉から漏れた言葉は、歓声にかき消され、自分自身にしか聞こえなかった。膝が震えるのを感じながら、リックは必死に現実を認識しようとした。
そのとき、彼の近くに立つ二人の女性が目に入った。
一人は、鋼の鎧を身にまとった精悍な女戦士。短く切り揃えられた茶髪が肩で跳ね、鋭く険しい瞳がこちらを射抜いている。腕組みをしながら仁王立ちしている姿は、まるで戦の女神のような威圧感を放っていた。彼女の名はラグナ。
もう一人は、まるで絵画から抜け出してきたような女騎士だった。流れるような金髪が背中まで伸び、風にそよいで光を反射している。華やかでありながら威厳を感じさせる甲冑は、彼女の品位と経験を物語っていた。落ち着いた深い青の瞳が、怯えるリックを優しく見つめる。彼女の名はメアリー。
「おい、そこのへなちょこ! 何ボサッとしてんだよ!」
突然、ラグナの大声が響き、リックの肩を思い切り叩いた。
「うわっ!」
思わずよろめいたリックは、重心を崩して転びそうになる。肩に残る衝撃の余韻が、彼女の容赦ない力を物語っていた。
「ちょっとラグナ、そんなに強く叩かないであげて。彼はまだ状況がわかってないみたいよ?」
メアリーが、リックの前にしゃがみ込むようにして視線を合わせ、柔らかく微笑みかけた。その笑顔は不思議と心を落ち着かせ、少しだけ呼吸が整うのを感じた。
リックはしばらく言葉を探し、ようやく震える声で口を開いた。
「ここ……どこなんですか……?」
「ここはアルカディア闘技場」
メアリーが、静かに告げた。「君は、次の試合でラグナの対戦相手として召喚されたの」
「……試合? 対戦……? 僕は……ただ、家で寝ていただけなのに……」
事態があまりにも突拍子もなさすぎて、リックの思考は追いつかない。言葉が口からこぼれるそばから、現実感がどんどん薄れていく。
「おいおい、そんなんで大丈夫かよ? こっちは手加減なんてしないぞ。」
ラグナはニヤリと笑いながら、拳をポキポキと鳴らしていた。まるで獲物を前にした猛獣のような雰囲気に、リックは無意識に一歩後ずさった。
観客の歓声はさらに大きくなり、地鳴りのような音となって闘技場全体に響き渡る。誰もが、この未知の少年がどう戦うのかを見届けようとしていた。
リックの心臓は早鐘のように打ち鳴り、手のひらには冷や汗がにじむ。だが、逃げ場はなかった。彼は今、まさに異世界の闘技場で、運命に引きずり込まれようとしていた。
何が起きているのかもわからないまま――戦いの鐘が、鳴り響こうとしていた。
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